ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

高齢者のためのパーソナル・ビークル

2018年01月30日 | 日記

雪に埋もれた福寿草

 各地で高齢者の車事故が起こっている。一定の年齢の達したら、免許を返上し、車には乗るなというのが風説だ。

 しかし、地方に住んで、公共交通機関が不十分な場所で、車に乗るなというのは生活権を剥奪するに等しい。地方に限らない。都市部でも交通の不便なところでは、車に依存しない生活というのは考えられない。特に病気を抱えている人には、必需品だ。
こうした高齢者のために、自治体によっては、通信機器による病気診断や日用品の配達サービスなど、いろいろ試みられているのだが、決定打というには至っていないようだ。

 車=自動四輪車のことを考えるとき、私は、その開発発展の方向にいくつか欠点があったのではないか、と思う。
 言うまでもなく近代以降、車は馬車の代替として発展してきた。馬車というのは本来、人間を運ぶことではなく、物・荷物を運ぶことに機能があった。そのための技術改良の結果が、エンジンの高性能化、車両の大型化、すなわちトラックであった。その後、人間の乗り物として、バスや乗用車が開発されてきたが、基本は人の移動を助ける乗り物というより、貨物の移送という考えの延長線でだったと思える。その名残が、セダンとかワゴンとか、といった呼び名に残っていよう。
 人間自身の移動は、自転車であった。今日、自動車と自転車は別々な発展を遂げてきているが、高齢化を迎え、これを融合する時代になったと私は思う。自転車からの視点で発展していくパーソナルな乗り物、パーソナル・ビークルが待ち望まれているように思うのである。
 一人乗りで時速20キロ前後の速度を持ち、路地に自由に停車でき、買い物や通院に活用できる。安全のためほとんど自動運転になる。そのためには、専用の道路が必要になるのだろう。現在、自転車道の導入が進んでいるが、これと共用できるというものだ。
 小さな子供を持つ母親たちが現在利用している3人乗りの電動自転車は、開発が中途半端なのか、歩道を走る姿は危険で危なかっしい。高齢者だけではなく、子を持つ母親にも必要なパーソナル・ビークルが待ち望まれる。【彬】
 

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「カズオ イシグロ」の世界

2018年01月27日 | 日記

 このほど、カズオ イシグロの、the remains of the days (日の名残り)を読みました。

 かなり前のことですが、カズオイシグロという日本人が、若い時に英国に渡り、英語で小説を書き大変評価をされていると聞き、いつか読みたいと思っていた。日本人が外国語で外国のことを書くとどのような作品ができるのか、ということに興味があったのです。そう思いながらかなり時間が経ちましたが、ノーベル賞作家となったといことで、いよいよ読まなければと思いブッカー賞受賞作品を選んだ次第です。

 あらすじは、ある英国上流貴族の館に仕える老執事が、第二次大戦後の1956年、休暇をとり、今まで出たことのない館を後にして英国国内の旅をする。館は今では戦前の勢いをなくし富豪のアメリカ人の手にわたっている。旅先で、隆盛を極め欧州の要人(ドイツ・ナチを含め)の社交の場でもあった1920~30年代の華やかし貴族時代に、幾度も想いをはせる。物語は、現在と過去の出来事を行ったり来たり描きながら進む。そして旅の終わりに、館のため、自己犠牲までして執事の品格を守り尽くしてきた自らのこれまでの生き方を振り返る。もっと他の生き方もあったのではないか?しかし、「一日で最も楽しいのは夕暮れ時だ」、との思いに至る。そして、これから前向きに生きていこうとする。

 この作品は、作者が、35歳のときのものであることに驚かせられます。重厚な英国貴族社会や、老執事の心境がよく描かれています。イシグロ氏は、5歳のときに英国に渡った、ということでなるほどとは思いますが。

 ところで、僕には、英国と日本は似たところがあると思います。戦前、英国は世界に覇権をふるっていた。日本はアジアに広い領土を有していた。そして戦後ほとんどすべてを失った。戦前戦後を生きた人には、栄光の時代に想いをはせる人もいるでしょう。イシグロ氏にはそんなところに感じるものがあり小説の舞台にしたのか、と想像したりもします。

 さて、この作品は、原書を英語で読みました。作品の英語を通し、英国の文化に触れたいと思ったからです。日本人の僕から、この作品で英国はどう見えたか?この設問の回答は難しい。具体的に挙げれば色々あるのですが。日本語と英語は違う。当然文化も違う。要は、違いを自分の感性でそのまま受け取ることです。日本語訳で読めば、また違った楽しみがあるでしょう。 

  絵は旅に出る老執事。   

    2018年1月27日  岩下賢治

 

 

 

 

