ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

昔道の掘り起こし

2018年04月27日 | 日記

       道端のニリンソウ

 過日、日光街道を栃木県の今市から東照宮まで約7キロほどを歩いた。この街道は家康を祀る東照宮に江戸幕府が幣をお供えする道として造成され、例幣使街道とも呼ばれている。大部分は車道となっているが、今市からは杉の巨木が道を覆う、歩く道として整備され、快適な空間となっている。

 日光街道に限らず、各地で旧道を復元する動きがあり、そこを訪れる人も少なくない。そんなに立派でなくともよいから、各地の旧道には、道標くらいは立ててもらいたいものだ。

 服部英雄さんという道歩きの専門家で学者でもある人の「峠の歴史学」(朝日新聞出版)という書物を見ると、道には軍事の道、流通の道、信仰の道などあって、それぞれに独特で必然性のある道となっていることが紹介されている。

 私はかつて木曽街道を歩いたことがあるが、道は途切れ途切れで、すれ違う人もなく、寂しい思いをしたことがあるが、案内板くらいは立ててもらいたいものだ。藤村が述べているように、木曽路は山ばかりである。そんな山道がなぜ中山道とつながる江戸期の五街道として重要な機能を果たしていたのか。

 また、かつて大糸線・姫川沿いの青木湖付近を歩いたとき、なぜが道が山裾に沿って作られていることに気がついた。川沿いや平地の中央部ではなく、わざわざ山の裾や中腹部に道を作るのである。おそらく寒冷地の流通のあり方がその背後にあるのだろう。諏訪湖の周辺も同様。そして同じような道筋が各地にあるのではないだろうか。

 知らない土地を歩いていると、地元の人に挨拶されたり、いろいろ考えさせられることが多い。歴史を知ることは建物や遺物と同時に、道を知ることが大切だと思う。温泉などの発掘による地方活性もよいが、まず昔道を掘り起こしてほしい。そんな道筋にはその土地特有の草花が自生しているはずだし、また独特な地名が残っている。私の故郷にも、辻堂と呼ぶ場所がある。昔道の名残である。【彬】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある春の明るい日差しの中で。

2018年04月24日 | 日記

 4月22日(日)は素晴らしいし快晴の日となった。いつものように、小金井公園にランニングに出た。初夏のように日差しが強く、新緑の木々の葉が照らされて眩しいほど輝いている。この野外の陽の光を浴びた風景が、印象派絵画の作品を連想させる。

 この時、僕の頭の中は絵のことで一杯だった。

 前にもこのブログで似たようなことを書いたことがありますが、所属する絵画愛好会が、毎年5月展示会を開くので、今、出展作品の準備をしているところなのです。3点出すのですが、2点は描きあげ、もう一つ何にするか、迷っているところ。僕のような素人でも他人に観てもらうには何を描くか考えてしまう。描きたいものを描けばいいのだが、もう一つが出てこない。期限は迫っている。

  公園に向かいながら、今日の明るい日差しを受けた野外の風景を描けばいいのだと思った。だが、野外に絵を描きに出かける余裕が今はない。そこで、浮かんできたのが、印象派絵画の模写なのだ。以前にもこのブログで何度か書きましたが、絵の勉強には模写が一つ方法だと思うのです。

 ということで、誰でも知っていて、誰が見ても模写だと分かる絵を探す。そして、フランスの印象派のモネの作品から、「散歩、日傘をさす女」を選んだ。

 蛇足になりますが、個人的には、印象派絵画より、どちらかというと、それ以前の、古典派の写実絵画が好きなのですが。・・・詳しくは知らないが、19世紀末ごろフランスで、古典的な硬い絵画に飽き足らず、野外の明るい風景などを描くのが流行り、ひとつの流れになった、と思う。絵画の民主化のようなものか。古典派絵画は一部の画家たちの世界だが、印象派はより自由な筆使いにみえる。また、鑑賞する側からでもいえるのだが、特に絵に詳しくない普通の人に、「どのような絵が好きですか?」と聞くと、印象派絵画を応える人が多いようだ。モネが好きだという人は多いと、思う。

