ハイビスカス
私は、この8月をもって、長年購読してきた朝日新聞を止めることとし、販売店に通知した。親しくしてきた配達員には申し訳ない気持ちだが、私が新聞に求めるものと内容が明らかに違うための結果である。
何が違うのか。
ニュース記事がないからである。おそらく報道すべき出来事を追いかける記者がいないのであろう。たとえば今夏、豪雨の被害が続いた秋田地方の報道が全くなかった。秋田在住の記者がいないのかもしれない。しかし、青森からでも仙台からでも、後追いで追跡すれば、被害の状況は隈なく報告できるはずである。が、そうした形跡がない。
反面、高校野球ばかりは有名高校をこれでもか、これでもかと根掘り葉掘り記事にする。しかし一般の高校で野球部がどのような事態になっているのかについては一言も言及がない。スポーツの報道ではなく芸能記事に相当するヒロイズムである。しかも地方版からスポーツ欄に亘る2~3ページを独占しての報道である。いくらスポンサーの冠大会といえども一般紙としてはやりすぎである。
論説欄の見出しも異様である。〇〇をせよ、などと平気で言う。政党新聞ではないのである。
今、ニュースについては、ネット上のポータルサイト(グーグルやサファリ)で逐一伝えられるから、新聞に依存する必要はない。また論説にあたる部分についてはツイッターほか、さまざまなサイトがある。時には偽情報や一方的な立場の表明であったりするので、吟味する必要があるが、新聞より多面的だ。娯楽やスポーツ情報などは、YouTubeがある。もはや新聞を必要としていないのである。
でも、活字メディアに依存したい気持ちはある。映像や話し言葉より、書き言葉の方が、正確な伝達ができるからである。それにも関わらず、新聞を止めるというのは、新聞の内容が劣化したからに他ならない。速報性に劣る新聞は、記者たちが伝達の意味を勘違いしているのだと思う。
今、新聞社内にはリストラが渦巻いているという。購読者が減り、経営的に成り立たないからという。おそらくそうした社内的な動きが、新聞の内容をますます劣化させているに違いない。
新聞は、ジャーナリズムの代表として政治的、社会的に大きな役割を果たしてきた。しかし今、そがは終わったのだ。それにかわるものがなんなのか、先が見えぬ状況の中で、ウ露戦争などという深刻な事態が続いている。【彬】