先日、6月23日(土)NHKBSで、ハーバード大学の政治哲学教授、マイケル・サンデル「白熱教室2018」の放送があった。
この授業は、随分前から政治経済などにからむ現実の問題を、学生たちと直接議論し答えを求めていくことで、話題となっていて、僕もよくみていたし教授の本も読んでいた。今回は、民主主義と西洋哲学発祥の地、ギリシャの古代遺跡を教室の場として、世界から21名の若者を集め、テーマを「移民と国境問題」で進められた。参加者のほとんどは、欧米出身の30歳前後でこのテーマにかなり関心があるはず。僕としては、彼らがどのような考えをもっているか関心をもって見ていた。
議論の流れは以下の通り。
移民は、次のように、災難から逃れようとする難民と、より良い生活を求めての難民に線引きされる。
① 戦争や迫害などを逃れての難民は受け入れる。全員道義的に賛成。
② より良い生活を求めての移住は一部反対。・・・反対理由は、既存住民の文化や所得にマイナス影響をおよぼす。・・・賛成理由は、異文化を受け入れることで、より多様性にある強い社会が築ける。今の、アメリカ、イギリスのように。
さらに、議論は、国家、国境問題に入り、
③ 現在の、ヨーロッパなど豊かな国は、世界中に植民地を持っていた。それにより今の富を築いた。
④ いや、アメリカは自らの力で植民地を切り開き国を作った。
⑤ 難民を生み出す原因には、先進国はすべてがなんらかの関わりをもっている。
そして、議論の終盤では、人々はコスモポリタン「世界人」でありたいという意見が出てきた。しかし、固有の文化、国家意識を持たないで自分らしい生活ができるだろうか?・・・のような議論の流れになった。
最後に、サンデル教授のまとめは、今回のテーマで結論まで行きつけなかったが、常に現実をみて議論を交わしていいかなければならない、であった。
さて、話は飛んで。今、ワールドカップ真っ最中。特にサッカーに興味のない僕も、日本の対コロンビヤ、セネガル戦には大変興奮した。その興奮は、どこからくるのだろうか。冷静に観察すると80%は、日本国民という国家意識によるようだ。グローバル化の時代にあっても国家意識は変わりなく、むしろ強くなるようにも思う。
おそらく、ほとんどの人は、先ずは世界人でありたいという考えに反対する人は少ないだろう。だが、実際はどう振舞えばよいか分からず、僕の場合、「日本人」という枠に避難し、安ど感を感じる。「白熱教室」で出てきた「世界人としての国家意識」とはどういうものなのなのだろうか? グローバル化にあって課題であると思うのだが、現実には、欧米の一部は、むしろ保護主義化に傾いている。
絵は、白熱教室の様子。
2018年6月26日 岩下賢治