この夏、僕はロシアへの小さな旅をした。ロシア第二の都市、サンクトペテルブルクへ。それも、150年ほど前の、帝政ロシアの時代へ。
旅に携帯するのは数冊の本と、テレビの語学教材。・・・・・
つまりこういうことです。現在NHKテレビのロシア語講座の舞台は帝政ロシア時代の首都サンクトペテルブルグですが、番組中で、プーシキン、ゴーゴリー、ドストエフスキーなど帝政時代に当地で活躍した文芸作家と作品の紹介があるのです。僕は、文豪たちの作品を読み、その作品の舞台・現場をテレビで辿る旅をしたのです。
プーシキンは近代ロシア語、文学の祖で、今でも国民から敬愛されている。ゴーゴリーは当時の社会や人々の暮らしを皮肉とユーモアを込め生き生きと描く。さて、ドストエフスキーは「罪と罰」を高校生いらい久しぶりに読みました。この作品は、当時のロシアの社会状況を背景に、人間の傲慢さ、良心、宗教心などの深層心理をサスペンス風に描いたものです。テレビでは、主人公ラスコーリニコフや恋人のソーニャが住んでいた家、その他作品に登場する橋、建物が紹介されます。さらに主人公の家から犯行現場への道筋、凶器となる斧の置いてあった場所まで映し出されます。日本人的感覚で文章から受ける風景と、現実の風景は違うように思う。つまり現実のロシアは広く大きい。
今回のロシアの「小さな旅」は大変充実したものでした。
今思うことは、
① ロシアは常に、西欧、EUが意識の中にある。進んだ西欧文化を取り入れると同時に、対峙してきた。そもそも、1703年、ロシアの近代化を目的に、西欧との窓口として、何もなかった沼地の上にサンクトペテルブルグが首都として建設された。
② ロシア人は、西欧的な合理性では計り切れない心情がある。これは、或るロシアの詩人の言葉でもある。
③ ロシア語という言語。語尾変化がきわめて多様。繊細で複雑な表現。ロシア人の思考も繊細で複雑?
絵は「罪と罰」の冒頭に出てくる、K橋です。
8月28日 岩下賢治