ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

いかに、より長く、より良く生きていくか。

2018年02月27日 | 日記

 

 米国TIME誌の、2月26日付け特集は、「いかに、より長く、より良く生きていくか」How to live longer better。 32ページに亘る力のこもった記事で、おおいに関心を持ちさっそく読んでみた。内容は表題に関わる、様々な、学説、現状、話題などの紹介となっている。

 その概略をそれぞれの記事単位に順に書いてみよう。

①    高齢化社会で、最も難しい病の一つ、アルツハイマー型認知症。その原因となる脳神経に粘着するたんぱく質、アミロイドAMYLOID を壊す画期的な治療薬, aducanumab,の開発状況の紹介。記事では臨床実験にボランティアで協力する夫婦を紹介。

②    ロシア、フィンランドなどでは、真冬に氷の浮く水のなかで水泳を楽しむ人達がいる。

 寒中水泳は、100年以上の歴史があり愛好クラブもある。そして、かなり高齢になっても続けている。水泳で体の痛みがなくなり、血液の循環がよくなるという。・・・掲載されている、泳いだ後、仲間とともに雪の上を転げまわり戯れる白髪の老人たちの写真。シロクマのようである。

③    老化防止に役立つ、酵素NADの紹介。 臨床実験でも効果が確認されている。あるメーカーはサプリメントとして販売している。

④    信仰心ある人は長生きできるか? あるレポートでは16年間の追跡調査の結果、週1回以上教会に行く人は、そうでない人より33%死亡率が低いという。宗教の教義ではなく、敬意、哀れみ、感謝、慈善、などからもたらされる人間の繋がりのようなものが長生きになるのだろう。

⑤    豚の臓器の人への移植の将来は? 今、全米で臓器移植を待ちながら叶わず、亡くなる人は年間、8000人。臓器不足に対応し、某大学研究所では豚の臓器を人に移植できるよう編集したDNA(CRISPR)の試験をしている。多くの利点があるものの動物の臓器を移植に使うことの倫理的問題はある。

⑥    死をもっていかに平安をつくりあげるか? ある文化人類学者は、「死は人間の行動の源泉である。」と言う・・・自らに終わりがあると思うから、偉大な発明や、芸術作品を創り出す力がだせる。

 若い時代は死を恐怖に感じる。が、歳重ねるにしたがい薄れていく。それは、自ら作り出してきたものは、次の世代に移っていくものと思えるようになるからだろう。

⑦    アーミッシュの人達(AMISH)からなにを学ぶか? ペンシルベニア、オハイオ、インディアナ、にアーミッシュと呼ばれる、ドイツ系移民でキリスト教非主流派の人達がコミュニティーをつくり、移民時代の生活様式そのままで暮らしている。彼らは車、テレビ、電話など文明生活を否定し、自給自足で肉体労働がほとんど。肥満、糖尿病がすくない。婚姻はコミュニティー内で行われ優良な遺伝子が受け継がれているようで、一般アメリカ人より寿命は10%長い。人生の終焉は家族親戚に見守られ迎える。

⑧    年をとったら新しい友人を作るべきか? 孤独でいる人はとそうでない人に対し26%の割合で死亡リスクが高いとの研究結果あり。友人を見つけるのに遅すぎることはない。

 以上が概略です。さて、人生100歳時代と言いながら、体と心の健康、生活の充実をいかにしていくか、やさしくはないと思う。TIMEの記事内容はアメリカなど外国の話だが、食事、運動、友人、社会とのつながり(仕事)が大切だということは日本と共通している。僕としては少しは視野がひろくなった気にもなり、これからも健康に注意していきたいと思う次第。 

 絵は記事に掲載された写真を絵にしたもの。女性がダンスしている。

         2018年2月26日  岩下賢治

 

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電車、横座りの不快さ

2018年02月25日 | 日記

ボケの花

 ずっと昔から思っているのだが、電車の車内はなんで横座りなのだろうか?思えばバスも昔はそうだった。
 きっと、横座りの方がお客の収容効率が良いとおもわれているのだろう。確かに横座りの方が立つスペースは広く取れそうだ。一車両にぎゅう詰めすれば、横座りの方が多くの乗客を詰め込めるのだろう。山手線のある車両では座席を設けないものがあり、通勤時にかぎり座席を折りたたんでしまうくらいだ。しかし物体を運ぶのならともかく、人間の移動に供する乗り物としては最低の処方だと思う。