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狭すぎる飲食店

2018年01月15日 | 日記

日本水仙

 外食することが多いわけではないが、私が行くような居酒屋や大衆食堂は、どこに行っても狭い。一坪に4人がけ、両肩どころか面と面がぶつかりそう。立ち食いのファーストフードならいざ知らず、落ち着いて飲み、食べるには、正直言って狭すぎる。私はタバコを吸わないから、隣に喫煙者が座ったりしたら最悪である。
 安価な店に行って狭いなどと言うなかれ、とも言えるのだろうが、こうした不快な思いをしているのは私だけではあるまい。
 店側には当然ながら狭い理由があるだろう。
 経営が成り立つためには、諸経費を切り詰め、狭い場所に席数を目一杯に確保する以外にない。従業員の給与も低く抑えるためにカタコトの外国人を雇う。ところが、それでも経営が成り立たず、閉店に追い込まれる店も少なくない。私の住むところでは、ずいぶん賑わっていたはずの「富士そば」が閉店だ。

 問題はどこにあるのだろうか。原因は家賃が高いからだと思う。知り合いの不動産業者に聞いた話だと、通りに面したところでは坪3万が相場だそうだ。10数坪を必要とする飲食店だと、月40~50万の家賃となる。これでは負担が大きすぎる。そこで新たな店は、高価格な、例えば客単価が1万円前後もする料理店にならざるを得ないのだ、とその不動産業者は言うのだ。
 町の活性状況を図る測定器は、多様な飲食業の隆盛度数計である。消費の最終段階である飲食業の動きを考慮せずして、経済の活性はありえない。以前のような工業生産が経済の基本ではなくなっているのである。

 思いつきだが、店舗規模に応じた飲食店への公的な補助はできないのだろうか。かつて吉本隆明は不況脱出の経済政策として、消費業界に大量の資金投与を示唆すること提言したことがあったことを思い出す。【彬】

 

 

 

 

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再び、青春?

2018年01月08日 | 日記

 2017年10月9日付けの、「秋の読書に高校教科書を」の続きになります。

 所謂、文系、理系、でいうところの文系である僕は、不足している理系の知識を求め昨年10月から、高校の、物理、と、化学、の参考書を読書リストにいれた・・・教科書は手に入らず参考書にした。加えて、12月からは、「生物」、を読み始め、先日読了した。

 恥ずかしながら、初めて接する教科のように、新鮮で、驚きも感じ大変面白かった。

 最近の高校「生物」の内容はかなり進んでいる。今、NHKテレビで、「人体、神秘のネットワーク」が放送中である。人体の各臓器が互いにメッセージを交信しあい体の機能、健康を維持できるようなネットワークができている、という。医学界でも最先端の研究分野である、として紹介されている。一般の人は、この番組で初めて知るものばかりと思うのだが、僕の読んでいる、高校「生物」に最新情報の形で既に載っているものもある。

 高校時代おろそかにしていた、物理、化学、生物、を読んで本来の自分自身を思いおこした。子供のころから、理科好きの少年だったということを。もし、この分野をよく勉強していたら別のものの見方が出来てきたかもしれない。

 高校時代、青春時代は悩むことが多いものだ。今思うと悔やむことも多い。人はだれでも過去に悔いるものがあるのではないだろうか。だが、今回の読書で、悔やむ気持ちが少し和らいだようだ。新鮮な知識を得て、今は、再び、青春、という気分にある。

 絵は、DNA。「生物」の掲載を参考にした。

    2018年1月8日  岩下賢治

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都会の、無宗教の葬儀

2018年01月05日 | 日記

 白菊

 昨年暮れ、知人のお葬式があり参列した。年をとると参列する機会が多くななる。私は仏教徒ではないが、家代々に伝えられた葬儀の慣習が心の奥底にしみついているのだろう。黒服に身を固めお焼香をするとなんだか身が清まった感じがするものだ。
 ところが、昨年の葬儀はそういった慣習から離れ、全くの無宗教、花を添えるだけの葬儀だった。友人代表が弔辞を読み、家族が返礼の言葉を述べるだけ。広々とした祭壇は隅から隅まで白ギクで覆われ、崇高な雰囲気を演出しているのだったが、線香の香りも宗教歌もなく、楚々としすぎて故人を送るにしてはなぜか物足らなかった。
 私自身も無宗教だから、私の死出の際もこういう葬儀になるのだろうか。
 死とはなんだろうか、後からいろいろ考えた。
 問題は死後の世界ということになる。私は無宗教だから、天国や煉獄、極楽や地獄といった言説には囚われないのだが、土になろうが、どこに行こうが、死というのは現世から離脱することには違いがない。
 この「離脱」するということ自体が、おそらく根本的に宗教的なことなのだと思う。だから無宗教とはいえ、葬儀というのは必然的に宗教の色合いを持たざるを得なくなるのではないのか。
 無宗教の場合の、死の原型=葬儀のあり方について具体的にどうこう言うことはできないが、色紙を書くとか色々な形で、時間に制限なく自由に別れを告げる形が良いのではないか。そんなことを思うひと時だった。【彬】

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