9月23日は秋分の日。僕の中の詩人の部分が、秋の「風情」、「花」を求めるので外出することにした。秋分の花と言えば、彼岸花だ。姿美しく絵になるのだが、子供の頃、墓場に咲く花、とか、歯っかけ婆さん、だとか言って敬遠していた。だから、今でも彼岸花、曼殊沙華、を見に行く気にはならない。ところで、植物の持つ毒素を、モグラ、ネズミ、虫、などが嫌うので、墓の周りに植える習慣があったのだそうだ。
そうなると、コスモスの花だな。何年か前まで茨城に住んでいたが、里山をドライブするこの時期はコスモスの花を愛でることが多かったな。
ランニングの練習のためよく出かける小金井公園。練習コースのすぐ隣に、コスモス畑がある。普段はほとんど関心もなかったが、この機会に行ってみた。何本かのアカシアの木を囲むように畑は広がる。白、ピンク、紫色、の花は、五分咲き。来月半ばの満開であろう時期には、コスモス祭りが開催される。
しばらく、コスモスの群生を楽しみ、公園を散策し、初秋を満喫する。そして、秋の花は、コスモスだな、などと勝手に決めつけたりする。だが、なぜ、この花を、西洋人は、コスモス(宇宙)と名付けたのだろうか。ギリシア語の、同じ宇宙(コスモス)からきている。つまり、秩序、規律、をその花に見出したようだ。僕には群生が星の散らばりといわれれば了解できる。
この日は、まだ夏の空気が混ざっているようで、蒸し暑さが残る。大変暑かったこの夏も過ぎ秋に移ろうとしている。この季節の変わり目の風情がいいのだ。
絵は、小金井公園のコスモス畑。
2018年9月23日 岩下賢治