庭の椿が寒さに凍えながら、しっかりと蕾を持ちこたえている。我が家のは、新曙光という銘柄で、枝は細いのだが、蕾が対になっている。春に花が咲くと、花の重さで枝垂れるほど。
で、時事問題。すこし腹に据えかねるものだから。
桜の宮高校のことが各所で言及されています。
言うまでもなく体罰の賛否が問題です。しかし、問題の立て方おかしい。体罰の賛否を問うべきではなく、体罰が生まれる、あるいは許容する制度が問題なのである。
本ブログで、以前、高校野球にふれて、暴力について述べたことがあるが、問題は高校での部活のあり方にある。中学から高校というのは体形的にも精神的にも、もっとも変化の激しい時期である。この時期に先輩後輩を固定し、しめつけるのが高校の、特に運動部の部活なのである。上級生から下級生に対する理不尽な暴力は後をたたない。これは指導とか躾とかといった問題ではなく、暴力による上下関係の固定化である。この部活のあり方には、教師はあまり関与できないのが普通である。なぜか。部活は生徒の自発的な活動であり、運動部の場合、伝統とか慣習とかとして定着しているからである。
なぜ、高校の運動部にこういう事態が発生したのか。私の考えではブルジョワスポーツの普及を学生に任せた近代日本の矛盾だと思っている。今日では、そうした問題をはらんだ学生スポーツが産業化しているために、問題は隠蔽され、甲子園を筆頭に興行の供給基地となっている。それを助長しているのが、マスメディアであることは誰が見てもはっきりしていよう。
桜宮の場合は、情報を見る限り、問題が2つある。一つは高校の部活の独自性、つまり教師でさえ関与できない先輩後輩の暴力支配の関係に、顧問と称する教師が「乗っかって」いることである。そんなことができるのは、学校が部活をまるごとスポーツ学科というもので囲い込んでいるからである。教師が部活に関与できるのは、教師としては副次的なことであるのに、ここでは主要な教務に置き換えてしまっているのだ。二つは、生徒や父兄がスポーツ学科を普通の高校生活から疎外していて、別扱いしていること、である。簡単に言えば、教師にとっても、生徒・父兄にとっても、スポーツ学科は学校の広告塔なのである。
今回、橋本市長が入試を中止することにしたが、これに対する在校生や父兄の反応が不思議だ。本来、在校生たちはこういう事態になった自分たちの学校に対して、問題を提起し、反旗を翻してしかるべきであって、むしろ積極的に入試阻止=スポーツ学科解体に向かうべきものだと思う。おそらく、そうした生徒や父兄が多くいるのだろうと察する。しかし、マスメディアの橋本嫌いから、ヘンな世論に引き込まれているのだと思える。
テレビや新聞に登場し、生徒の立場を汲むべきだとか、生徒がかわいそうだからと、などと言っている人たちの浮ついた言動こそ唾棄すべきだと思う。【彬】