ホウノキの花です。
毎日新聞が高知県大川村での議会議員選挙を取り上げ、人口減・過疎の結果、議員の欠員状況を報じている。5月29日朝刊「記者の目」
議員不足はこの村だけでなく、全国各地の問題だ。議員がいなければ地方自治は成り立たない。深刻な問題だと思う。所管する総務省も頭を痛めているらしく、有識者で「町村議会のあり方に関する研究会」を設置し、対策を講じているようだ。
議員のなり手がいないのは、報酬が少ないからである。国の交付税にかろうじて頼って運営している町や村の予算に議員報酬を上げる余地はない。だから議員は名誉職であったり引退者のボランティアまがいの活動に頼ってきたのだが、今では地方の過疎地で、そうした余裕ある人は稀になっているのだ。
こうした危機的な自治、というのは何も過疎地に限らない。
大都会でも同じだ。議会議員ではなく、マンションの自治である。住んでいる人は多いが理事を引け受ける人がいない。放置しておけばスラム化するだけである。
こうした事態は自治の問題というより、もっと大きな、近代社会での共同体のあり方が過渡期にあるからだろうと思われる。共同体というと大げさかもしれないが、誰が住んでいて、誰が生まれ、誰が死んだか、お互いが了解し合うのが共同体のあり方の「もと」である。そこにお互いの利害の調整が行われる。
ところが、今日、地方でも都会でもまともに葬式は行われていない。家族葬などで済ませている。共同体が崩れていることの証明である。
私は自治については、自分達で治めるという考えから抜け出す時期・事態に至っていると、思っている。地方に限らず、委任された代表者が、いろいろ差配するというのは不可能だし、現にそうした差配を行なっているところは皆無である。行政にしろ、議会は後追いで追認しているのがほとんどである。
おそらく、今後は、地方の行政に限らず、マンションなどでも問題の処理を、追認という形で管理業者への委託という道を取らざる、をえないのではないか。
もちろん主権は住民にある。そこで問題となるのは、委託業者の能力、資格ということになる。委託方法、委託内容の細目など、法的に整える必要がある。それに、最大の問題は、主権である住民の、条例の施行といったシステムをどのような手続きにすべきか、これが最大の課題となるはずだ。
自治の問題は、今、大阪で広大な実験の過程にある。都構想の大阪にもっと注目すべきである。【彬】