ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

くすり指、って由来がありそうな名前

2019年04月27日 | 日記

  満開のオオムラサキ

 薬指が思うように動かず、整形医を尋ねるとバネ指だと診断されたことは、前々回に書いた。安静にして湿布することになったのだが、場所が場所だけに安静にというわけにはいかない。そして、かれこれ3ヶ月になるのだが、思うように回復しない。そこで鍼治療を思いつき、通院することにした。
 その治療院は鍼灸院の学校も兼ねていて、治療には研修生が付き添ってくれる。そして研修の一環なのだろう、施術前に問診をしてくれる。先日の研修生は中国からの留学生らしく、日本語がたどたどしい。「その後の経過はいかがですか」「痛みはありますか」などなどいろいろ尋ねてくれる。そして何回か「やくし」「やくし」と言う。「やくし?」何だろうと思いながら、しばらくして「ああ、そうか、薬指の音読みか」と気づいた。
 で、よく考えると「くすりゆび」というのは訳ありげな名前だなと思い、調べてみることにした。「くすり」の語源は漢方で薬剤を混ぜる時に、この指を使うことから始まったらしい。この指はあまり使うことがなく、ものに触れることがないから、清潔に薬を調合できるのだと。
 世界各国でも、この指は特別な指らしく、英語だとring finger、フランス語だとL’annulaire 、いずれも結婚と関係があるようだ。中国語だと「無名指」だ。無名指の由来は、辞書の説明でもよくわからない。なにか宗教に関係があるらしい。
 人体の名称にはさまざまな来歴があり、調べると興味深い。江戸時代、西洋の「解体新書」を翻訳する際、翻訳者の杉田玄白が原語での「鼻」の表記が分からず、オランダ語のできる人を次々に尋ね回ったという逸話が伝わっている。脳とか腸とか、調べたら面白い逸話がありそうだ。
 ところで、「やくし」というのはなんなのか。薬指の音読みであることは確かだが、これは医学用語だという。ちゃんとした術語なのだ。
 研修医はちゃんと勉強している。
 
 針灸の効果については次回に。【彬】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この春、歴史をめぐる小さな旅

2019年04月25日 | 日記

 僕は、某「歴史探訪の会」という会に入っていて、この4月某日、歴史探索の旅に出かけた。板橋、王子を巡ったが、王子界隈はガイドさんが案内してくれた。「浮世絵に描かれた江戸名所探索」ということで、飛鳥山公園、王子神社、音無親水公園、王子稲荷神社、名主の滝公園を巡る。それぞれに、広重等が描いた当時の景色風景の浮世絵を示し説明してくれる。ここら界隈は江戸時代の画家の絵心を誘うところだったのだな。

 僕は、ちょっとした旅に小さなスケッチブックを持参することがあるが今回はない。写真は撮らない。歴史が好きなので、説明を聞きながら現実の景色から、浮世絵の時代の風景を想像し心のキャンバスに描いてみる。飛鳥山から北方を眺望すると、今は、JR線が走り、ビルが立ち並ぶが、江戸の時代は、見通しがよく、遥か彼方には筑波山が望める。音無親水公園は、かつては石神井川が流れる景勝地で、川岸には高級料亭が並んでいた。今は散策路に変わり、料亭はなくなり小さな売店で卵焼きを販売しているのみ・・・。 

 歴史を知るということは、これからの時代に役立てることだ。この世の中はどのような歴史のうえに成り立っているのか。将来どうしたらよいのか。豊かになると、たどってきた過去を忘れがちになるものだ。だから歴史を巡る旅は興味が尽きない。

 今回の絵は、飛鳥山からの景色、と、音無親水公園を江戸時代と現在を対比させた。写真を撮ってないので全て記憶のなかにあるものです。

               2019年4月24日  岩下賢治

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小中学校が不足する

2019年04月19日 | 日記

  カロライナ ジャスミンです。

 私は新宿区に住んでいるが、10時ごろになると、大通りから裏通り、あちこちで1〜3歳くらいと思しき幼児たちが、保育士に付き添われて、10人、20人と列をなしていることが多い。お昼前のお散歩なのであろう。5、6年前には見られなかった光景である。あちこちの新築マンションやビルの一角に、新しい保育園が設立されるようになったのも最近の傾向である。
 地方では人口減少が著しいのがが、反面、都心では子どもばかりか、高齢者も増えている。交通の便が良く、病院も多いことから、老人が都心回帰をしているのだし、共働き夫婦も、働き口の多い都心に集まってきているのである。  
 こうした人口の一極集中、構成のアンバランスが、都心では今後、社会問題化するだろうことが目に見えているように思う。
 老人については、今まで地方に設立されてきた老人ホームが、今は都心や近郊に設立されるようになっている。親族が見舞うのに便利だし、また施設でも病院対策が容易だからだろう。地方に比べ高額だが、それを見越して民間の介護業者が都心の開発に精力的になっているようだ。その結果ではあるまいが、都心で死亡すると、火葬するのに順番待ちで、2〜3日は待たされることが普通になっているようだ。
 他方、問題なのは、子ども対策である。
 私の住む新宿では、10年前に、公立の小中学校の統廃合が行われ、多くの学校が廃校になった。跡地はいろいろに利用されているが、売却されたところもある。子供が少なくなったから、当時としては当然の措置だったかもしれない。
 しかし、現在の幼児の増加状況を見ると、2〜3年後には当然のことながら学校不足が生じる。
 ちょっと古いが、統計を見ると、新宿区の平成20年段階の就学前児童数は10,782人だったものが、10年後の平成30年には、3,336人増えて、14,118人なっている。そして3,000人を受け入れる学校となると、少なくとも8校は必要となる。現在は、私立などに振り分け、なんとか凌いでいると思われるが、そろそろ限界だろう。
 この問題、どう対策を講じるのだろうか。
 都市の再開発が進み、児童数は増えているのだ。新宿だけの問題だとも思えない。

