ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

へッセで青春を取り戻す。

2024年03月31日 | 日記

 3月から、ドイツの文豪、ヘルマン・ヘッセの、車輪の下、「Unterm Rad」を読み始めている。この作品には特別な思いがある。

 大学の第二外国語でドイツ語をとり、一通り勉強が済んで、高校生のころからの愛読書、車輪の下、「Unterm Rad」に挑んだ。だが、初心者には歯が立たなかった。かなりショックを受け、その本は本棚に置いたまま相当の年月が経った。その後勉強を続けるうち、ほかの作家の文学作品はドイツ語で読んできたがこの「Unterm Rad」だけは、不思議なことだが、読むことがなかった。

 大好きだった彼女に振られ、忘れようとしている感覚なんだな。

 そして、長い年月を経て、今、青春を取り戻そうと、読み始めた訳だ。ストーリーは、ドイツの小さな田舎町で生まれ育ったハンス[Hans]は、大変優秀な少年で、周囲の期待を背負いながら、神学校に進むが、様々な悩みを抱え、やがて悲劇的な最後を迎える。ヘッセの自伝的作品とされているが、青春とは悩み多き時代というのは、どこの国でも誰でも同じなのかな。

 ヘッセの作品は他にいくつか読んでいるが、この「Unterm Rad」はドイツ語が難しい。だが、これを読み終えれば、欠けていた青春の一部を取り戻せそうな気がする。

 さて、天才少年ハンスの容姿は次のように描かれている、

 まずドイツ語で

 In dem hubschen, zarten Knabengeschhit brannten tiefliegend, unrihige Augen mit truber Glut, auf der schonen Stirn zuckten  feine, Geist verratende Falten, und die ohnehin dunnen und hageren Arme  und Hande hingen mit einer muden Graizie herab, die an Botticelli erinnerte.

  そして日本語で、

 かわいいきゃしゃな少年の顔には、くぼんだ、濁ったように燃える、不安げな目。きれいな額には才能を現わしてしているシワが、ピクピクと動く。そうでなくとも細くやつれた腕と手がきゃしゃに垂れている。それは、ボッチチェリを思い起こさせる。

 絵は12才の時のヘルマン・ヘッセ。本の表紙の写真をスケッチしたもの。

   2024年3月30日  岩下賢治

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乾燥肌と老人

2024年03月29日 | 日記

               ツバキ

 前々回だったか、乾燥肌に悩まされている、という投稿をした。かれこれ6ヶ月に渡って、症状に悩まされているのだが、依然として完治に至っていない。皮膚科の医者は、保湿剤と炎症を抑える軟膏を処方するだけで、「だいぶよくなりましたね」と診断するばかり。
 老人になると皮膚が乾燥するのだろうか。
 ネット上で調べてみる。すると老人の乾燥肌は「皮膚感覚の情報機能が衰えて、中枢神経に状況を伝えるのが遅くなっている」からだという。なるほど、年を取るほど鈍感になるから、血流などでカバーすることができなくなり、厚着をして保温するしかなくなる。その結果が乾燥肌ということなのか。だから若者ほど薄着だと、いうことになる。
 昔、あるアスリートのこんな話を聞いたことがある。
 「強いトレーニングをすると、どうしてもマッサージとか手当てが必要になる。私は針が欠かせなかったが、そこでの経験だが、ヨーロッパの選手というのは、同じ針治療でも、太い針がスッと入っていく。私などは丁寧にゆっくりとトントントンと打っていってもらうのだが、いきなりズッと入ってしまう。何か肌の密度が違うように思う。」と。
 細胞の密度が違うというのである。敏感なのか、鈍感なのか。確かに寒くでも薄着をしている外国人が目立つ。
 乾燥肌のことに敷衍すると、日本人の肌は相当敏感なのではないか。海水浴になどにいくと肌は真っ赤に腫れ上がり、黒く落ち着くまで時間が必要である。日本人の肌はきめ細かいという。何か気候に影響された民族的特徴があるのではないだろうか。
 日本人の肌、それへの対処法など、もっと知りたいと思う。年寄りが、痛めどめの湿布薬をベタベ貼ったりとか、逆に保温材を貼り付けたりというのは、何か民族的な理由がありそうである。【彬】

