ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

年の瀬に

2014年12月24日 | 日記

                               絵=入澤光世「ヤシャブシ」

 

 昔流行った「木綿のハンカチーフ」の歌詞を調べたら、後半にこんなフレーズがあった。

   恋人よ 君を忘れて

   変わってく ぼくを許して

   毎日愉快に 過ごす街角

   ぼくは ぼくは帰れない    太田裕美「木綿のハンカチーフ」松本隆作詞 1976年

 田舎から出てきた青年が、都会の風俗に楽しみを見出し、もはや田舎には帰ろうと思わなくなったのである。

 年の瀬にこんな歌が思い出せるのだ。現在、私の田舎でも村の小学校が統廃合で廃校になる。子供がおらず、村は老いた人たちばかり。衰退の一途である。以前は、村の方から都会の物入りを心配してもらっていたのだが、今はまったく立場が逆転した。肩が触れ合うほどの新宿の雑踏、インターネットで注文すれば翌日には届き、道路で転んだといっては救急車が飛んでくる便利さが都会にあって、一方、ちょっとした買い物をするにも、車で出かけなければならない地方の生活がある。

 故郷の、身体が不自由になった老人達のことを思うに、辛い想像だけが湧いてくるのである。 【彬】

 *絵のヤシャブシは漢字では「夜叉五倍子」と書く。五倍子で「ブシ」である。フシというのは特定の木につく虫こぶのことで、ヤシャブシの実には虫こぶと同じタンニンが多く含まれることから、フシという名がついたものと思われる。春先には、藤のように花が枝にぶら下がる。面白い樹木である。

 

 

 

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私は白票を投じた

2014年12月17日 | 日記

 絵=入澤光世「南瓜」

 自民党の圧勝で選挙が終わった。結局、解散前と同じこととなった。

 私は白票を投じた。白紙委任という言葉があるように、白票は現状を信任することとされているが、そうではなく、当該の選挙自体を無意味とする積極的な意味付けがあると思い、そうした。無効票の投票数の集計はあるが、白票の投票も今後ぜひ集計して欲しいものだ。

 年をとり、マスコミや識者とやらがまき散らす、ろくでもない政治思想と無縁になったこともあってか、今回の選挙ほど自分の生活実感とかけ離れたものはなかったと感じる。国政選挙というのは、政党の施策を選ぶように見えて、実は利権を巡る権力闘争に明け暮れている政治家たちへの、信任するか否かの問題なのであろう。

 アベノミックスにしてすら、そうだ。経済は独自の運動をすることから経済学という学問が生まれているが、その経済は政治と不可分だということを、マルクスが明言したのだが、日本のような先進国では、政治的な諸策が民間の経済に果たす役割はそれほど大きくはなく、巨大な経済活動の範囲内にほぼ収まってしまう程度の蠢動にすぎないことを、国民が理解したのだと思う。 

 ところで私は、現在の主要な課題は老人問題だと考えている。自分が年寄りだからではない。これは、制度としては、社会保障の問題であるが、同時に若者の問題でもあり、地方の疲弊の問題でもある。体系的というわけにはいかないので、折々、この問題に触れるつもりである。【彬】

 

 

 
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衆議院選挙について

2014年12月11日 | 日記

 衆議院選挙が行われる。12月2日公示、14日投票。

 どの政党、どの候補に投票するか。政党と候補者の「政策」を基に決めるしかない。しかし、各政党の求めるところの、将来の目標は、どの政党でもほとんど同じだと思う。豊かで、平和で、公正な世の中を築くということである。それをどう実現するのか、各政党は「政策」でしのぎを削るが、今回の争点では、有権者にとっても経済問題が特に悩ましい。多分各政党の政策は個々には正論なのだろうが、一貫した流れの中で見ると、噛み合ないところがあるし、実現が難しいところもある。

 そこで、一市民として、一言語りたいと思います。

 最初にアベノミクスの3本の矢について

  1本目:金融緩和(量的緩和)

  2本目:財政政策

 経済学を少しかじった者には、これらの経済政策は今現在、目立った成果は出ていない。そこが現実経済のむずかしいところ。これら2つの矢では不十分なのか、あるいは成果がでるまでに、まだ時間を要するのか。僕は両方である、と思う。学者でないのでデータに詳しくないが。

  3本目:成長戦略……

 成長戦略を云々するの前に、国の存亡にかかわる経済問題は、財政の健全をいかに図るかということだろう。経済を成長させ税収を増やす一方で、支出をおさる方法をどうするか、政策として引っかかるところである。そして、今回の選挙の大きな争点は、財政再建、社会保障費を巡っての、消費税問題だと思う。

 大きく言うと、

  ①消費税撤回、そして財政再建の財源は他に求めるべき。手段はいろいろある。

  ②施行賛成、そして軽減税率も考慮にいれる。

 僕自身は、掲げられた政策の「実現可能性と時間の効果」を基準に判断する。だが、とさらに考える。いずれにしても、経済成長が軌道に乗ることが大前提になる。成長戦略をいかにするか。 これは、政治の問題でもあり、我々の仕事の仕方、生活方法、経済活動(消費活動)からも影響するものだとも思う。

 以上、選挙前のつぶやき。

 とはいえ、今日現在(12月9日)、僕はまだ誰に投票するか決めていない。   12月9日 岩下賢治

 

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同窓会で思うこと

2014年12月02日 | 日記

 最近いくつかの同窓会に出席した。僕は努めて同窓会には出席するようにしている。

 以前ある先輩が同窓会について語っていた。「世の中、なんと多くの人がいることか。だが考えてみると、互いに時を共にし、過ごした人はなんと少ないことか。だからこういう会を大切にしたい。」

 以下は、先日の小学校の6年生時代の同窓会で思ったことです。外見は、十分すぎるほどの大人。しかし、会場は子供のころのクラスにもどる。昔の悪ガキは今も元気。社会的地位のある人でも偉ぶることなく、昔のままのおとなしい子になる。先生はあくまでも先生である。状況は、タイムスリップである。

 僕の頭の中は、懐かしいな、というのは勿論だが、つぎの思いが巡ってきた。

 ある人がいっていた「こういう会に参加できる人はいい。」 病気や今の自分を人前に出すのがつらい人もいるだろう、ということか。またある人がいっていた「人の人生は、最後になって、良かったどうかわかるものだ。」 最後まで何があるか分らない、ということか。

 僕は「悔いのない人生」というのは無いのではないかと思う。たった一度の人生、どんなに成功した人でも、ああすべきであった、こうしたかった、というのが無いわけがない。人生というのは生まれてから死ぬまでの日々生活の積み上げた堆積層だと思うのだが、現実にできるのは日々の生活を大切にすることだけなのだ。この同窓会も、大切にした一日一枚の層になる訳だ。

 前回から5年だった今回は、参加者がかなり減った。色々な理由があるのだろう。この日会えなかった人たちはまた違う一枚の層を重ねているのか。それがその人にとって良き日であることを願う。

 今は、11月も終りに近い、秋深まり初冬に近づく時期だからこのような心境のなるのかもしれない。   

                            11月28日     岩下賢治

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