ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

桜宮高校、あるいは部活の暴力

2013年01月22日 | 日記

 庭の椿が寒さに凍えながら、しっかりと蕾を持ちこたえている。我が家のは、新曙光という銘柄で、枝は細いのだが、蕾が対になっている。春に花が咲くと、花の重さで枝垂れるほど。

 で、時事問題。すこし腹に据えかねるものだから。

 

 桜の宮高校のことが各所で言及されています。

 言うまでもなく体罰の賛否が問題です。しかし、問題の立て方おかしい。体罰の賛否を問うべきではなく、体罰が生まれる、あるいは許容する制度が問題なのである。

 本ブログで、以前、高校野球にふれて、暴力について述べたことがあるが、問題は高校での部活のあり方にある。中学から高校というのは体形的にも精神的にも、もっとも変化の激しい時期である。この時期に先輩後輩を固定し、しめつけるのが高校の、特に運動部の部活なのである。上級生から下級生に対する理不尽な暴力は後をたたない。これは指導とか躾とかといった問題ではなく、暴力による上下関係の固定化である。この部活のあり方には、教師はあまり関与できないのが普通である。なぜか。部活は生徒の自発的な活動であり、運動部の場合、伝統とか慣習とかとして定着しているからである。

 なぜ、高校の運動部にこういう事態が発生したのか。私の考えではブルジョワスポーツの普及を学生に任せた近代日本の矛盾だと思っている。今日では、そうした問題をはらんだ学生スポーツが産業化しているために、問題は隠蔽され、甲子園を筆頭に興行の供給基地となっている。それを助長しているのが、マスメディアであることは誰が見てもはっきりしていよう。

 桜宮の場合は、情報を見る限り、問題が2つある。一つは高校の部活の独自性、つまり教師でさえ関与できない先輩後輩の暴力支配の関係に、顧問と称する教師が「乗っかって」いることである。そんなことができるのは、学校が部活をまるごとスポーツ学科というもので囲い込んでいるからである。教師が部活に関与できるのは、教師としては副次的なことであるのに、ここでは主要な教務に置き換えてしまっているのだ。二つは、生徒や父兄がスポーツ学科を普通の高校生活から疎外していて、別扱いしていること、である。簡単に言えば、教師にとっても、生徒・父兄にとっても、スポーツ学科は学校の広告塔なのである。

 今回、橋本市長が入試を中止することにしたが、これに対する在校生や父兄の反応が不思議だ。本来、在校生たちはこういう事態になった自分たちの学校に対して、問題を提起し、反旗を翻してしかるべきであって、むしろ積極的に入試阻止=スポーツ学科解体に向かうべきものだと思う。おそらく、そうした生徒や父兄が多くいるのだろうと察する。しかし、マスメディアの橋本嫌いから、ヘンな世論に引き込まれているのだと思える。

 テレビや新聞に登場し、生徒の立場を汲むべきだとか、生徒がかわいそうだからと、などと言っている人たちの浮ついた言動こそ唾棄すべきだと思う。【彬】

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茨城の雪

2013年01月18日 | 日記

1月14日(月)低気圧が大暴れし、関東甲信越地方は大雪となった。

私が、茨城に来て、11年になるが、大雪の記憶は数えるくらいである。時々、東京の人から「そちらの雪はどうなの?」と聞かれることがあるが、太平洋側だから状況は東京都とほぼ同じである。

 こちらも、雪に慣れていない東京と同じく、車の渋滞、スリップ事故で混乱し、皆大迷惑している。……そうではあるが、雪は非日常であることもあり、降ればウキウキとうれしくなる。

私は、雪は、迷惑よりその美しさを取る。それも絵葉書にあるような雪景色ではなく、庭先に降るような普通の雪が好きである。ちなみに、会社の自分の席から眺める雪景色が美しく、この日は何か得をしたような気になった。

それを絵にしてみた。1月16日 岩下賢治

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ユズリハの願いこと

2013年01月05日 | 日記

 

 うちの近くの大きな通りに「ユズリハ」の並木があります。珍しい並木です。今は寒くて、さすがに葉を縮めて元気がない。そのユズリハ、正月飾りに用いる地方があります。20センチほどもある細長い葉を1枚、注連飾り(しめかざり)にそえるのである。

 なぜ、この葉を使うのかというと、この木の特性が関係している。ユズリハは常緑樹でありながら、春先に新芽が出てくると、古い葉が落ちることから、「譲葉」とも書きます。つまり、新しいものが生まれ育ってくるまで、待ち続け、時期がきたら潔く譲ることから、年末年始、世代の断絶を忌避する願いごととしてこの葉を使用するのである。

 日本に限らず、植物の特性に関係付けて祈りごとをするのは世界共通です。クリスマスのリースに使用するヒイラギ(日本のヒイラギとは違うらしい)、とかモミの木などはその代表。我が国では、便所のナンテン、お墓のシキミ、神社のサカキ、節分のヒイラギやトベラなど。そのほか、たくさんあるようです。人間と植物の関係は底深いものなのですが、今ではそんな風習はまったくといっていいほど衰退しましたが。【彬】

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苦しいけれど最高の贅沢

2013年01月02日 | 日記

1月20日(日)千葉マラソン・ハーフマラソンの部に出場します。

そのための練習を元旦からしました。練習といっても、練習らしい練習はもう無理で、厚着をしてのジョグを1時間半ばかりしました。それで精一杯です。若い時と違って疲れもなかなかとれません。2、3日は筋肉の奥深いところが硬直しているような苦痛が残ります。

とはいえ、大会になれば夢中で走ります。そこで、若い女の子に抜かれるのが、なんとも悔しいものなのです。闘志はなお健在。 

そんな走るスポーツ、いい加減やめたらという声も聞こえますが、懸命に走って汗だくになり、そしてお風呂に入った後の、喉をカラカラにしてのビールの旨さは、これに勝るものはありません。最高の贅沢です。

スポーツを楽しめる時代に慶賀です。【彬】

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