富有柿が色づいてきました
地方の衰退に対処する初代担当相が石破茂さんになった。彼は軍事の専門家として通っているが、農業問題にも精通している。で、一体何をやろうとしているか。税金の使い捨てにならなければ良いが。
私ならまず地方の高齢化に注目する。特に農村を中心とした地域での、この傾向はとどまることがないし、現代社会の根本的な社会動向だ。これを解決するために、地方に産業の拠点を作り、若者を呼び戻そうという動きがある。が、今日の高度な資本主義の動向から逆行する、無意味な目論見である。
* 里山資本主義とか6次産業による地方の再生などと広告コピーまがいの言説を振りまいている識者が横行しているが、地方経済を農業に固定しすぎていることが問題なのだ。網野善彦さんが早くから指摘しているように、徳川に代表される藩幕体制が、租税の単位として、お米の生産量である石高で表したにすぎないものを、これを社会の仕組みとして誤解し、農業社会が明治以前の社会の基本として認識したことが問題なのである。地域社会の拠点となる都市は、製塩、陶芸、鉄、米、農業などの様々な産業の集積、交易の地として栄えたのであって、農業単独で栄えた地域というのは、江戸時代でさえなかったのだ。
地方の高齢化で、最大の問題となるのは、老齢化した家族の救済である。若い後継者が都会に出てしまい、取り残された老親が、インフラの整備されない農山村に分散して居住し、老骨にむち打っている。これは悲劇以外のものではない。地方創生には、こうした老人対策が第一歩であるべきである。これに対処するには、まず、近場に老人用の医療機関を作ること。高度な総合医療機関である必要はない。いつでも容易くみてもらえる医療機関があることによって、どんなに老いた心身が休まるものか。
同時に、そしてその土地風土に見あった老人施設を作り、安価で利用できるようにすることである。
高齢者の医療費がかさんで、医療保険制度を揺るがせていると指摘されているが、これは高齢者と医療機関のミスマッチによるところが大である。老人の心身のケアには高度な医療機器は必要ない。医療機関を中心に地方が再編されれば、そこに新たな需要が生まれ、経済も活発になる。
一つのアイディアだが、災害の恐れの少ない、林を背負った自然豊かな丘陵地帯に、総合病院とは内容違う老人病院を建てる。その周囲に幾棟もの老人ホームを作る。病棟とは随時に往き来でき、しかも各棟に看護師が常住し、医療相談ができるようにする。老人ホームといっても、障害者用ではない。入居者には、健常者も含める。そして、入居者の健康に応じて、ホームの配膳や清掃、車椅子の補助など有給の仕事ができるようにする。単身の場合と夫婦の場合では、別棟の入居とするが、食事や運動など、常に交流ができるようにする。
さらにホームの外縁はインフラを整備し、ホームのへの入居を敬遠するような人達用の住宅地を設ける。
要は、分散した集落を、病院を中心とした拠点地域に集約しようという考えである。地方・農村の難点は、過度に農業に偏った社会集団であるために、居まいの分散が著しいことだ。これをインフラの整った地域にまとめ、上下水道、電力、交通、公共サービスなどを効率化することがなにより大事だ。
夢みたいだが、今日の老老介護の悲惨さを脱出することが、地方創生の第一歩だと思うのである。
ここで問題なのは介護など外部の人の介入を敬遠する地方特有の家族意識と代々の土地にしがみ付く伝統である。こうした意識がどこから生ずるのかは、難しい問題ではあるが、これを固定するかのように機能しているのが、今日の行政機関であることは認識しておくべきだ。さらには、育児を終了した夫婦は、家族の束縛から解放されるのだということ、上記のアイディアの実現には不可欠であることは、都会も同様であること、言を重ねておくべきことである。 【彬】