 横座りの難点は幾つでも挙げられる。まず言いたいのは前の座席の人と目線が合ってしまうこと。目線だけでなく仕草が見えてしまう。この不快さを避けるために、読み物を広げるとか眼を閉じるとか、する以外にない。また混雑時に真正面に立たれることの不快もこの上ない。そのほか、脚を投げ出したり、広げられること、居眠りをされること、細かく言えば限りない。
 加えるに、横座りのせいで出入り口付近の動線が錯綜し、これが乗客同士のトラブルの元となる。

 乗り降りが頻繁で混雑する都市交通では、座席は横座りやボックス型ではなく、一列の縦座りがベストと私は思う。縦座りにすれば混雑時でも上記のような不快さは避けられる。それに立つ人の方向性が前向き一方になり、乗降の動線が自然と確定する。縦だからといって一列なら、収容率が減るとは思えない。
 海外のことはわからないが、横座りは日本特有のことではないのか? 映画やニュースで見る欧米の地下鉄はボックス型になっているように思う。【彬】

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スマホが解放した電車内空間

2018年02月18日 | 日記

我が家のヒヤシンス


 電車通勤の労から離れてもう何年にも経ち、その風俗に触れることが少なくなったが、今、時々利用する車内が、以前とかなり違っていてびっくりすることがある。
 最近の経験だが、通勤時間から少しずれた午後7時過ぎ、立っている人が数人で、地下鉄の座席はほぼ埋まった状態。駅ごとに2〜3の座席が入れ替わる、そんな状態の中、全員がスマホに見入っている。若い人も、中年の人も、男女にかかわりなくである。スマホを持たない私にはこの光景に、ヘエーと思ってしまった。
 かつてマンガが大流行した時、マンガを読む人が多かったが、全員ではなかった。また駅売りの夕刊紙なども多くの購読者がいたが、それらはほぼ男性で、女性はせいぜい文庫本や女性誌というのが普通だった。それが今や年齢や性に関係なくスマホなのである。

 電車内は不思議な空間である。10〜20分程度、見知らぬ人と密集状態で過ごさねばならない。何かしようと思ってもままならない狭い空間である。地下鉄だと窓の外の風景をみようにも何も見えない。だから物思いにふけるか印刷物に目を通している以外ない。座席が確保できる長距離通勤なら読書というのもある。解剖学者の養老孟司は、研究の傍、探偵小説を読む楽しみが通勤電車だったと言っている。しかしほとんどの場合は、狭い空間の中でジッとしているのが普通だった。

 スマホはこの息苦しい空間を解放したと言えるのではないか。
 何をしているか、とチラチラのぞいて見ると、ゲームをしたり、ツイッターをしたり、調べ物をしたりと多様である。新聞や雑誌の低迷が顕著なのは、この風景を見れば実感だ。昔、「駅馬車」という映画があった。この時、馬車のワゴンの中にいる乗客は、過酷な運命を共有せざるを得ない宿命を背負った人たちで、目と目、歯と歯が突き合わせざるをえない逃げ場のない空間の中にいた。乗り物というのは、象徴的には駅馬車のようなものだったのである。 

 今、安全という電車の中で、一触即発の空間に居ながらも、それぞれの人が全く別々にそれぞれの世界と繋がっている。なんと幸いなことか。これを裏支えしている電波という文明、この恩恵はどこまで進化していくのだろうか。【彬】



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オリンピック開会式の夜の夢

2018年02月12日 | 日記

 ピョンチャンオリンピック開会式を観た夜、感動して大変いい気分になり床に就いた。

 今夜はいい夢を見られるのではないか、・・・アルペンスキーをトップで滑ったり、スノーボードで素晴らしい演技をしたり、と現実にはあり得ない夢を・・・と思いながら。その夜、確かに夢を見た。たが、よく覚えていないし、オリンピックに関係あるものかどうか分からない。翌日の夜も夢みたがあやふやなものだった。

 さて、三日目の日曜日のこと。小金井公園を起点にして、ランニングの練習に出た。1時間30分ほどで公園に戻ってきた。この日は温かく、園内は、大変な人出だ。明るい日差しのもと、皆、ごった返すような中、大変楽しいそうだ。そんな風景を見ていて、ハッと驚いた。あやふやであった夢をみた時と同じ感覚をえたのだ。

