《今回は絵はありません。ご容赦を》
いろはがるたの冒頭は「犬も歩けば棒に当たる」である。私は子供の頃からずっとこの警喩の意味がわかりませんでした。本当はいまでもよくわからない。
犬が歩くというのは、どういうことだろう。棒というのはなんだろうと、長いこと難問を抱えたような状態が続いてきた。辞書など引いても納得できる説明にあったことがありません。説明を加えるまでもない自明なことなのでしょうね。
ところが、この歳(70歳)になって、あっ、そうか、そういうことなのか、と思い当たることを体験しました。
具体的に述べると事情もあり、しかも長々となるので省きますが、ある所で、私が常々考えて来たことを申し述べたところ専門家のような方々から総否定されてしまいました。その場だけでなく、日を置き、次から次へとです。否定についてはある程度予想していましたが、凹みました。別の件です。人手がないものだから、進んで運営に関与し、よかれと思って進めたことが逆にミスにつながり、問題を大きくしてしまいました。善後策について相談するのですが、私の取扱いの誤りを随所に指摘する声が途切れません。助けてくれてありがたいのですが、余計な言葉が挿入されるのです。また、同じような件が続けて起きました。普通にしていれば、こんなことは起こらないのにと思うと気が滅入ります。そして気が付いたのです。
犬も歩けば棒に当たるというのはこういうことなのか、と。
本来は「油断して」という背景があるのでしょうが、普通に活動していても、活動する過程で、きっと障害物に出会いますよ、ということでしょう。
なんだそんなこと、気がつかなかったのか。そんなに順風満帆な生活を送ってきたのかと、半畳がはいりそうですが、でも通常、トラブルが連続的に起こることはありません。ですから、実感が伴わなかったということです。もう少しで10月が終わりますが、本当に最悪の月でした。
たあいのない警喩が実感できたことで、自己慰安するしかありません。下手な絵を描く気がしません。
【彬】