ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

春の予感

2017年01月28日 | 日記

 大寒を過ぎた1月下旬は、東京・小金井も寒さが厳しい。だが、時折感じる、陽ざしの明るさや、梅の香りに、春への予兆が感じられます。僕の好きな季節です。

 茨城県北西部に住んでいた頃、この時期は、近所の庭や、ランニングコースの脇道にはフキノトウが顔を出し、しばし観察に時間をとられてしまうことがあった。路傍の野草に美を感じる僕としては、おおきな楽しみでしたね。だが、残念ながら現在住んでいる小金井の自宅周辺などで見ることがほとんどない。

 ところで、メジロについて。

 最近、近所の庭や木々で、メジロをよく見ることがあります。小さくてとても可愛い。実をいうと、メジロを自然のなかで見た記憶は幼少のころから今まで殆どないんですね。子供の頃から鳥かごの中で観る鳥だと思っていた。(現在は、捕獲も飼育も法律で禁止されている。)周囲の人は、どこにでもいる普通の鳥だというのだが、僕の観察力の欠如なのか? 13年間暮らした茨城の自然の中でもの見たことはない。気になる鳥は、タカ、とか、トンビという大型の鳥ばかりでした。

 1月下旬から2月過ぎ、この冬から春へ移り行く季節、野外での小さな出会いの楽しみは、茨城ではフキノトウでしたが、東京・小金井では、留鳥ではありますが梅の花に寄ってくるメジロが気になるようになりました。鶯色ということもあり、春を予感させます。・・・この文章を書いている今、庭先の木の枝にメジロがとんできました。

         2017年1月27日  岩下賢治

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トランプ現象を見誤るな

2017年01月21日 | 日記

ご近所のローバイが春に先駆け咲き始めました。

 トランプ新アメリカ大統領の言動が不評極まりない。メキシコ国境に壁を作れとか、工場移転した企業の輸入品には高額の関税をかけるとか、従来の政治家の用語法からすると、眉をひそめさせるものがある。

 が、言はどうあれ、私は彼の人の言うことの背景には、世界経済の変化に伴う非常に大きなウネリがあることが感じられるのだ。その動きは見逃してはならないと思う。

 彼の主張は要約すれば自国民の雇用を守れ、と言うことに尽きる。その為には、メキシコやヒスパニック、アジアなど周辺国からの流入民を押さえ、国内製造業を復活させることにより、貿易収支の悪化を防ぐという、いわゆる保護主義的な政策の推進だ。

 近年、アメリカの製造業の衰退は著しく、デトロイトなど嘗ての自動車産業の栄光は見る影もないことを考えれば、こうした見解はある意味で妥当だが、根源にあるのは経済のグローバル化で、この傾向は一国の政治的な方策では押しとどめようがない普遍的な動向である。このグローバル化を支えているのは通信を含めた交通の発展発達で、物流を含め、パソコン、携帯電話の普及は人々の生活を一変させた。

 この交通通信網とそれへの過度な依存が、現代の最大の課題として浮上しているのだ。卑近の例で言えば、佐川急便の配達員が配送荷物を叩きつける逆上など。またSNS上でのメッセージが炎上するなど、限りない。物流と通信の円滑な運用は限界にきていると見てよい。最近、友人が新車を購入したものの、納車が1カ月後だとぼやいていたが、これは製造が間に合わないのではなく、配送の問題であるのはあきらかだ。

 トランプ大統領の保護主義はこうした通信物流のあり方への一つのアンチテーゼであるとみなしてよく、古き時代の感性からすると、地域内で生産して消費した方が経済的に安価で合理的のようにもみえるのだ。だが今日の大衆消費財は衣食住運すべての商品において、機能面が多様になっており、それを生産しているのが、交通通信の発達を背景にした世界的な分業制なのであるから、一国内での生産消費はほとんど成り立たなくなっているのだ。例えばアメリカの巨大産業である飛行機の部品は世界各国からの調達なしでは生産されない。だからトランプさんの方法で片がつかないのは明らかだが、保護主義的な提案が一つの問題提起なっていることは認めなくてはならない。

 私の予想では遅かれ早かれ、現在の物流システムの再編が起こるはずだ。日本ではヤマト、佐川、郵便の棲み分けが崩れるだろう。宇宙空間に物流拠点を築き、ドローンで配送すると言う壮大な着想を持つアマゾンの動きなども未来への模索で、巨視的に見れば、将来トヨタなどの製造業を包括するような巨大な物流産業が立ち上がるだろう。これが産業のセンターになる。これは第二次産業より三次産業が数段優勢になっている現代の避けがたい方向なのだと思う。【彬】

 

