ひどい雨だ。台風とはいえ、地域共同体を壊滅するような雨である。こんな雨の中では、何か考えることさえ、憂鬱になる。
憂鬱なことが輪をかけるようにかぶさってくるのが東京オリンピックの組織委員会の諸処の問題である。招致の発端となった石原元知事の発案では、既存の施設を使える東京は、最も省エネで安価な大会ができるということだった。ところがどうだ。国立競技場の建て替えを始め、総費用は当初の数千億から、2兆円を超えるのではないかと噂されるようになっている。
大きくなっている理由ははっきりしている。巷間言われているような工事費の高騰に関係しているのではない。大会の規模が大きくなっているのである。一つには競技団体の追加、競技施設の大規模改修、それに大会組織委員会そのものの拡大など。特に大会組織員会の構成がひどい。ネット上で公表されている組織委員界の仕組みは、国家の一行政機関に相当するような大掛かりなものだ。森善朗組織委員長を筆頭に、事務局長をはじめ、ぎっしりとメンバーが揃われている。そのメンバーは当然、利権を背負っている。下から要望を積み上げていけば当然、兆を超える金額になるのだろう。
あらためて言うが、オリンピックというのは、国家行事ではない。自治体、つまり都市の行事である。だから大会の招致をめぐるイベントでは、当時の知事だった猪瀬知事が先頭に立った。そうし経緯からすれば、組織委員長は当然、都知事が負うべきものである。結果、大会開会式は自治体の長が発するものであって、1964年東京オリンピックの時は東知事が宣言した。
それなのに、オリンピックは国家行事に成り変わった。大会は国家の威信をかけての行事になったのである。当然、費用が高騰するわけである。
そんな事情を舛添知事が知らぬわけではあるまい。
舛添さん、頼みますよ。あなたは自身、政治家であるより、学者であるより、まずもって良質な市民であるのでしょう。都民として、その首長として、その気概において、オリンピックを仕切ってもらいたものだ。【彬】
入澤光世=南瓜