器用な人がシャンペンの蓋で洒落た椅子を工作しました。となりはビニールの子猫
人口の都市への一極集中が進んでいる。中山間はおろか中小都市も衰退の一途で、日本列島はシュリンプ化しているとか、限界集落などという命名がされているのは周知の通り。各地方・都市は対策に知恵を絞っていて、かつては工業団地の造成など積極的に行っていたがうまくいかず、今日では、観光開発とか芸術の招致などといった方策は出ているものの、掛け声だけで相応の成果を出しているとの報告はない。
地方が衰退するのは若者が都会に逃げ出すからで、だから若者対策が必要、と誰もが言う。そうだろうか。私の考えはまったく逆で、地方が衰退するのは老人対策をしてこなかったからだ、と思う。例えば、都会には歳をとったら田舎に帰って、田畑と共に暮らしたいという人は多い。そして実行している人もいる。しかし、せっかく田舎暮らしをし始めたのに、病院とか不便がたたって逆に都会に戻ってしまっているケースが少なからずあるのだ。地方は、年取って田舎で静かに暮らしたいと願う人に応えるべき老人対策を怠って来たのだ。
老後をどう過ごすべきかを含め、私は養老都市というのを夢見ている。
地域の中心に総合病院があり、その周囲を取り囲むように老人ホームや各種の介護施設が点在している。各施設には看護婦が常駐し、些細な病状や健康状況の相談を受け、症状に応じて病院で診てもらえるようにする。
現在の医療機関は患者と病院をつなぐ中間の看護制度が無いために、いきなり病院に通い、その結果、病院が養老院化しているように思う。その昔、庶民には病院は遠い存在だった。その代わりとなるものに診療所とか地域だけの医療機関があり、ちょっとした病気はみなそうした施設を利用していた。医療知識のある看護婦には、介護施設に常駐し、こうした役割を果たしてもらいたい。病人は医者に診てもらう前に、親身に相談してもらいたい人を欲しているのだ。
施設の食事は大きな給食センターが、会社の社食のような感じで供給する。現在、社食というのは町のランチなどよりずっと充実して共同の食事スペースとして歓迎されているのだ。センター内は誕生パーティーなど行事も行えるよう整えたい。
こうした施設が10数棟点在していることで、入所している老人たちの相互交通も可能となり、生活が多彩になる。また規模が大きくなれば介護する側も効率的になる。
現在、地方にある老人施設は、街から切り離され、孤島のようだ。また都市近郊になる施設は中層構造で、老人が住むに適しているとは思えない。
地方の広い土地を生かし、建物はバリアフリーの平屋かせいぜい2階どまり。数多くの施設が集まれば、その地域相応の経済圏が成り立ってくる。
例えば医薬や介護製品、さらには衣料や食品、移動用のスロースピードの電気自動車。こうした需要に応えるべき産業が周辺に出来上がる。近郊の農家は安定した生鮮食品を供給するだろうし、そしてなによりこうした需要に応えて働く人は、もちろん若者だ。
つまり、老人が最大の消費者になることで、地域が活性化するのである。今日、経済の活性化は生産にあるのではなく、消費に中心があるのである。老人たちの年金をベースにした養老施設によって、おろらく数万都市が形成されるはずだ。
こういうと荒唐無稽に思うが、突飛なことであれ、新しい考えをいれないと未来を語ることはできない時代にきているように思う。【彬】