今回も茨城での話し。
東京時代、生活の周りには、田んぼはない。野菜の畑がすこし残っていただけ。こちら茨城では周囲が田んぼばかりで、9~10月の刈入れの時期は、稲の天日干しの風景がひろがる。
初めて見たときは小さなカルチャーショックであった。なんとも懐かしい、日本の田園の秋の風景であることか。50年ほど前の、私の育った日野市の田んぼにタイムスリップしたようであった。……しかし、当時の日野、私の記憶にこのような天日干し風景はない。脱穀した稲藁を、積み上げた稲山の記憶だけだ。身体を寄せた時の温もりを覚えている。
あらためてみると、この天日干しは風景は、列車の車窓から見ると、茨城県に多い。埼玉県や千葉県に入ると、見ることはほとんど無い。少し調べると、地方により稲干しの姿はいろいろある。茨城では、おだ木を一段に並べた合掌の形だが、東北地方の日本海側では何段にも高く積み上げる。太平洋側は一本の杭を立ててその周りに稲を積んでいくところもある。
このような稲のおだ掛け風景をみているとほっとした充実感に満たされる。
私も瑞穂の国の、日本人である。
10月11日 岩下賢治
*稲の掛け方 「おだ掛け」の「お」は「た=田」の接頭語。枝等の細い木を粗朶「そだ」というので、おだというのはこの言葉の派生かとも思われるのだが、否でした。なお、束ねた稲の掛け方を「はさ」といい、稲架と書き、本文中の一本の杭に稲を掛け積んでいく方法を「ニオ」といい、「堆」と書くそうです。 【玉造】