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初夢分析

2017年01月11日 | 日記

 初夢といっても、1月9日成人の日に見た夢ですが、ストーリー性のある夢はこれが今年初めてです。

 舞台は、僕の高校生時代、文化祭の発表会の日。生徒たちは、ステージの前方で合唱、後方では体操を披露している。おかしな話だが、その間を、幼児を乗せた子供電車が走る。合唱に参加していた生徒で、緊張のあまり倒れこんでタンカに乗せられる者が二人。子供電車は急停車し、子供達はつんのめる。僕は体操に参加し、難しい前転の演技。足を痛めているので慎重におこなうも70%の出来。

 ステージが終わると、僕は、スクッと立ち上がり、後処理の指示をだしている。 

 さて、夢というのは現実の中にその要因があるように思う。

①    生徒たちの合唱;最近、高校時代の友人たちと会う機会があった。また、年賀状で古い友人を懐かしく思っている。

②    子供電車;元旦に、兄弟とその家族達の新年会があった。小さい子供たちがなんとかわいかったことか。

③    体操の披露;趣味のマラソンで、痛めている膝をかばいながら走っている現実。 

 だが、もっと深いところにも要因があると分析する。つまり、

①    生徒たちの合唱;国内外の難しい現状。対立、紛争・・・。それ等に心痛め、平和、友好をねがう気持ちが最近とくに強い。合唱は平和、友好を意味している。

②    子供電車;未来を、子供たち、若い人たちを大切にしたい。

③    体操の披露;体を大切に、健康に留意したい。

ということですね。

 じつを言うと、1月2日に見た夢があります。これが所謂初夢にあたるものです。前々から見たいと思っていた、空を飛ぶ夢です。浮遊しながら下界を眺めると、美しい草原と花々、ジブリのアニメの世界のようです。空飛ぶ夢を見るのは縁起がいいと聞いています。今年は良い年になる予感がします。

 それでは、ここまでお読みの皆さまに、今年が良い年でありますように。

 絵は夢の中の発表会。何故か、楽屋裏からの覗いている状況。

          2017年1月9日  岩下賢治

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都民ファーストという空文句

2017年01月09日 | 日記

 日本スイセンが咲き始めています。


 豊洲や東京オリンピックの設備設営についての利権構造をあばきたてた小池知事の活動については支持を惜しみませんが、彼女が盛んに発する「都民ファースト」あるいは「都民目線」といったキャッチフレーズには、いささか違和感を覚えるので、はっきりさせておこうと思います。
 まず「都民」というのをどう規定しているのかが問題です。都内に住民登録している人を都民というのでしたら、近郊から都区内に来て、東京都の経済や各種文化事業に従事している人達をなんと言えばよいのでしょうか?この人たちは「都民」ではないのでしょうか。住民税を払わないからとか、選挙権がないからといって、こうした東京に大きく関与をしている人たちを「都民」から外してしまっては行政はなりたたないと思います。埼玉県人でありながら、東京都の職員もいるでしょう。つまりと東京という巨大な都市の坩堝で生計を営んでいる人は多種多様で一概に限定できないのです。都市というのはもともと流動の激しいところで、それこそが都市の都市たる所以なのです。中でも東京は世界に類例を見ないメガロポリスですから、これを都民などという地方行政用語で括ってしまっては、元も子もありません。
 具体的に見てみましょう。最近話題の待機児童の問題。少子高齢化だというのに、都内ではなぜ保育園にまともに入れないのでしょうか? それは、子ずれの若夫婦が職を求めて都心になだれ込んでくるからです。ところが都区内では先年まで子どもが少なく閉校するところが多かったのです。
 外国人の観光客が増え、民泊の問題はどうなのでしょう。住民が嫌う民泊を都民ファーストだからと締め出せばよいのでしょうか。
 通勤時はおろか、渋谷、新宿、池袋のターミナル駅の終日の混雑をどうするのでしょうか? JRや交通各社に任せておけばよいのでしょうか。
 このように、東京都の行政は都民のためではありません。東京という特殊な都市の、地域・空間のための行政です。このことを忘れるべきではありません。

 おそらく、知事がこうした言辞を振りまくのは、国家主権に対する主権在民という理念を、地方行政にまで敷衍しているからなのだろうと思います。しかし、国家と地方では、権力の位相がまったく異なっていて、この違いに対する知見をなくしては、都市の将来像を求めることはできません。都市は国家がなくとも栄えることができます。また、国家があっても衰退することがあります。ローマや敦煌が衰退したのはなぜでしょうか。また、メガロボリスはヨーロッパにはありません。あるのは北米と日本や中国などアジアです。選挙で選ばれたからといって、国家と同じように行政権を振舞っているのだとしたら、大きな禍根を残します。国家と地方自治体、あるいは都市の違いについては難しすぎ、私の手に負える問題ではありませんが、指摘だけはしておきたいと思うのです。【彬】

 

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謹賀新年

2017年01月03日 | 日記

あけまして、おめでとうございます。

拙い絵を添えて、引き続き書き継いでいくつもりです。お気付きの点など、どしどしご指摘ください。【彬】

 

 

 

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