ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

武蔵野の秋、若者達との出会い。

2015年10月26日 | 日記

 10月24日(土)玉川上水散策路でのランニング練習に出た。コース途中、西武線鷹の台駅から大勢の人が降りてきて散策路に入り、道を塞いでしまっている。この人の流れは武蔵野美術大学へ続いていく。大学の芸術祭があるのだ。せっかくの機会なので予定変更しこの流れに乗って見学した。美大なので、日本画、洋画を観た。選抜された作品ということもありかなり優れた絵に感じた。その他イベントをのんびり見て回り、昼食は学内でとったが味は学生向けで、自分の学生時代の学食を思い出した。この日は、美大のすぐ近くの白梅学園大学の学園祭も開催中であった。勢いに乗ってここにも行ってみた。家政学がメインの学校のようなので模擬店を覗く程度にした。

 さて、この美大、白梅も男女共学であるが女子学生が圧倒的に多い。これほど多くの若い女性が集まるのは、最近は、原宿か渋谷以外では見たことがない。彼女たちは若い輝きを発散させている。若さは何にも代えがたい宝物だと、僕にはただ羨む他ない。

 今日はろくに走りもしないのに少々疲れた。若さをもらったつもりが、逆にエネルギーを吸取られたのかもしれない。小金井公園に寄って休んでいこう。それにしても、天気が良いせいか園内はなんと多くの人がいることか。

 公園内の、僕がいつも使っている、200m×10本の短距離走の直線コースに行ってみると、同じコースで、近くにある小金井北高校の陸上部員が練習をしている。練習メニューを聞くと、200m×5本、を、3セット。ただしその前に、公園の周回コースの長距離走をやる、とのこと。高校陸上部として妥当だな、と思う。

 ところで、と振り返る。僕らランニング仲間の毎週木曜日の練習は、1000m×3本、プラス、6000m走程だが、距離的には、現役高校陸上選手と同等以上ではないか。フルマラソン他、数々のレースを経験してきた我々ベテランは改めて自信をもっていい、と思う。

 秋晴れの絶好の練習日和に、玉川入水沿いを走るコースから、寄り道をしたことで思いがけず若い人達との出会いがあった。なにかうれしい、晴れやかな気分になった次第。

           絵は人で溢れる小金井公園の様子       

             10月25日  岩下賢治

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八ヶ岳の魅力

2015年10月23日 | 日記

 八ヶ岳は好きな山のひとつです。何故かと聞かれても、うまく説明できないのですが。多分、何故、山が好きなのか尋ねられて、答えに窮するのと同じかもしれません。

 独特の赤く錆色した川のせせらぎを聞きながら歩くアプローチがすきなのか。

 木々の合間から見えてくる、赤岳の赤銅色、横岳の切り立った岩肌に、心震わせるのか。

 赤岳鉱泉の山小屋とは思えない料理(!)と温泉、そして居心地の良さか。

 硫黄の爆裂火口の壮大さ、稜線に整然と並ぶ巨大なケルン、ちょっとしたスリルを味わえる横岳へ向かう尾根道。

 最高峰赤岳から見晴らす南アルプスの山々の美しさか…。

 多分、そのすべてと、ご一緒した人達との楽しい時間が、好きなのでしょう。      三尾伸二郎

  絵は、八ヶ岳再訪時、赤岳鉱泉にて。山小屋での心地よい時間の合間に。

                     

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最近、メガネが曇る

2015年10月21日 | 日記

 共同幻想論の主たるモチィーフは、本書の、Ⅱ  動機・法社会・農 の内の農業論ではないのか、と思われる論考である。

 

 最近、メガネがらやたらに汚れる。表側ではなく眼球側だから、空気の汚れとか、調理で使う油が原因でないことは明らかなのですが。昔の、小津安二郎の映画などには、インテリ風な老人がやたらメガネを拭くシーンがよく出てきたものだが、今時、品質のよくなったメガネがそんなに曇るはずはない。だとすると、原因はなんなのか。

 思うにどうも自分の涙目らしい。最近、目がショボショボしてきて、涙がよく出るようになった。その涙が飛散するのだろう。それに加え、急に涙もろくなった。老人性なのだろうか。【彬】

 
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老後の健康

2015年10月13日 | 日記

         我が家の柿が少しずつ色づいてきました。

 日本老年学会は12日、65歳以上の高齢者の身体、知的機能や健康状態についての分析結果を発表した。
 最新の科学データを総合すると、「現在の高齢者は10~20年前に比べて、5~10歳は若返っていると想定される」と評価。
 知的機能については、日本大の内藤佳津雄教授(心理学)らが、国立長寿医療研究センター(愛知県大府市)が大府市の40歳以上の住民約2300人に実施してきた知能検査のデータを分析。認知症がなく、健康状態の良い高齢者の集団では、ほとんどの検査項目で60~70歳代の成績が向上し、2010年の70歳代は10年前の10歳程度若い人たちと同等の成績だった。  以上読売新聞の記事です。

