ヒルガオです。
ものを理解したり、考えを進めたりするのは、コトバによってである。コトバなしでは物事は後にも先にも進めない。そんな根本的であるコトバ=日本語は、表音、表意を織り交ぜた独特な言語であって、昔から難しすぎるので現代的に改革すべきと、何度か試みられてきた。言文一致運動もそうした流れの一端である。そんな中、敗戦を契機に国語を抜本的に見直し、新しく新字体の当用漢字、送り仮名を制定し、教科書から新聞雑誌、ラジオなど、あらゆるメディアを通しての運動で、新たな表記法が普及した。
私たち子どもはこうした動きを知らぬまま、何の疑問もなく学習してきたのだが、この改革については、当初から左右双方の立場からの異論が続出して、例えば福田恆存などはその右からの筆頭だったろうか。また、日本が負けたのは、漢語を混えた日本語のせいであり、こんなしち面倒くさい言語はやめて、フランス語にすべきだというような見解が、なんと志賀直哉が堂々と述べていたのである。また、エスペラント語にすべきだと言って、その運動に身を捧げた人や、ローマ字表記の雑誌を発行した人もいる。そして後代になっても、高島俊男さんなどは、週刊文春誌上で折に触れては現代表記の問題点を指摘してきた。
戦後の混沌とした、一種理想に燃えだ時期だから、そうした動きもさもありなむか。そして現在のような表記に定着したわけだが、その結果、私たちは江戸期から明治あたりの文献を素のままでは読解することができなくなった。これも時代の流れなのであろう。
そんな折、びっくりした図書にめぐりあった。
「アメリカ教育使節団報告書」講談社学術文庫1979年、である。
教育関係者、あるいは当時の知識人には常識だったのだろうが、私は門外漢とはいえ、まったく無知だった。迂闊だった。この報告書の中に「国語の改革」という一章が設けられ、日本語を改革すべきだと進駐軍として進言しているのである。その改革には3つの方向が提案されている。一つは漢字の数を減らすこと、二つは漢字の全廃そして仮名の採用、三つは漢字・仮名を全廃しローマ字の採用、を要求するというのである。
つまり、難しい漢字・送り仮名をやめて、日本語を表音表記にすべきだというのだ。志賀直哉の言は、ひょっとするとそうした意向に添っていたのかもしれない。
農地改革を含め、日本の戦後改革は占領軍アメリカの意向を強く反映したものだが、彼らは日本語の在り方まで口出ししていたのである。なるほど朝鮮のハングルのように国語を表音表記に一本化することは可能であろう。だが、日本の文化は漢字を取り入れることによって語彙を増やし、ヨーロッパの諸思想から近代科学まで、みごとな翻訳にすることができたのである。それが日本の力であった。
日本語を変えたいというアメリカの意向は、日本を理想的な民主主義国にとの、善意をもっての提言なのだろうが、しかし、言語の在り方に無知な、結果として相手国を根こそぎ壊滅させるものだったろう。言語の在り方は、簡単ではない。いま小学生から英語を学ぶというのも、日本語を英語に変えるというだいそれた意図ではないのだろうが、グローバル化の中で言語をどうするのか、戦後に彼の国が提言した文書をつぶさに読み直すのも関係者には無駄なことではないだろう。【彬】