ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

NHK朝ドラ「おかえりモネ」・・・森林組合。

2021年05月27日 | 日記

 新しく始まった、NHK朝ドラ「おかえりモネ」。ヒロインは高校を卒業後、人の役に立ちたいと、故郷の島をはなれ、祖父の知り合いが経営する森林組合に就職する。そこで、活き活きと生活しながら、さらに先に進む。・・・気象予報士になり・・・云々。

 僕は、森林組合ということで、親近感を感じながら観ている。

 自分が茨城時代の勤務していた事業所は自然豊かな中にあり広大な敷地を有していた。そのかなりの部分は草木に占められた土地であり、整備が大変であった。夏、そして、冬の初めに、地元の森林組合に、除草作業を委託していた。組合とのお付き合いは仕事だけではなく、こちらが開催するイベントなどにも参加してもらっていた。林業は重要な産業で組合はその要で、皆プライドをもっていた。交流は大切な経験であった。

 ところで、茨城に行く前に、自然保護活動にかかわる仕事をやっていた。自然環境保護に関わる活動をしている様々な団体に助成するものなのだが、当時、あまり気にもしていなかったが、今なら地球温暖化の対策、SDG sを意識するところだろうな。

 さて、「おかえりモネ」はオリジナル作品であり物語は作者の頭の中にあるわけだが、気象予報士になってから、森林組合とどのようなつながりを持ちながら展開してくのだろうか、期待しているところ。

 絵は、お付き合いしていた茨城の森林組合事務所建屋。

   2021年5月26日  岩下賢治

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「感染拡大」という用語

2021年05月24日 | 日記

                          ドクダミ

 テレビでも新聞でも同じだが、メディアで報じられる情報が価値であるのは、それが人々に重要であることを前提としている。その前提が崩れれれば、マスメディアの存立基盤はなくなる。  
 今SNSの拡大で、その重要性が失われつつあるようだ。私の知る限り、若い人で新聞を定期購読している人はいない。また伝えられるところによると、若い人は、通常のチャンネル・テレビでさえ半数程度くらいしか見ていないとされている。
 世の中の多様化が進んで、単一の情報源だけでは対処できないくらいに、職業や文化・芸術・芸能が分散しているし、またマスメディアに依存しなくても、時代の状況をいち早く把握できる情報環境になっているからだろう。確か以前、関川夏央氏が「知的大衆諸君、これもマンガだ」という書物で、受け手の知的向上を指摘していた気がするが、その分、メディアはその存立基盤の危うさに当面しているかのよう。そしてその失地回復のため、報道の価値をなんとか強める工夫をしているように思う。
 その一つの方策が、些細な出来事を大袈裟に伝え、危機意識を煽ることによって、報道の「価値」を高めることにあるようだ。
 現在、その代表的な表現が「感染拡大」という用語だろう。
 コロナ問題を扱うときは、その前提に感染拡大がある。本当に拡大しているかどうかではなく、この用語が導入語となって報道されている。だから、この感染拡大はどこからやってくるのか、これを防ぐことはどうしたら良いか、が報道の基準になる。
 反面、日本がどれほど汚染されているかどうかを調査・報道することを除外してしまう。感染状況を最もよく掌握しているのは、保健所である。保健所からの情報が皆無なのだ。 
 事実から出発するのではなく、特定の観念から記事を書く。これが「感染拡大」である。こうした前提から発せされることを「煽る」という。昔の左翼風に言えば、アジテーションである。
 特定の価値観から記されるものを報道とは言わない。
 今、マスメディアは自己変革を迫られているように見える。
 現役の記者達が本紙ではなく、Twitterとかyou-tubeで社とは関係なしと断って投稿しているのを見ると、私など不思議に思う。普通の会社などでは許されない行為だ。また記者が独自で自著を自社以外の出版社から得意気に発行しているのも不思議だ。
 社として経営方針が立たないのだろう。これからのマスメディアがどういう道を進むことになるのか、気になることではある。【彬】

