2月17日、関東地方に春一番が吹いた。そして、強い風が吹きまくる「春の嵐」の季節になった。肌を刺す冷たい風もあるが、時折、暖かな空気を感じられる時、胸騒ぎがするようで、何かに憧れるような、甘い若葉の匂いが、鼻孔から脳の奥で感じられる。寒い冬の殻を破りいよいよ春に移り行く。春の季節からは、青春時代が連想される。
すると、1910年発表のドイツの小説家ヘルマン・ヘッセの「春の嵐」が浮かんでくる。主人公である青年作曲家クーンの、交友、親子関係、女性への成就できぬ想い、親友や親の死、をめぐる、切なく、愛おしく、また、不条理とも思える辛い青春時代を描く。僕には、青春時代は辛いことばかりだが、人間が成長するためには避けては通れない時期なのだ、と読める。
「春の嵐」の原題は、ゲルトルード(Gertrud)で、主人公が慕う女性の名前。
邦訳では「春の嵐」。これは名訳だと思う。つまり、「青春の、切なく愛おしく辛い時代」、と読み替えられる。
さて、話は飛んで、現代の世の中。しばらく前は、現代は成熟した大人の時代のように思っていた。ところが、己の利益を最優先するというような、100年も前の主張が地球のあちこちで報道されている。歴史は繰り返すというのであるならば、少年期、青年期、壮年期、成熟期、という連続の中で、今は、成熟期から少年期~青年期あたりに振り戻されているのかもしれない。青春・青年期は、悩みの季節だ。何が正しいか、何をすべきか、歴史をよく見直すことになるだろう。この今の時代は、本当の大人に成るために、避けて通れない時代なのだろう。
絵は、主人公クーンのピアノで歌うゲルトルード
2017年2月25日 岩下賢治