ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

ついに本音か、中国外相の発言

2015年02月27日 | 日記

絵=スケルトン状態のフーの実

 毎日新聞2月24日朝刊によると、国連安保理事会での公開討論で中国の王毅外相は「今年は反ファシズム戦争の勝利と国連創設から70周年と位置づけ、戦勝国を中心とした戦後の国際秩序の維持を改めて主張。中国は反ファシズムの戦いで重要な役割を果たし、歴史的な貢献をしたとする一方、多大な犠牲を出したと強調。国連憲章の重要性を指摘し、第二次大戦の結果を踏まえ現在の国際関係を支配している基本原則ができあがったと主張した。」として「その上で、こうした点を認めることをちゅうちょする国があると指摘した。」と書いている。

 つまり中国の考え方の根本にあるのは、WWⅡでの戦勝国意識ということであり、彼らのいわゆる「歴史認識」というのは、戦勝国の立場での認識だということだ。だから、日本は敗戦国であるので、戦勝国の利権や意向を汲むべきだということが暗に表現されている。

 日本は戦後、敗戦国として憲法を始め戦勝国の意向に添ってきた。しかし、その場合の立場は世界の恒久平和という人類の理想を求めるものとして方向である。だから敗戦は戦勝国に単にひれ伏すというものではなかった。

 王毅外相の発言だと戦後世界は反ファシズムだという。ほんとかいな、と思う。そして、中国共産党がWWⅡの戦勝国だというのも眉唾だ。日本が戦ったのは、蒋介石の中国であり、南京は蒋介石政権の牙城だったのである。また、ファシズムと一国社会主義は歴史の裏表であることが、2~30年も前から明らかにされている。ソ連が崩壊したのもそのためだ。王毅外相の言っていることは、歴史的事実に反するし、現状認識においても誤っている。

 私は、いろいろな機会に中国の主調は戦勝国の利権を主張するものであって、ロシアが北方を占有するのと同じだと言ってきた。それが今回の王毅外相の発言ではっきりとした。これが中国支配層の本音なのであろう。【彬】


 

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伝える、ということ

2015年02月21日 | 日記

絵=裸木のスズカケノキ 

 ソーシャルネットワークの機能が発達して、誰もが自由に発言、発信できるようになった。このブログもその一つである。そうしたことから、自分自身を物書きだとか、ジャーナリストだと思い込む人が出てくる。あるいは僭称することになる。

 そもそも芸術家がそうだが、ジャーナリストというのも同じように、元はパトロンがいて、その指示によって、情報を集めるというのが始まりである。例えば、オランダの貴族がフィレンツェの商品動向を調べて報告しろ、と言ったように。つまり、伝えるということは、パトロンの要請に応えるということなのである。そのパトロンの数が多くなり、主客が転倒したとき、ジャーナリズムが成立するのである。その構造を敷衍すれば、今日、ジャーナリストは読者あるいは視聴者の要請に応えるという仕組みということになる。

 ところが、読者や視聴者というのは不特定であるため、国民と読み替えることができることから、ジャーナリストの報道は国民の知る権利を代行するものだというような幻想が広がることになる。そうした妄想に、自称ジャーナリストという人たちが組み合った時、原発事故の風評やらイスラムへの渡航など鼻息の荒い問題が発生するのだ。 

 マスメディアが表出する言辞や映像は、決して国民の知る権利を代行したものではないし、語られている内容が必ずしも事実ではないことを知っておきたいものだ。

 知らせるということがどういうことか、歴史を遡って確認しておきたいのである。知る事より、正義感とかやらのイデオロギーに包まれて、知らせることの方に前のめりになったジャーナリズムには、よくよく注意したいものである。 【彬】

 

 
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脱皮

2015年02月20日 | 日記

 私は、仕事の都合でこの4月始めに、14年間住んでいた茨城県某市から、自宅のある都下某市に戻ることになり、2月中ごろから引っ越しの準備をしている。東京の自宅は、そのままでも住める状態にしてあり、茨城の住まいから何を移動するか悩むところである。身一つ移せばそのまま生活できるので、当然、いかに多くのものを捨てられるかが悩みとなる。

 必要なものと、そうでないものを分けること。先日、「彬」氏が「分ける」ことについて書いておられるが、我々が生活していく過程で、さまざまな「分ける」に出会うものだ。

 今回の引っ越しを機に、同じことの繰り返しではなく、新しい観点から「分ける」ことをしようとしている。

 そんな中での小さなこと・・・。2年前、ブログ「世界の言葉」で書きましたが、趣味で8カ国の言葉を勉強している。これは私にとって一番の趣味と思っている。随分まえからNHKテレビの語学講座を続けてきており、その大量のテキストが押し入れの中や、居間のフロアーに積み重なっている。大切なものでいつも手元に置いておきたい資料だがこのままの状態では進歩がない。茨城で始めた、アラビア語とロシア語の外はすべて捨てることにした。自分にとって、遠く難しい国の言葉にもう少し力を入れてみようと考えてた訳だ。

 この二つの言葉が使われている地域は、今大変な問題を抱えている。素晴しい歴史、文化を作り出してきたこれら地域の人々が苦悩している。言葉を知ることは、歴史と文化を知ることにつながる。歴史と文化を通じて、少しでも近づきたいと思うのだ。

 茨城から東京に移ることで「分ける」というか、今までの自分から脱皮したいと思っている。

  絵は最初に手にした、NHKテレビ語学講座、ロシア語とアラビア語テキストの表紙。     

                                2月17日  岩下賢治

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節分、あるいは分けるということ

2015年02月10日 | 日記

絵=入澤光世・節分の鬼

 2月3日、節分はおわりましたが、福は内、鬼は外の豆まき以外の、節分ということの由来を知りたくなった。

 ネット上で調べてみると、節分というのは、文字通り時期を「分けること」のようだ。つまり季節の境目。陰暦のことだから、現在の感覚にはそぐわないが、節分の翌日が立春であるから、ここから春がくるよ、という境が節分ということらしい。だから当然、夏、秋、冬にも節分がある。

 暦は、世界のどこの地域でも農業歴なのだが、日本のようなモンスーン/稲作地帯では、稲作を中心とした種まきの季節が特に節分の区切りとして、後世に引き継がれているのだろう。太陽暦だと現在の季節感にはどうしても一致しない。

「分」という漢字からいろいろ類語が思い浮かべられる。分配、分数、幾分、区分、一分、二分、取分、案分、多分、などなど。季節だけでなく、私たちの生活感覚が「分ける」ということから成り立っていることが分かる。科学の基本も分類から始まるのである。また身体の内部については、気分という言い方もある。つまり心理学である。

 近年、衣食住すべて、季節感がないなどという言説があるが、私などエアコンなど完備すればするほど季節感に敏感になり、天気予報が気になる。例えば寒さ暑さは、コンクリート家屋のエアコンンが完備した住宅に住んでいる方が、外気に触れた時に余計感ずるものだ。分けるという考え方の基盤が、文明と共に大きく変わってきているのだろうか。福岡伸一博士は「世界は分けてもわからない」(講談社現代新書)という書物を上梓しているくらいだ。【彬】

 
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