  さて、この日は、気持ちよくランニングができた。野外の明るい風景は、本当に、印象派絵画のように見えるのだった。

 絵はモネの絵の概略。出展作品ではありません。 

    2018年4月23日  岩下賢治

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マスコミ嫌いのマスコミ好き

2018年04月20日 | 日記

東京の花、オオムラサキ

 日頃、テレビや新聞を非難し嫌っている人が、自分がそれに出るとなると早朝からでも引き受けるというのが、著名人や文化人と言われている人たちの振る舞いになっていることをよく見聞する。特にSNSが発達した今日、ツイッター上でまくし立てていた人が、なんのためらいもなくテレビ番組に出ているのなど、目にするのだ。
 昔、左翼運動が盛んだった頃、テレビ、新聞をブル新と言って蔑んでいた人が、いつのまにか自分をマスコミに売り込んで、記事にしてもらって得意がっていた御仁がいたものだが、マスコミに依存するという習性は、古来消えないのだろう。
 一般の人も同じだ。テレビカメラを向けられると喜んで一言二言言って、しかもテレビに出たぞ、見て見てと得意がる。
 こうした振る舞いは、人々の耳目を集めることによる満足感が、私たちの生活上の軸にあるからなのだろう。みんな、狼少年になりたいのだ。
 芸能嫌いの芸能好き、甘いもの嫌いの甘い物好き、というのも心理的には同じようなものだ。こうした社会心理をマスコミが助長しており、これに無頓着にいるととんでもないことになる。
 昨今、財務次官のセクハラ問題が世情を賑わせているが、問題を引き起こしたテレビ局の女性記者は、取材の意味役割も弁えずに、夜の飲食の場に出向いている。セクハラ云々以前の、マスコミが持つ亡霊に記者自らがのめり込んでいるのである。
 耳目を集めること、集まってしまうことに真摯でないと、新聞やテレビは計り知れない過ちを犯すことになりかねない。戦争期の煽り記事、慰安婦問題の誤報、などなど。
 記者たちは権力の監視者などとうぬぼれてはならない。かつては新聞は人の醜い裏側を嗅ぎつけるゴロツキと毛嫌いされていた時代があったのである。【彬】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マクロとミクロの話‥‥ホーキング博士に導かれる小さな旅(続き)

2018年04月12日 | 日記

 2018年3月23日付の、「ホーキング博士に導かれる小さな旅」の続きになります。

 先日、博士の書、A  BRIEF  HISTORY  OF  TIME を読み終わりました。数式を使わず宇宙物理学や、哲学をも通し、宇宙がどのように始まり、宇宙とはどのような存在であるのか、を柔らかく語る。しかしながら、僕には難しく行き詰まること多。それでも、話の大きな流れをたどりながらなんとか読み終わり、また読み返しているのが現状。

 博士は、宇宙を論じる二つの理論、①一般相対性理論、と、②量子力学、を統一した理論が、必要と語る。①は壮大な宇宙全体を語るもの。②は、物質の最小単位の粒子を語るもの。

であるが、有力な理論として、string  theory(ひも理論)を挙げている。物質の最小単位の粒子は、点、ではなく、「ひも」のような長さをもったものだとする。そうすると①と②はかなり近づく。ただし、この理論は10次元の世界で成り立つ。現実にありえようか?

 いずれにしても、博士はいずれ統一理論ができれば、一部の科学者だけでなく、哲学者、一般の人達も、「なぜ、我々、そして、この宇宙が存在するのか?」を議論できる、と結んでいる。この書は1989年発行だが、その後、理論は進化していると考えますが。

 さて、本書を通読し興味を持ったのは、宇宙を論ずる上でも、①のマクロ理論、と、②のミクロ理論があるのだということ。以前、学生だったころ勉強していた経済学には、マクロ経済学、と、ミクロ経済学という領域がある。そして、それを統一するかのような、linear  programing、という理論もかじったことがある。日本語では線形計画法というが、量子力学の「ひも」と経済学の「線」が似ているところが面白い。