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化粧する男子

2024年03月25日 | 日記

              ナノハナ

 私はよく銭湯に行く。ある時、そこで見た光景にびっくり。
 22,3歳と思しき青年が、湯上がり後に入念に顔パックをしているのである。そして着替えてロビーに出てもまだ剥がさない。パックは1時間以上していないと効果がないのだろうか。
 男が化粧するのは、歌舞伎役者だけではなくなってきているようだ。街中では、色白の男性をよく見かける。しかも唇を真っ赤にしている。明らかに口紅をつけているのだ。あるいは髪を金髪や、白く染めている人もいる。なんだか異様だ。おそらく韓国のエンターティナーに影響を受けているのだろう。
 そういえば、テレビタレントで、金髪・赤スーツの男性がよく登場しているから、男性が化粧するのも今は違和感がないのかもしれない。
 もちろん、男は男らしく、女は女らしく、といった時代ではない。しかし動物が本来保持している性別というのは、文明文化で変わるものではないから、異様に思うのである。この性差を否定するというのが、今流行りの「ジェンダーフリー」という事なのであろう。
 私にはこうした風俗・ファッションには時代の背景があるように思える。多分、晩婚化、子供を産まない生活、といったものなのではないか、と想像する。今日では、マンションで一人ぐらしをしていても違和感がない。近くのコンビニで出来合いの食品や日用品をいつでも安価で手に入れられる。洗濯や清掃、ゴミの処理もそれほど手がかからない。それに仕事も自宅でのリモートワークができるとなれば、独身で過ごすことがそれほど難しいことではなくなってくる。結婚してさまざまな面倒な処理をしなくてもいいのである。
 そんな時代に到着しているのだ。国家経済の発展、少子化対策などというのは、若者の時代感覚にそぐわないのは明らかである。「彬】

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夫婦同姓は桎梏なのか

2024年03月22日 | 日記

                 モクレン

 毎日新聞が報ずるところによると「婚姻時に夫婦が同姓か別姓かを選べる「選択的夫婦別姓制度」の法制化や議論の活性化を国に求める意見書について、香川県内の全議会(県議会と17市町議会)での可決が19日、実現した」とのこと。夫婦別姓を求める動きは以前からあって、国会や裁判所でも審議審査された経緯があるようだ。

 ところで私が疎いのか、現在の夫婦同姓にどんな問題があるのか、まったく実感がないのである。結婚しても姓を変えたくないという人はいるだろう。ならば変えずにいればいい。職場なのでは旧姓のままに過ごしていて、なんら問題もないはずだ。罰則もない。ただ、給与明細や、公式の場、たとえば選挙権、健康保険証などは旧姓のままという訳にはいかない。法的な権利関係が及ぶからである。でも私たちは法的に日々の生活を送っているわけではないから、普段の生活上では、姓の選択は自由だ。姓というのは、ペンネームのようなものだと思えばいい。

 昔は夫婦別姓のことより、姓の変更のほうが問題だった。金とか朴とか、苗字を変えないと韓国人だと思われるので、姓を変えないと結婚できない、などの話は現実に存在したのである。

 法制の問題として、これを扱うとすれば国籍と関わりが出てくるので、簡単ではない。戸籍などいらないというのなら、話は簡単だ。アメリカなど多くの国では国籍のみで、戸籍はない。そしてなんら問題も起こらない。日本も江戸時代までは戸籍はなかった。戸籍らしきものは各地の寺社が保管していた。封建時代は人よりも土地が統治の基準だったからだ。だから苗字がなく「どこそこの誰べえ」で所在が確認された。

 今は各人が家族を単位とした戸籍を持ち、それを国籍として登録しているのである。だから夫婦別姓は家族法と関連してくる。日本では、なぜ戸籍が発生しコミュニティを維持する基本となるのか、改正を主張する人たちは、まず家族法のどこがどのように問題なのか論じてほしい。そして将来の家族はどうあるべきか展開してほしい。単に別姓がほしいというのなら、今のままで、別姓で生活したら良いのではないか。【彬】

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上達しない絵

2024年03月17日 | 日記

            パンジー

 我が家の鉢植えのパンジーを描いたつもりですが、思ったように描けません。意図したのは、綺麗な紫いろの花びらを、春らしくか〜るく表現したたったのですが、意図とは逆に重苦しい色になってしまいました。
 透明水彩を工夫して使っているのですが、なかなか上達しません。絵画教室に通え、というアドバスもあるのですが、それほど大袈裟なものではないと思い、独学です。ありがたい事に、今は YouTubuにベテランの絵師が描き方をアップしてくれているので、それを参考にしています。
 表現というのは、むずかしですね。
 というこのブログも、コトバの表現です。コトバの表現は絵の表現以上に難しいものです。その難しさを、自戒しての投稿ですが、誤字・脱字が多いのが面目ない。【彬】

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