4月も半ばを過ぎると、野山は萌葱色に変わり新緑の季節を迎える。
茨城県の常陸大宮市に住む僕は、車通勤をしている。街中から山の中にある勤務地まで、17キロほどの道のりを「新緑のこの景色は青春の色だな……」などと思いながら愛車を走らせる。
今、青春といえばNHKの朝ドラマ「花子とアン」が浮かんでくる。僕は「赤毛のアン」の物語が好きなのだ。
ドラマの主人公の花子は日本で最初に「赤毛のアン」を翻訳、紹介した村岡花子をモデルにしているようだが、ドラマの花子の境遇は原作のアンの境遇に似ている。11歳のとき、縁あり山梨の村を離れ東京の学校に通うようになり自分の道を開いていく。村岡は「赤毛のアン」の原作に自分自身を見い出し翻訳を決めたのかもしれない。
僕は「赤毛のアン」の物語の神髄は縁ある出会いと思っている。
二人だけで暮らす初老の男女の兄妹が、孤児園に男の子の養子を求めたが、手違いで赤毛の女の子が現れた。断ろうと迷ったりしたが、これも神のお導きだと受け入れた。その後は皆さんよく知るとおり、アンは兄妹の助けを受けクィーン学院に入学、立派な成績を修め自分自身の道を開いていく。
話はとぶが、今の僕の車について。
今の車は3年前に購入した中古のクラウンだが、気に入ったものが見つからず妥協して入手したもの。ところが昨年事故を起こしてしまった。修理を依頼したところ、大変高額になり、同じ程度の中古車の買換えを強く薦められた。しかし修理をすることにした。縁あり出会って、妥協して入手した車だが、愛着が涌き愛車になった訳だ。そのとき、「赤毛のアン」のアンと兄妹との出会いを思い出していた。たかが車のことで、なぜ文学の名作が? と思うだろうが、名作というのは読者の心の中に眠っていて意外な時にヒョッと目を覚ますものだろう。
たくさんの名作が心にあれば、何かの折に再会する楽しみも多いということか。 4月25日 岩下賢治