 オリンピックという最大のスポーツの祭典。その目的は、スポーツを通して、世界の平和と人類の発展に貢献すること。・・・今までのオリンピックのシーンで、大変素晴らしいと思うのは、1964年東京オリンピックの閉会式。人種、宗教、国家、の壁をこえすべての選手は競技場のなか、てんでバラバラになり、交流し、健闘を称えあい、友情を深めていた。このような閉会式は今までになかったという。これこそ、オリンピックが求めようとしている一つの姿ではないか。

 そんなことで、夢の中であやふやであったものが、あの昔の閉会式のシーンであったようだ。それを小金井公園の雑踏の中で楽しんでいる人々の姿から手繰り寄せた。とはいえ、オリンピックは、勝つか負けるかの世界。その闘い中にこそ本当の面白さがある。更に、人種、宗教、国家、の壁をこえる、という気持ちがあれば、どの国の選手に対しても応援し競技を楽しんで観戦できる。

  絵は、練習を終え小金井公園に戻ってきたときの景色。

     2018年2月12日  岩下賢治

 

 

 

 

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オンデマンドということ

2018年02月06日 | 日記

紅梅が咲き始めました。

 オンデマンドという言葉を業務として最初に使ったのは出版業界であった。オンデマンドというのは、求めに応じてすぐに対処できるということ。出版でいえば絶版された本を少部数でも即座に作るという技術工程をさす。例えば夏目漱石の「吾輩は猫である」の初版本と同じ物を二冊欲しいと言う時、かつての印刷方式では商業上の対応はほとんど不可能であったが、こうした要望に対して短時間で比較的安価に製作できるというシステムのことを言う。

 従来、出版というのは同時多数の制作が趣旨であった。一冊づつ手作りで作るのではなく、一気に多数を刷りあげることがメリットで、この工程があることによって、今日の新聞や雑誌が製作されるようになり、ひいてはジャーナリズム発生の元となった。グーテンベルクが開発されたと称される印刷技術は、同時に近代文明の後押しの役割を果たしてきたわけである。
 重複するが、活字を拾い印刷工程にかける旧来のプロセスに対し、活字拾いから印刷工程に至る全ての全過程を技術革新によって一気に踏破、出版できるというシステムがオンデマンド出版である。このような印刷が可能になったのは、印刷システムの眼を見張るような技術革新である。その革新については専門家に聞くことが一番だが、私たちの周辺から印刷業を営む営業所や印刷工場がすっかり姿を消したことから、そのイノベーションの規模を想像できると思う。


 このオンデマンドシステム、出版印刷以外の分野でも、例えばアスクルといった文具の配送業者、更にはアマゾンのような巨大な受注業者にも応用され、注文すれば即座に送り届けるというシステムが完成されつつある。
 かつて資本主義の勃興期においては過剰生産が避けがたい根本的な矛盾として経済問題の中心であった。そこから経済恐慌が起こり、そのための防御としていつでも10%前後の労働予備軍が配置されているというのがマルクス主義の定説であった。需要と供給のアンバランスが逃れられない宿命とされたのである。
 オンデマンドはこの矛盾を解決する一つの方法ともいえる。敷衍しすぎるかもしれないが、トヨタ自動車が採用した部品の納入システム、いわゆるトヨタシステムが生産工程でのオンデマンドだろう。


 このオンデマンドシステム、生鮮野菜の生産過程に採用できないのか? というのが私の長年の願望である。最近では雪の影響があって野菜が高騰。そして少し悪天候が続くと野菜の価格が大きく変動する。この影響を被るのは、消費者ばかりではない、生産者にとっても打撃が大きい。以前に当ブログで何回か触れたことがあるが、この問題の解決方法は、農業生産を気候に依存する産業から脱皮させ、オンデマンドの生産様式に変えることである。口で言うように簡単なことではないが、電気エネルギーを縦横に使うことによって、この転換は容易だと思う。
 私たちは十数年後には露地物の野菜より栄養価の高い、新鮮な野菜を季節の変動に関わりなく摂取することになっていると思う。高価な露地物をありがたって食べているのは、一部お金持ちである時代が目にみえるようだ。【彬】

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