近年、友人やその関係者が病床にあったり、死亡したり、といったことが相次いで憂鬱である。70を越えると普通ではないよ、というのが口癖の友人がいるが、高齢というのは避けることの出来ない重荷である。小生は幸い健康ではあるものの、否が応でも今日の超高齢化社会について、考えざるをえなくなっている。
老人問題というと、普通は老人福祉とか介護や医療とかになる。それだけならば十分にお金があり、福祉制度がしっかりしていれば解決することになるが、問題の根本はそんなことにはないように思う。
本当の問題は、死に向かうことを、どのように考えるかということである。事故などは別にして、死は自分ひとりでは実行できない。現実的にはこの処置はまったく家族内でこなされており、法的にも家族法によって「扶養の義務」が明記されている。しかし、今日の老老介護の問題などをみるに、家族が扶養の義務を負うというのは限界である。そして今後ますます寿命が伸びる。吉本隆明さんは将来寿命は120歳まで伸びると明言している。120と言うのは一説によれば遺伝子をタンパク質にコピーできる限界回数ということらしい。そうなっては家族の扶養は無理だ。
論理が飛躍するが、将来、老人問題を解決するには、現状の家族を解体する以外にないように思う。死は個人で迎えるのだから、一定の老人に達したら離婚して家族の桎梏から離れる以外に無いのではないか。そのために、個人から成り立つ老人の共同社会=施設をつくる。ただし、それまでの家族意識(対幻想)をどう始末するのか、という問題が当然起きる。
でも、難しいな。老人問題はむつかしい。でも切実であることには変わりない。【彬】
絵にしたのはヤドクガエル=南米に生息する猛毒を持つカエルである。村上龍「半島を出よ」で教わった。