ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

春の嵐、青春の時代

2017年02月25日 | 日記

 2月17日、関東地方に春一番が吹いた。そして、強い風が吹きまくる「春の嵐」の季節になった。肌を刺す冷たい風もあるが、時折、暖かな空気を感じられる時、胸騒ぎがするようで、何かに憧れるような、甘い若葉の匂いが、鼻孔から脳の奥で感じられる。寒い冬の殻を破りいよいよ春に移り行く。春の季節からは、青春時代が連想される。

 すると、1910年発表のドイツの小説家ヘルマン・ヘッセの「春の嵐」が浮かんでくる。主人公である青年作曲家クーンの、交友、親子関係、女性への成就できぬ想い、親友や親の死、をめぐる、切なく、愛おしく、また、不条理とも思える辛い青春時代を描く。僕には、青春時代は辛いことばかりだが、人間が成長するためには避けては通れない時期なのだ、と読める。

「春の嵐」の原題は、ゲルトルード(Gertrud)で、主人公が慕う女性の名前。

 邦訳では「春の嵐」。これは名訳だと思う。つまり、「青春の、切なく愛おしく辛い時代」、と読み替えられる。

 さて、話は飛んで、現代の世の中。しばらく前は、現代は成熟した大人の時代のように思っていた。ところが、己の利益を最優先するというような、100年も前の主張が地球のあちこちで報道されている。歴史は繰り返すというのであるならば、少年期、青年期、壮年期、成熟期、という連続の中で、今は、成熟期から少年期~青年期あたりに振り戻されているのかもしれない。青春・青年期は、悩みの季節だ。何が正しいか、何をすべきか、歴史をよく見直すことになるだろう。この今の時代は、本当の大人に成るために、避けて通れない時代なのだろう。

   絵は、主人公クーンのピアノで歌うゲルトルード

          2017年2月25日   岩下賢治

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気候と生活__豪雪地帯に思う

2017年02月19日 | 日記

 日の当たる草むらに、早くもスズメノエンドウが赤い花をつけ始めています。

 今年は例年になく雪が多い。関東人である私はスキー、スケートなど冬のスポーツを嗜まないから、雪や寒さに対する実感がないのだが、地域により今年の雪は恐怖を伴うほどの豪雪のようだ。近年、温暖化など気候の変動が問題視されているが、ニュース画像などを見ると、もっと生活に即した気候対策を考えた方が良さそうに思う。

 気候と生活の関係は我々が思う以上に密接で、例えば縄文人の消滅は、列島の寒冷化によるものとの説が定説になりつつある‥東北地方の方言が独特の発声をするのも、気候が関係しているとも言われている‥明治期、山岳や東南アジアを歩き巡った志賀重昴は日本がモンスーン気候のもとにあるとして、日本の風土を特徴づけたのも生活習慣と気候がどれほと関係深いかを表している、等々。

 今日、電気、ガスの開発発展であまり気候を気にせずに生活できるようになったが、それでも寒冷地の冬場で生活する人たちの苦労は並大抵ではなかろう。私の知人で山形出身の人がいるが、寒くて田舎に帰る気がしないと言っている。

 思うに、気候による地域差に配慮し、例えば日本海沿岸地帯、太平洋沿岸地帯、オホーツク海沿岸地帯、太平洋南沿岸地帯と四つにわけ、都市計画もそれぞれ別々の構想のもとに進めるべきではないか。

 日本海沿岸地帯については、都市と家屋の地下化あるいは半地下化を進めるのはどうか。雪降ろしの苦労を解放するには、屋根を低くし、採光を工夫する以外ない。地下構造の方が雪の重さにも耐えやすいし、保温も安定できる。そして道路は一方通行化する。雪面での対面交通は事故の危険が増すし、たとえトラブルが発生しても一方通行なら路肩に寄せ処理も容易だ。さらには降り積もった雪は片側に寄せるだけだから、かなり楽になる、などと夢想する。豪雪地帯の上越市はかつて雁木の街路があったので有名だが、古くからそれなりの対策はあったのだ。新潟出身の田中角榮「列島改造論」の中に、多少なりともそうした構想の片鱗があったなら、などと今は残念に思う。【彬】

 