 日本老年学会など、奇妙な学会があるものだと思うが、医学界と社会科学界の学際をつなぐ学会らしい。
 私も老人の一人だから一言いわしてもらおう。
 私は70歳を超えているが、確かに同年代の仲間を見ていると、身体的、知的機能は我々の親世代に比べれば、ずっと若々しくなっているように思う。これもひとえに食物の向上、高度医療制度の恩恵、過度な労働からの解放といったことが原因していると思う。腰の曲がった老婆を見ることも少なくなった。
 今日、60歳をすぎると、自治体から無料健康診断の案内がくる。予防注射の案内もくる。地域の病院に行って診断をしてもらうのだが、その検査項目が、血液、尿、血圧など、循環器系が主で、消化器系のレントゲン撮影のが加わるのが普通である。同年代の人たちとの会話も血圧や血液検査の話が中心になっている。

 せっかくの診断だが、疑問に思うことがある。

 それは、老人の健康というものを成人の標準的な数値で判断しすぎるのではないか、ということである。血圧が高い、コレステロールや尿酸値がどうだ、などはその典型である。老人の健康というのは、本当は膝が痛い、腰が痛い、肩が痛い、歯が痛いなどなど、痛さを中心に置くべきだと思う。例えば若い時の立体前屈度がー5度だったものが、60歳になってー50度になった時の、前屈みをする時の痛みの感覚を把握することである。これに配慮しなければ介護はおろか、老人の体力の向上にも方向付けができない。血圧など知覚に現れないものもあるが、そうしたデータは本来、病人の治療に対する測定ではなかったのか。
 また、知的機能として痴呆とか問題にされるが、本当は記憶力の問題である。昔のことを覚えているというのではなく、どれだけ新しいことを記憶することができるか、という問題である。肉体と違って精神に衰退はないのだ。
 こうした面に配慮した診断が行われることで、老人の健康はより促進されるに違いない。寿命は120歳まで伸びる。せっかくの学会なのだから老人の健康測定法に新風を吹き込んでもらいたいものである。【彬】

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小さな社交場・・・床屋さん、風呂屋さん

2015年10月10日 | 日記

 前回のブログの続きになりますか。東京に戻り半年たち、第二の故郷、茨城時代を思い出したりするこの頃。茨城を出る時、後ろ髪を引いたものは沢山ありますがその中の、二つお話しします。

 一つは、ある床屋さんのこと。10年ほど前、地域の広報誌で、レトロな雰囲気のある、として紹介されていた店。ご主人が茨城ことばで語る地元の色々なことを聞くのが楽しい。お土産に、採れたての野菜をいただくこともあった。奥さんが、写真や絵が好きだというので話が弾む。一枚描いてくださいと頼まれ、店の全景を描いてあげた。壁にかかっている絵や写真は、いずれ付け替えられるのだが僕の描いた絵は最後まで残った。お客が描いたものだからだろう。いつかここを訪れた時まだかかっていたら嬉しいことだが。

 ところで、自宅のある小金井市に戻りたまたま入った近くの床屋さん。茨城の店と同じように古風な雰囲気。ご主人が話好きで終始しゃべりっぱなし。本人は新潟出身で陸上のトラック選手だったという。新潟出身のオリンピックマラソン選手、宇佐美彰朗さんのことばかり話すので、昔は僕らのクラブのコーチだったというと、おおきな笑顔で驚いていた。

 二つ目は温泉。茨城には山里に囲まれた温泉施設が沢山ある。自然の景色を眺めながら湯につかる。大いなる楽しみでしたね。東京に戻り温泉がないので気が抜けていましたが、ランニング仲間との練習後につかる銭湯がある。これで何とか命がつながる思い。 

 さてと、

 馴染みの、床屋さんと、風呂屋さん。

 普段の生活の中で、リラックスできる大切な社交の場。僕は、洗髪も髭剃りもやらない。でも、千円床屋にはいかない。ご主人との会話や古風な雰囲気でリラックスしたいのだ。風呂屋では、とりたてて多くを話さなくても、大勢で湯につかると、何か楽しいのだ。

 銭湯は日本の文化だと思う。いつまでもあってほしいものだ。以上の、床屋と湯につかる楽しみは、都会的娯楽の少ない茨城の生活のなか見つけたものです 

   絵は茨城時代の、馴染みの床屋全景 10月7日  岩下賢治

 

 

 

 

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