ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

八ヶ岳=横岳/赤岳を登る

2012年08月30日 | 日記

赤岳山頂の南斜面から見た横岳。稜線が登山道となっている。北斜面は岩場が多く、特に急峻である。途中にあるのは山小屋・展望山荘。周囲の緑はハイマツとシャクナゲの群生。岩場にはコマクサも群れをなして咲いている。

 

この数年、友人に誘われて夏山登山にいっている。

今年は長野と山梨の県境にある八ヶ岳の山塊の主峰をなす赤岳(2,899m)、横岳(2,829m)に挑戦した。

私は山男ではないが、自分の脚力の衰えを知るちょうどよいバロメーターであることを理由に登っている。ピッチが遅くなって、この数年の衰えは隠しようがない。とはいえ、この山は想像以上に急峻で、切り立った稜線は左右が岩場で、鎖と鉄ばしごの補助なしには登りようがないものだ。特に北斜面はぞっとするような深い谷で、岩にへばりつきながら眼をそむけて、そろりそろりと歩むほど。天候に恵まれたからよいものの風にでも吹かれたら素人では前に進めないにちがいない。

こんな山だからだろう、年配者のツアー登山者にはほとんど遭遇しなかった。しかし、70歳近くの高齢夫婦が登ってきたり、女性の登山者も多くみられ、山の魅力がブーム以上のものであることが実感された。

かつての登山はアドベンチャーであったろうが、現在の登山は装備などが改善され、明らかにレジャーとなっている。山小屋の設備もずいぶんと改善されて、トイレなども清潔になった。でもまだまだである。山稜の空気や風景を単に愛でるためのものではなく、楽しいスポーツとして位置づけられるような環境に早くなってほしいものである。【彬】

 
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水村美苗・続明暗を読む

2012年08月27日 | 日記

水村美苗さんの似顔。本のカバーから描きました。似ていなくてすみません。黒く透明な眼が印象的な方のようです。口元を閉じ、若干微笑んでいるような雰囲気が出ていればスケッチとしては成功だと思います。

 

この2、3月の間、暇をみながら漱石の「明暗」と、水村美苗の「続明暗」を読んできた。本日、ようやく読み終えたので、ここに記す次第。

ご存知のように「続明暗」は、漱石の未完に終った「明暗」を、想像力を駆使し完結にもっていた問題作。発表当時、文壇から漱石読者を含め、その発想に仰天した作品である。

水村さんは、少女から青春時代をアメリカで過ごした日本人。コトバの持つ複雑さを背負って活躍中の作家であるが、アメリカに居ながらにして、漱石の時代=明治の風俗、言語の表現スタイルをまったく自在に使い分けていることにまず驚かされる。そして「明暗」が出している物語の伏線を、細部にわたって継承し、作品を完結していること、その力量に驚嘆する。日本文学を継承する人の底力を知る想いがする。

漱石の「明暗」は、一連の作品以上に、心理描写が難解で錯綜していて、ストーリーの本筋がどこにあるのか、分かりにくい。しかも主人公というべき津田が、なんとも優柔というか、歯がゆくて、主人公の輪郭がつかみにくい。漱石好きでもこの作品を好む人はあまり多くはないようだ。水村はそんな作品の持つ特徴を生かしながらも、整理して、話をどんどん先に進め、津田よりも奥さんのお延のほうに中心を置いたような作品になっている。途中から、おいおい、そんなに進んで大丈夫かいな、と心配したくなるほどの展開ぶり。最後の場面に至っては登場人物が一同に会すると言った風で、水村のストーリーテラー振りに脱帽である。が原作を壊すものではない。

明治という時代が抱えていた課題が、一方で富国強兵というような国策の背後に、新興インテリ層と金持ち層、それと貧困層の分離、身分制度を残した封建的な雰囲気、そして技術社会の発展といった近代国家の様々な難題が、漱石の作品の中にはすべて凝縮しているのだが、これらを恋愛小説として表現しているのが「明暗」である。いつの時代でも色あせない漱石の作品を水村さんが一層強固にしたという感想である。【彬】

 

 

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夏の銀杏並木

2012年08月22日 | 日記

 

銀杏というと黄葉する秋に話題が集まりがちだが、夏の銀杏も葉が茂って格好な緑陰を作る。

神宮外苑(新宿区霞丘、国立競技場の隣)の手入れの行き届いた銀杏並木は、青山側から見ると、遠くに絵画館を眺め、圧巻である。緑道は広く、都市の中の緑として、この上もなく、理想的でもある。