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グローバル化を考える、ヘッセを読みながら。

2017年02月10日 | 日記

 最近、ドイツの文豪ヘルマン・ヘッセの「シッダルタ」を読んだ。昔読んだ時は難解で印象に残らなかった。が、今読み直して深く感動をうけた。

 物語は、古代インド。釈迦(シッダルタ)が聖賢への道を選び修行を積むが悟りを得ることができずにいた。思うところがあり、俗界に下り、高い地位を得る。が、いまだ満たされることがない。老年に至り「川」の前に立つ。水の流れを見続け、見続け、そして見続け、最終の、悟りを得る。「シッダルタ」はヘッセ個人の精神的、思想的な苦悩と作風の変化を表しているとされる。発表は、1922年で、第一次世界大戦が終わり、ヨーロッパ文化、思想に疑問を抱き、東洋思想に救いをもとめていった、のように。

 このようにすばらしい文学をその中にだけ留めず、作品を介して、現実の世界を見たい。少し、飛躍し、スケールも大きくなるが。

 グローバル化は、世界の平和、発展への大きな流れである、とされる。EU設立は第二次世界大戦の反省に基づくものともいう。TPPは環太平洋の国々の発展のためだという。グローバルな自由経済は、世界の資源が適正配分されるという「貿易の比較優位論」が背景にあるようだ。一方で、国家間、国内での経済所得の格差、固有文化の喪失、などが副作用のように生じることもある。国内産業の構造改革は容易ではない。EUやアメリカなど先進国での反グローバル、保護主義の動きは理解できる。自由貿易と保護貿易は相いれないものなのか。統一はあるのか。歴史文化、宗教、習慣、・・・をもよく見なければいけない。

 ヘッセの「シッダルタ」での「川」を、「現実世界」と読み替えてみる。本当によい姿は何なのか。その答は、現実を、よく見る、見続ける、そして得られるのではないだろうか。 

 さて、ヘッセの作品には高校生の頃、大きな影響を受けた。「シッダルタ」はこの1月から、ドイツ語の原書(Siddhartha)で読んでいるが1/3ほど進んだ。手塚富雄氏の素晴らしい日本語訳、ドイツ語の明確さと深み。日本語とドイツ語は違う。違いを理解して、一つの格調高い芸術作品を味読する。上記、グローバル化への課題の回答への糸口は、それぞれの違いをよく理解することではないでしょうか。

  絵は、シッダルタが遊女「カマラ」に初めて出会うところ。

     2017年2月10日   岩下賢治

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トランプ大統領の指摘と通貨の問題

2017年02月06日 | 日記

  愛用のバカラ

 トランプ大統領は就任早々、日本と中国は為替管理をしていると警告した。が、中国はとにかく、日本は為替管理をしているという事実はない。トランプさんは事実でないことに何を喚いているのかと、メディア関係者らがいぶかった。

 しかし、冷静に見ると、日本は為替管理に相当する金融政策を行っていて、日銀による預託貸出金利のゼロ・パーセント化を始め、国債の大量買いによって、市場に流動性をじゃぶじゃぶと流し、対ドル相場を90円台から110円台まで押し下げ、結果的に為替管理に相当する施策をしてきたのである。トランプさんはソフィストケートされた政治経済用語を使わないから誤解されやすいが、彼の言っているところはちゃんと理解すべきだ。

 ところで、世界経済の将来を展望する時、アメリカ大陸からアジア、アフリカ、ヨーロッパと、世界中を飲み込んだ共通通貨をどうするのか、と言う問題がこれからの最大の課題になってくる。戦後、金本位制の廃止からはじまった金融改革は、当初は圧倒的なドルによって安定した運用が進んだようにみえるが、日本を始め新興国の発展に伴って、ドル支配がゆらぎ、結果としてドルの切り下げ、そして市場に任せるという為替制度ができた。さらにその後、円、元、ユーロなどが、世界市場でのシェアを伸ばすに従い、世界経済の低迷を背景とする通貨改革の問題が課題となってきているのである。トランプさんの苛立ちは世界通貨のあり方の矛盾に対するもので、経済の専門家がこの問題に触れないのが、私には不可解だ。

 現在、ヨーロッパでは、イギリスのEUからの離脱など、世界の統一に向かうべき筋道が、国家という厚い壁にぶつかってニッチもサッチもいかなくなっている。トランプさんの言動はそうした事態への後ろ向きの発言、いわば反動だが、といって我々に未来に突き抜ける指針はなにもない。ただ、ポリティカル・コレクトなどと喚いているにすぎない。

 世界通貨はいずれ一本化せざるをえないはずで、その場合、ビットコインなど、仮想通貨が想定されよう。ビットコインについては野口悠紀雄さんが積極的に発言していることを喚起したい。【彬】

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