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SNSの恩恵

2021年05月20日 | 日記

                                   カタバミ

 
 早野龍五さんは世界的な物理学者である。最近、「科学的は武器になる」を上梓し、好評である。その早野さん、ツイッター上で、コロナ問題に関する感染状況を、自治体や世界各地の政府や研究機関が発表している各種データを収集し、独自に分析、図表として公表している。専門家や識者という人たちが得意そうに自説を展開しているが、早野さんは感染対策をどうこうすべきかなど、一切コメントはなし。
 発症者数、検査数、重傷者数、年代別陽性者数、死亡者数、実効再生産数、1週間移動数平均、東京や大阪を基準とした各国各地の増減状況のほか収集できそうなデータを網羅、そしてそれぞれを対数化して表している。
 私はこうしたデータの読みには不慣れで、それらを読み切れないが、1週間の移動平均、実効再生産数を参考にし、日本の感染状況に一喜一憂している。
 マスメディアやSNS上では、コロナ問題の専門家という人や、タレント、識者などの論評をたくさん読んだり見たりすることができるが、私はそれらの言説にほとんど説得されない。ただし早野さんのデータだけを睨めっこしている姿勢には、ただただ頭が下がる。専門の物理学の分野でどう貢献できるのか、これが早野さん一流の科学者姿勢なのかもしれない。
 データというのはそれ自身で絶対的なものではない。データの取り方で結果は変化するからである。ただしデータが尊重されるのは、その収集根拠を徹底的に批判し、追検査できるからである。それが科学の信頼性をもたらしている。
 早野さんの物理学者としての姿勢は福島原発事故に対しても同じである。ひたすら放射能を計測し、医学者と協力して、人体にはその影響はないことを証明、現地の高校生や主婦と交流を続けている。放射能がやってくるとか、鼻血がでたなどという流言とは雲泥の差である。そしてその活動は糸井重里との共著「知ろうとすること」(新潮文庫)となって出版されている。
 現在のコロナ問題、行政などへは誰でもが言うべきことはたくさんあるだろう。それを自由に発言することは、民主主義の根幹であり、恩恵であって大歓迎である。早野さんのツイッターもその一つにすぎないが、以前のように新聞やテレビ、雑誌といったマスメディアに依存することなく、現在を知ることができるのは、SNSの恩恵だ。時によからぬ偽情報があっという間に拡散することあるが、それも含め、私はSNSがもたらした新しい時代の情報文化を好意的に受け止めている。とはいえ、オールド世代にとっては、あまりにも多いSNS情報には追いつけるものではないのだが。【彬】

 

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巣篭もり中は1日2食

2021年05月14日 | 日記

 

                                     ヒルガオ

 巣篭もり中、今、私は1日2食で過ごしている。
 起床は7時、起き抜けに蜂蜜入りのミルクティーを一杯。時により葡萄やプルーンを添える。
 朝食は8時30分前後、夕食は午後6時である。昼食は食べない。空腹を感じたら、ビスケットを2、3枚食べる程度。だからと言って、特段朝食や夕食をボリュームアップしているわけではない。就寝は大体10時。寝すぎではないか、とも思うが、寝ていられることは健康の証拠である。
 柳田國男の説だと、1日3食というのは、そんなに古いことではないらしい。平安期はもとより江戸末期まで、人々はだいたい2食だったのではないか。電気がない時代だから、夜起きている理由がない。その分、朝は早く、起き抜きに、炉にくべておいた栗などを食べる。これを「あさめしまえ」と言ったという。これを食べ、朝仕事をして、朝食は多分、10時とか11時になるはず。そして夕食は暗くなる前の4時とか5時ごろか。日本だけでなくヨーロッパでも基本はディナーで、これは3〜4時ごろ。だから1日2食だったろう。
 1日2食にすると痩せるのではないか、と思うがそうでもない。体重の増減は食料のカロリー数と運動量のカロリー数が対応する。運動量が少なければ、少ないカロリーで足りる。最近、なんだか胃袋が小さくなったような気もする。たくさんの量を食べられなくなっている。お酒も同じ。あまり量を飲めなくなっている。年取って運動量が少なくなったせいだと思う。
 いい機会だから、食べ物・お酒など上等のものを少しの量、嗜むようにしている。外食を考えれば、安いものだ。私ばかりではなく、この巣篭もり期間に人々の食品嗜好はかなりレベルアップしているのではないか、などとつまらぬことを想像している。【彬】

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浅間山公園、府中の森公園、ウォーキング

2021年05月11日 | 日記

 5月9日(日)隣の府中市の、浅間山公園(せんげんやまこうえん)へ、ウォーキングに出た。最近は、ランニングでなくウォーキングにしている。浅間山公園は、この季節、キンラン、ギンランの群生が観られる。これが主な目的なのだ。ところが、既に時期は過ぎ、キンランは花がしぼみ消えている。ギンランは花を残している株がわずか。

 浅間山は標高80mの低い山だが、頂上からは、小金井市や府中市が眺望できる。物足りない気分で、府中側を眺めていると、府中の森公園へ足を延ばしたくなった。

 府中の森公園はこれが初めての訪問である。よく整備された奇麗な公園である。園内には、府中の森美術館があり、予定では特別展開催であったが、緊急事態宣言で臨時休館。残念である。

 28度を超える暑さの中のウォーキング。かなり疲れ、ランニングのような充実感もある。帰宅すると、パソコンのメールに今月19~23日開催の展示会を実施するとの連絡が幹事から届いていた。会場は日野市役所に隣接する展示場。管理は市役所。写真、陶芸、絵画、の三つのグループが出展する。

 僕は、開催はないだろうと踏んでいたのだが、早速、自分の作品のブラッシュアップをしよう。そして案内状は、日野市、八王子市在住の、知人、友人に少しだけ出しておこう。

 絵は浅間山頂上からの眺め。記憶頼りのイメージ絵。関東の富士見百景。・・・この日は富士山は見えなかったが。

    2021年5月10日  岩下賢治

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