絵は諏訪博物館の蛇体装飾付釣り手土器=縄文中期
正月明けに長野県の諏訪に行ってきた。
諏訪は自然の風景を含め、いろいろ考えさせることの多い場所である。名著「銅鐸」の著者である藤森栄一さんは、その書物の中で、「田圃の川はいつも水が一杯にあふれ、底には一年中、緑の紐のような川草が、しきつめたように繁り、その中を鮒やハヤが群れているのがすきとおってみえた。I の村は、その蛇行する川の中にはさまれていた」と諏訪の風景を描写している。
私の今回の目的は諏訪博物館。ひょっとして、そこにススキや葦などの禾本科の植物の根に着く鉄屑のような塊であるカツ鉄鋼が、展示されているのではないか? と思ったからである。残念ながらそうしたものは、カケラもなかったのだが、藤森さんが書いている情景を彷彿される、幾筋にも蛇行する川べりには、葦の枯れた穂がびっしりと埋めつくされていた。
諏訪湖は水深が浅く、過去に何度も洪水に見舞われている。それを防ぐために、湖から水を放出する土木工事が繰り返され、そして干拓が進んだ。かつては諏訪神社上社の前まで湖だったそうだ。湖から流れ出る出水口が急流で名高い天竜川の起点である。そんな地形によるのか、諏訪、塩尻、松本、飯田などの一帯は、大和朝廷の支配力・影響力が強くは及ばなかった地域とみられている。ということは、朝廷以前の、弥生、縄文の名残が数々の神事や遺構にかすかにか残されているということだ。その象徴が銅鐸であり鉄鐸なのである。
このような古代学については、私のような素人はただ傍観する以外はないのだが、その雰囲気に触れたくて、冬の諏訪を訪れたのである。【彬】