写生したのは銀杏の果実。夏の果実は薄緑色をしていて、みずみすしい。銀杏は雌雄異株であるために、実を付けるものと、つけない樹が別である。雌木には今、葡萄のようにたくさんの実を付けているのが、観察できる。神宮外苑だとこの実が熟する頃、近在の人が早朝に拾いにくる。噂では料理屋の人達だとか。しかし、栽培していない実は小粒で味も悪いから料理人云々はまったくの嘘だろう。

 最近、大阪・御堂筋を散策する機会があった。都市計画が行き届いた、素晴しく立派なプロムナードである。

この御堂筋には銀杏が延々と植えられている。実がたわわに実っている。この銀杏、葉が茂り、車の行き来を遮音して、落ち着きがあるのだが、秋になって、あの独特の匂いを持つ実と、落葉とをどのように管理するのか、ちょっと心配になった。

長年の叡智による処理方法があるのだろう。他人が云々すべきことではなかろうが、気になることである。

ついでながら、銀杏は単子葉の植物で、シュロとか竹などと同じ分類に入る。だから、葉は厚みがありなかなか枯れない。ぬめりもあって、すべる。アスファルトの道路には始末に悪い葉である。日本では街路樹に好んで植える傾向にあるが、私は好まない。【彬】

 
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夏に出会う生き物

2012年08月18日 | 日記

カエルを食らうタガメ

私が茨城の豊かな自然に囲まれた職場に移ってからやがて11年になる。

翻って、私が小学生だった頃に暮らしていた日野市も自然豊かで、夏になると様々な生き物に出会ったものだ。当時、関心を持っていたのは、水生昆虫。タイコウチ、ミズカマキリ、ゲンゴロウ、コオイムシ、タガメ、など。水の中は不思議で溢れていた。

茨城で、子供の頃にタイムスリップしたように、彼らに再会した。

特にタガメに出会えたのは、驚きであった。いまや、絶滅危惧種。ほとんど見ることはなかったが、こちらでは農業用水の堀などで見る。夜になると、照明の光に飛んでくる。6年ほど前、水槽で飼育していた。餌は生きたカエル。水槽に入れると、カガメを恐れ水面に浮く水草の葉の上に身を隠す。表情は恐怖で青ざめ、脂汗をたらしている(ように見える)。タガメは、鉄仮面のように無表情。機をとらえ一瞬で、鎌のような前足でカエルを押さえる。ストロー状の口で体液吸い取る様は恐ろしいほどである。朝、水槽を覗くと、干からびたカエルが沈んでいる。自然の摂理なのだ。

水性昆虫は、非常に繊細な生き物で、ちょっとした環境の変化で姿を消す。

この数年、いつもの堀で見られなくなった。・・・そのうち、水田を歩く機会も少なくなり、関心が薄れてかけてきた。

が、先日、会社正門の守衛さんが、門の照明に、大きなタガメが飛んできたのを見たという。ああ、茨城の自然は豊かでタガメも元気か!

8月6日 【岩下賢治】

 

 

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諏訪湖畔にマルメロの並木

2012年08月17日 | 日記

 マルメロの幼果

コミュニティバスで諏訪湖を巡ります。
湖畔はきれいに整備され、ジョギングロード上をジョガーが軽快に走っています。
と、法面の背の低い木が眼に飛び込む。黄色い袋がかけられていて、遠くから見ると、なんだか花が咲いたよう。リンゴに袋がけするなんて聞いたこともないし、、、と思っていると所々にカリンの木も混じっている。

なんなのでしょう。
ホテルのマネージャーに尋ねてみる。
「ああ、あれはマルメロですね、カリンです。食べられません、袋がけしないと実が大きくならないようです。」

噂には聞いたが、食べられないものを育てるにしては、大袈裟ではないか。しかも桃や梨のように白い袋ではなく黄色とは、などと思う。
袋が外れたものをよく見ると、薄紫色をして、イチジクくらいの大きさ。おいしそうである。が、もちろん食べられない。これがリンゴほどの黄色いマルメロになるのだ。
マルメロはカリンやボケに近く、リンゴや西洋なしとも近い果樹だそうだ。熟した果実は芳香があって香りの良い果実酒や蜂蜜漬け、ジャムなどが作られるという。

諏訪あたりが栽培地だそうである。【彬】

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