 今、各地で統一地方選挙真っ盛り。しかし、この学校問題について、指針を立てている政党や政治家を見たことがない。私立の学校に尻をぬぐってもらうつもりだろうか。【彬】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の桜は

2019年04月10日 | 日記

 今年の春は、どうも心が騒ぐのだ。桜前線がどうのこうのと伝えられると何故か急かれる気持ちになった。夢の中にも、時々桜が出てきて、目の前が、桜色に染まるのだった。

 今まではこんなことはあまりなかった。敢えて花見に行こうという趣味の人間ではないのだが。ああそうか、5月に予定している、絵の展示会の為に、季節柄とにかく「満開の桜」を描こうと決めてからどんな絵にしようか悩んでいたな。問題なのは描きたいと思うからでなく、とにかく描いておこうと決めてしまっていたのだった。そして、描きあげた。実際の桜を見て描いたのではない。想像したイメージの中の大樹の満開の桜、そして、花弁がサラサラ散る絵にした。これでようやく安心していた。

 ところが、それから、花見をしたいと思うようになり気持ちが抑えられなくなった。桜の名所である、小金井公園や、野川公園にランニングの練習に行っては、桜の咲き具合いを見るようになった。だが、自分として満足する桜の風景にたどり着くことはなかった。

 そして、4月7日(日)。いつもの多摩湖往復コースでランニング練習をした。暖かく気持ちがよい。満開の桜トンネルが続く。あまい花の香も鼻をくすぐる。ようやく求めていた素晴らしい景色に会えた。脚は疲れない。呼吸も楽だ。この景色が、つらさを忘れさせてくれたようだ。

 その夜は、自分の描いた、「満開の桜」を眺めながら、杯をあおった。久しぶりの花見だ。

   世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし。在原業平

 今年は、久ぶりに、こんな、日本人の桜を想う気持ちを感じた春である。

 絵はランニングコースの桜トンネル 

        2019年4月9日  岩下賢治

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新元号、柳美里さんのコメントに感動

2019年04月03日 | 日記

                           花見をしました。その時の画像です。

 新しい元号が発表された。様々が感想が飛び交う中、私は作家の柳美里のコメントに強い感銘を受けた。
 ツイッター上で、彼女は次のように言っています。

 令和の考案者だと報じられた国文学者の中西進さんと2010年6月に札幌で対談しました。「万葉のこころを未来へ」というシンポジウム。わたしの他には、作家のリービ英雄さん、楊逸さんがパネラーでした。

 アメリカ人であるリービ英雄さんは「Manyo Voices in the World」というテーマで、中国人である楊逸さんは「アジアの想像力・中国の詩と万葉集」というテーマでスピーチを行いました。中西進さんからわたしに与えられたテーマは「民族詩をめぐって」でした。



 中西進さんからのオーダーは非常にハードルが高く、万葉仮名の原典である「郷歌(향가)」と、朝鮮固有の定型詩「時調(시조)」について、万葉集と比較しながら語りなさい、というものでした。

 しかも、直前に中西さんが楽屋にいらして、時調と郷歌を朗読してほしい、と言うのです。万葉集と通底している響きを聴かせたい、とーー。


 わたしは顔面蒼白になり、朝鮮語を話せる友人に電話をかけました、古語なので発音が難しいのです。

 対談としては史上最大の難関でした。朗読を終え、おっかなびっくり中西さんの顔を見ると、中西さんは朝鮮半島動乱で、百済、高句麗が滅亡すると、多くの人たちが半島からこの国にやってきた。額田王、山上億良、柿本人麻呂ら渡来系の歌人たちは、万葉集において大きな影響を持ったと話されました



 渡来人たちが通訳を介して話していたという記録はないので、当時は別の国の言葉というほどの違いはなく、地域言語(方言)くらいの差だったのではないか。国境もない時代に、半島からの移民の流入による文化交流の中で誕生したのが万葉集である、と中西進さんはおっしゃり、私はとても励まされました。



 ああ、「在日文学」の先輩たちは、万葉集の中にもいるんだ、とーー。
 わたしは、わたしの作品の中で美しい日本語を奏でよう、とそう思いました。



 令和、良い元号だと思います。万葉集を読み直します。

                    以上

 私は元号というものにそれほど重きを置いていないが、以上のコメントにある豊穣な日本文化については、誇って良いのだと思う。古典の研究者はもちろんのこと、在日の優れた作家たちの、奥深い知性にも敬意を表したい。【彬】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする