古くから日本のことを豊葦原瑞穂国=とよあしはらみずほのくに、と呼んでいる。古事記及び日本書紀の神武紀の項に記載があるとされている。本当は千五百秋がぬけており、豊葦原千五百秋瑞穂国=とよあしはらちいほあきのみずほのくに、と読むそうだ。現代語訳で原典を調べてみたが、どこに記載があるのか、わからなかった。明治から戦前までは、日本を瑞穂の国、と呼ぶのは常識だったから、あまり疑問も持たれなかったのではないか。
では、この意味はなんなのか。
各種辞典を調べてみると、《神意によって稲が豊かに実り、栄える国の意》日本国の美称、とされている。
しかし、私たちの現在の漢字感覚からすると、ここには稲が豊に実り、という表現は見当たらない。日本の成り立ちの根幹に、稲作という農業を無理に押し込んでいるような解釈のような気がするのである。
普通に解釈すれば、豊葦原千五百秋瑞穂、というのは「国」というコトバの枕詞に該当している。枕詞は先行する古い時代の土地などに関係していることが多いので、単純に解釈すれば豊葦原千五百秋瑞穂は、神武以前の地名とか言い伝えではないか、とも考えられる。
そんなことをぼんやり思っていたら、ネット上でとんでもない解説にぶつかった。市川慎という人の「不思議の古代史」という冊子で、この人は豊葦原千五百秋瑞穂を、豊=大分、葦原=出雲、千五百=周防(山口)、秋=土佐、瑞穂=美作(岡山)だというのだ。なるほど豊は豊後水道だし、葦原は豊中国、秋は安芸、など理屈はつく。しかも神武がたどったとされる高千穂から中国、四国をへて奈良に至る道筋になっている。
つまり、神武が東征した国々を指しているのだ。稲とはなんの関係もない。
この説の当否は別にして、私は日本をあまりにも稲作に関係付け過ぎていると思っている。学校給食しかり、棚田しかり、減反しかり‥‥。そして前回のブログでも書いたように、稲作の過酷な営農収穫方法に対する鞭撻が、日本人の器用さ、勤勉さの賞賛につながっているのではないのか。日本の将来を考えたとき、稲と結びついたそんな無意識の美風は根本から問い直されていいのだと思うのである。【彬】