ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

私の夏休み

2014年08月22日 | 日記

 私の夏休みは東京都小金井市の自宅に戻り、読書をしたり近所の公園辺りを散策、ジョギングしたりし、いたって平凡なものである。だが、この過ごし方は自分としてはなかなか贅沢なものと思っている。というのは、次のような高校生時代の経験から見てのことであるが。

①国語の先生から、「夏休み中は普段読めない文学の名作を読むようにしなさい。それが皆さんを成長させるよ。」と、指摘されながら、暑さもあり、できなかったこと。

②某予備校の夏期講習に参加したとき、某お金持ちの講師がこんなことを言っていた。「ことしの夏は、自宅にエアコンをいれた。これで軽井沢の別荘にいかなくてすむ。」当時自宅にエアコンを自宅に入れる家庭は少なかったと思う。 

 高校を出て、大学生・社会人になってからは、夏休みは旅行や登山ばかりしていたが、この10年ほどは落ち着いて、読書と自然の中の散策が主になっている。

 今は各家庭でエアコンを入れる時代。涼しい中での読書ははかどる。ちなみに、この夏は露伴の「五重塔」や花袋の「蒲団」他など明治期の名作に親しみ、高校時代にはできなかった先生の指導にようやく応えることができたかな、と懐かしい思いがした。疲れれば近くの野川公園あたりの散策になる。軽井沢とは比べるべくもないが、夏の深い緑は眼を元気にしてくれる。このあたりは大岡昇平の「武蔵野夫人」の舞台となった。また、スタジオジブリの「借り暮らしのアリエッティー」の映像には、まさにこの野川や周辺の風景が使われている。以前、製作中の米林監督が、アリエッティー(小人の少女)の住まいから野川に繋がる水路の絵を小人の目線で描くため、モデルとなった実際の水路に小型のビデオカメラを入れて撮影していた。このように野川公園あたりは、文人、芸術家の関心をひきつけるものがある。

 夕暮れの涼しくなった頃、野川公園あたりの住宅地に、リヤカーを引き豆腐を売り歩く人がいた。下町ではありそうだが、郊外のこのあたりにも似合う風景である。

   絵は東京都野川公園          8月18日  岩下賢治

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朝日新聞・誤報問題について

2014年08月19日 | 日記

 

 終戦記念日前の8月5、6 日の両日、朝日新聞が今日の日韓関係の「こじれ」の一端となった従軍慰安婦問題について、一部誤報があったことを認め、実に30年ぶりに訂正の紙面を作った。

 この問題の概要については池田信夫氏らのブログに詳しいので、ここでは触れないが、事後処理について、大まかにいうと次の3点が論点になっている。

①新聞は企業や官庁の不手際については厳しく責任を追及しているのだから、自らの問題についても同様の処置をとり、訂正を含め公に会見を開き謝罪すべきである。

②この問題は日韓関係の悪化をもたらすという政治的な影響を与えているのだから、国会として証人喚問をし事実関係を明らかにすべきだ。

③問題の記事、並びにそれを基にした数々の記事は、当初から疑問視する意見が出ていた。朝日が知らないわけがない。にもかかわらず検証する作業を怠り、30年もの長い年月、放置してきたのは、社内的にどういう理由があったのか、点検公表する義務がある。

というものである。

 新聞記事を国会で取り上げるというのは、新聞の役割からみて、いささか疑問であるが(韓国では産經新聞の記事に対して名誉毀損の捜査令状を執行している)新聞関係者は、朝日に限らず、この問題についてはもっと深刻に考えた方がいいと思う。

 通常、新聞記事は警察や公官庁が発表する出来事を記事にする。また読者からの情報提供に触発され、独自取材をして記事にする。しかしいずれの場合も、記者の社会意識=正義観や倫理観を伴った公共意識が基になって記事のフォーマットが作られる。これが新聞を「社会の公器」と呼ぶ所以である。ところが新聞の公共意識ほど、食わせ物であるものはない。慰安婦問題は、先の大戦を侵略戦争として、その責任をすべて軍部の横暴と位置づける主調音から出てきた誤報である。いわゆる戦後の進歩的なイデオロギーへの信頼が背景となっているのだ。同じようなことは、差別や少年非行、あるいは災害の報道でもよくでくわす。問題の解決を所管の公官庁の落ち度として取り扱い、そして、関連の些細な事象を拾い集める。いわゆる権力の監視、反権力という姿勢こそジャーナリズムなのだという、大時代的な思い込みが誤報を誘発させるのである。

 しかしこうした報道に真実はない。子供、女性、被害者・弱者などにおもねる倫理観ほど、疑わしいものはないのである。記者たちに事実関係に迫ろうとする切迫感はなく、社の意向に添うという無責任極まる先入観の空洞がひろがっているだけなのである。

 報道の基本は5W1Hとされているが、この際、この基本の検討を含め、記事の作り方の根本が問われるべきなのだ。そして誤報は直ちに訂正すること。パソコン、携帯などソーシャルメディアが発達しても、拡散力の強いメディアは新聞テレビ以外にない。その影響力を考えれば尚更でなのである。【彬】

 絵はヒマラヤ杉の松ぼっくり。

 

 

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磐梯/五色沼周辺の赤松群

2014年08月12日 | 日記

 一日、会津磐梯山に登り、翌日、裏磐梯五色沼の緑道を散策してきた。

 目につくのは特有の植生で、磐梯山が大噴火した後の名残りをとどめているのだろう。特に赤松の群生が顕著で、しかもその樹形が松とは思えないほど、すっと高く伸びていることだった。赤松は荒地に生育する典型的な先駆植物で、他種の植物が繁茂する頃には消えてなくなる運命にある。だから磐梯山の大規模な地形の変化は、これらの赤松の成長と歴史を共にしてきたことになる。そう思うと、この群生には一層興味が湧くというものだ。

 ウィキペディアによると、日本での赤松の群生地は八ヶ岳山麓の美しの森が有名らしい。その他、私の記憶だと那須周辺、軽井沢あたり。赤松は松茸と関連があるから、広島など中国山脈にも多いのかもしれない。が、五色沼周辺の赤松の林立は、木肌がピンク色をしていて、鮮やかである。性格上極相林にはならないから、保護することはできないのだが、天然記念物として愛でたい気がしたのであった。

 絵は五色沼の青沼辺りの緑道を描いたもの。文字通りご笑覧のほどを。【彬】

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怖い話

2014年08月07日 | 日記

 暑い夏。暑さをしのぐのには、エアコンとか扇風機。夜は、ビアガーデンもいいだろう。さらに怪談話がある。この怪談話、テレビや書物で見たり読んだりするが、本当に怖く、涼しくなれるのは身近な人のリアルな体験談だ。残念ながら僕自身には体験談がない。また最近は聞いたこともない。この明るく賑やかな世の中、そのような怖いことは起こりにくのかもしれない。

 僕が語れるのは、父から聞いた体験談だけだ。なかり古いが、怖い話として形をなしているのでご披露しましょう。

①ある山に友人とふたりで登山した。頂上でご来光を仰ごうと夜の内から登りだす。しばらくすると、自分たちの後を、ヒタヒタ、足音が着いてくる。こちらが歩みを止めると、その足音も止まる。それがずーっと続く。意を決めて、道をそれ、身を隠し、キツネか狸か、何者か見てやろうとした……すると、髪の毛を長く伸ばした全身白装束の女がスー……横切っていった。

②戦時中(太平洋戦争)のこと。衛生兵として国立第一病院に勤務していた。院内には死に近づいている患者の入る病室と、その隣りに遺体を運ぶエレベータが備わっていた。ある夜、巡回で廊下を歩いていた。そして、このエレベータの前を通ると、使われる筈のないこの時間に、ギギギーと動く音が聞こえた。おかしいと思ったがそのまま巡回を続けた。すると、廊下の向こうから歩いてくる人影が見える。同僚のA君である。彼は無表情のまますれ違っていった。……後日、A君に会った時、その夜のことを話した。ところが、その夜は非番で病院にはいなかった、と返事がかえってきた。あとで聞いた話だが、その夜に、病室の患者が亡くなった。

 人々は、不可解、不思議な現象に興味がある。だから、メディアもそれを取り上げる。だが、多くは○○だそうだ、○○という噂だ、と作り話っぽい。リアルな体験が聞きたいものだ。

 最近は国内海外で恐ろしい事件、事故、争いばかりが起き、夏でも私たちの背筋を寒くしている。涼しくなるのは怪談話がいいのだ。

P.S. 父のその後の話。

①白装束の人は巫女さんだった。夜は怖いので自分たちの後をついてきた。

②すべて事実。錯覚ではない。思い出すだけでゾーっとする。

 今、父は向こう側の人。僕にはこの「怖い話」が大切な思い出でもある。  8月4日  岩下賢治

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また、高校野球の季節がやってきた

2014年08月05日 | 日記

 また高校野球が始まる。思うのはいつでも同じ。もっとスマートに運営してもらいたいということ。

 全国から各県1校、北海道と東京から2校で、合計49校が甲子園球場という1つの球場で合計48試合もこなすのだから、どんなに無理をしているのか、だれにでも分かる。大会日程をみると、期間は14日間、一回戦の終るのが、大会5日目の第2試合である。試合のない間は待機していなければならない。1チームは選手だけで18人、これに部長、監督、コーチ、マネージャーを加えた大部隊の体調を維持し、その宿泊費用を工面することになる。さらに大会会場周辺に練習場を確保する必要がある。いきなり試合というわけにはいかないのだ。プロではない高校生の大会としては、こんな運営はまったくの愚の骨頂である。

 大会主催者である高野連とNHK・朝日新聞社は、これを正常のことと考えているのだろうか。

 解決の方法は簡単である。甲子園球場に加え、大阪・神戸・京都界隈の球場を同時に使用すればよいのであって、このことは誰でも知っているのである。スポーツ界は旧弊を引きずることが多く、それが右翼的なアクションや雰囲気に繋がっている。私は、粗末な道具と貧しい生活環境の中で、かつての高校野球を体験したことがあるので、いっそう思いが重畳するのである。【彬】

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