道端のニリンソウ
過日、日光街道を栃木県の今市から東照宮まで約7キロほどを歩いた。この街道は家康を祀る東照宮に江戸幕府が幣をお供えする道として造成され、例幣使街道とも呼ばれている。大部分は車道となっているが、今市からは杉の巨木が道を覆う、歩く道として整備され、快適な空間となっている。
日光街道に限らず、各地で旧道を復元する動きがあり、そこを訪れる人も少なくない。そんなに立派でなくともよいから、各地の旧道には、道標くらいは立ててもらいたいものだ。
服部英雄さんという道歩きの専門家で学者でもある人の「峠の歴史学」(朝日新聞出版)という書物を見ると、道には軍事の道、流通の道、信仰の道などあって、それぞれに独特で必然性のある道となっていることが紹介されている。
私はかつて木曽街道を歩いたことがあるが、道は途切れ途切れで、すれ違う人もなく、寂しい思いをしたことがあるが、案内板くらいは立ててもらいたいものだ。藤村が述べているように、木曽路は山ばかりである。そんな山道がなぜ中山道とつながる江戸期の五街道として重要な機能を果たしていたのか。
また、かつて大糸線・姫川沿いの青木湖付近を歩いたとき、なぜが道が山裾に沿って作られていることに気がついた。川沿いや平地の中央部ではなく、わざわざ山の裾や中腹部に道を作るのである。おそらく寒冷地の流通のあり方がその背後にあるのだろう。諏訪湖の周辺も同様。そして同じような道筋が各地にあるのではないだろうか。
知らない土地を歩いていると、地元の人に挨拶されたり、いろいろ考えさせられることが多い。歴史を知ることは建物や遺物と同時に、道を知ることが大切だと思う。温泉などの発掘による地方活性もよいが、まず昔道を掘り起こしてほしい。そんな道筋にはその土地特有の草花が自生しているはずだし、また独特な地名が残っている。私の故郷にも、辻堂と呼ぶ場所がある。昔道の名残である。【彬】