 世の中は、すべての事象を、マクロ、と、ミクロ、の見方をするものだ。そしてその統一というのは難しい。人間世界ではよく、総論と各論が登場する。総論賛成、各論反対、のたぐいだ。

 この地球は宇宙の一部だ。そして、人間もその一部だ。壮大な宇宙も、人間世界も、同じ真理の上に存在するということか。興味深いことだ。

 絵はブラックホール。他の星を吸い寄せることで確認できる。本書の挿絵を参照した。 

      2018年4月11日  岩下賢治

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文書が氾濫している

2018年04月07日 | 日記

カリンが実をつけ始めました。

 都心でマンション暮らしをしていると、様々な文書が投函されたり、届けられたりする。電気、水道といったインフラ関係から、役所からの高齢者向けサービスやゴミ処理の案内書、各種メーカーや産直の案内、それに特売物や物販物のチラシ。いちいち目を通していたら日が暮れるというものだ。必要なものを振り分けるのも一仕事だが、文書の様式がまちまちで、しかもカラー刷りだったり、要点が不分明だっりして、読み通すのに苦労する。
 パソコンを手軽に駆使できるようになり、プリントが容易になったことで、こうした現象が引き起こされている。
 ところで現在、政界からマスコミ界隈を賑やかしている、公文書の修正、改竄、紛失といったことも、役所内で文書が氾濫していることが背景にあるのではないかと、推測する。以前、新聞記者まがいなことをしていたことがあって、農林省に出入りさせてもらったことがあるが、管理職以外の職員のデスクには山のようにプリント類が積まれていたことを思い出す。丁度ワープロが行き渡ったころで、今のように保存機能が開拓されていなかったのでなんでもプリントするという時代だったかもしれない。そして管理職といえば他局や政治家との根回しなのか、在席していることがほとんどなく、そして予算も通らない前から、事案の執行を命じていたりしていた。おそらく単年度事業ではなく複数に渡るものを行政の判断として執行していたのだろうと思う。
 そうした仕事ぶりから推測するに、今回の財務省の文書改竄問題というのは、パソコンの文書作成能力に依存しすぎて、文書の持つ意味が軽んぜられいるせいかとも思う。現場職員が個々の交渉から会議の逐条全てを文字化する、いわゆる音声の全文起こしができるのも、パソコン由来である。安倍昭恵夫人云々などという部分は、まさしくそれに相当する。文書作成者は一言隻句を文字化することで、充実した仕事をしたと思ったはずだ。
 しかし、芸術家へのインタヴューで、ドキュメントを残そうとしているわけではないのだから、これでは公文書にはならない。経緯を簡潔に要約し用語を統一して初めて稟議に回すというのが普通である。しかし回覧されたと思われる文書は手直しされずに通ってしまったようだ。おそらく中間職の人も内容をよく検討しないで上げてしまったのではないか。長々とした文書を読み取る労苦を厭い、しかも他人の書いたものに手を入れるという僭越さに遠慮したのかもしれない。こうして長々とした文面が添付資料として垂れ流されたものと思う。
 文書の果たす本質的な役割を軽視し、パソコンに依存することが、文書の氾濫をもたらしてはいないだろうか。保管にしても同じである。書類を取捨選択し、綴じ込めることなく単にホルダーに投げ込むだけで済む。
 手書き時代の文書であれば、改竄や修正、削除、それに紛失などというのは簡単には起こりえない。
 文書で思い出すことがある。フィリピン戦線に従軍して、奇跡的に帰還した大岡昇平が自分のいた戦線を調べようとしたら、公式な戦記がないと嘆き、ならばと自分でと生存する関係者や現地を訪れて書いたのが「レイテ戦記」である。戦争という最大の国家的行為にあっては遅かれ早かれ必ず公式の戦記を作るものなのだが、日米戦での敗走の中では、満足な戦記が残せなかったのだろう。
 公式文書は国家存続の生命線であることを官民共に銘記すべきである。【彬】

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする