カンアオイ。林床の崩れた土手などに、土から直に目を出すように筒状の花を咲かせる全く地味な冬の花。
正業を持たず、貧しさを凌いでいた友人が、ある時訪ねてきて、
「日本の社会保障って、捨てたものじゃないね」と言う。曰くに、社会保険庁から連絡があって、保険が支給されるので手続きをするようにとのこと。なんだろうと尋ねると、昔、長期のアルバイトをしていた会社が、社会保険を掛けていてくれていたというのだ。それが支給年齢になったという。友人の安心した様子が忘れられない。
会社は善意で年金を掛けていたわけではなく、法的に義務付けられていたのだから、年限が来て支給が開始されるのは当然のことなのだが、アルバイト時代の友人はそんな社会保険制度など、一顧だになく保険料を給料から天引きされていたわけである。
保険の有難さは給付を受けて初めて知る。給付額が少ないとか喚いている政治家もいるが、この保険制度は戦後の日本が確立した最も成果のある制度であることは間違いない。ところが今、この制度が医療保険と相まって危機に瀕している。少子高齢化の流れで、負担者より給付を受ける人たちの割合が圧倒的に多くなっているからである。2017年の国の一般会計予算案によると、歳出総額96兆円のうち、社会保険関係(医療、年金など)が32兆円で、全体の33%を占めるようになっている。この分野の費用がいかに国の財政を圧迫しているかが想像出来よう。このまま放置していけば、赤字は際限なく膨らみ、若い世代の重荷になっていく。
この問題解決の方向として、前回紹介した自民党の小泉世代が提言しているわけだ。彼らの考えは、結局のところ、世代間負担の現状を、家族負担の割合を増やしていって凌ごうとするものである。ますます高齢化が進めば、現役世代では支えきれないことは明らかであるから、一理ある方策ではある。
私は逆に世代間負担の考えを根本から廃棄すべきだと考える。負担する人と受給する人を分けるのは嘗ての産業社会の思考を引きずりすぎている。特定の世代に負担を強いる現状は是認できない。だから、雇用者である会社も保険料の負担せざるをえない正社員の雇用を控えるし、また保険料を支払わない人達も相当数にのぼるのだ。リタイアした老人だけが生活困窮するわけではなく、若い人でも受給を受けるべき人は多数いるのが今日の格差社会だ。
ではどうすべきか。所得額とか、年齢とか、家族とか、そういう社会的な枠組みをすべて廃棄し、税の仕組みを個人を単位とする消費税社会にすべきだと、私は考える。議員の投票では投票権に区別はない。若い人、老人、障害者も一律に一票を行使する。保険制度も同じだとおもう。消費税というのは税としてもっとも公平な制度・仕組みだと思う。今日、生活を送っていく上で、ものを購買しないで済ますことはできない。無尽蔵だとされる水や空気でさえ、購買の対象となっている。だから、お金持ちは大量の物に大金を消費するだろうし、質素に暮らさざるを得ない人はなるべく少ない消費をしているに違いない。その税の一定割合を給付額として分離し、年齢関係なく所得の少ない人に医療費や社会保障費として分配する。
こうした考えは単なるアイディアではなく、理想的な将来社会を想定するうえから生ずるものだ。マルクス風に言えば家族の廃止、つまり社会制度の揚棄という展望でもある。【彬】