ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

贅沢な悩み?

2016年03月23日 | 日記

 そろそろ僕の入っている絵画愛好会の展示会があり、何点か自分の作品を展示しなければならない。最近は絵を描いていない。何かを描かなければならない。不思議なことに、いいアイデアが浮かばない。以前は、スケッチブックをもって歩いていれば絵心を誘うものにすぐ出会えたのだが。今は無い。少々悩むところ。 

 話は飛ぶが、

 絵とか小説とか音楽とかを作りそれで生業としている人がうらやましいと思っていた。自分の意図するものを作り、世に提供し喜んでもらいお金をもらえる。だが、そういう仕事にも、締め切りというものあり、良い作品ができずに苦闘している姿はよく聞くところ。芸術のような好きなことをやっていても、仕事である以上制約はあるだろう。作品が売れるためには、売れるものを作らなければならない。自分で好きなものだけやっていればいいわけではないでしょう。(勿論、例外はあるだろうが。) 

 一般の人の仕事、例えば会社員のそれ。かれらは大いなる制約のもとで仕事をしている。制約とは、主に品質と納期。そして、今よりいっそうの創造性、コスト、品質、納期を求められていると思う。むしろ、最初の創造性が重要でしょう。つまり、感性が必要。人みな、芸術家でなければならない、なんてことになるのかな。 

 昔、流行った植木等の歌。「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ・・・。」これは高度成長時代のもとでの歌であり、今の、低成長時代には受け入れられない。厳しい状況の今日。それでも、人みな趣味のような息抜きが必要でしょうね。僕のような凡人も、そして小説家も画家のみなさんも。 

 僕が何を描いたらいいか悩んでいる?今、図書館で写真集を借り絵のネタをさがしています。自分でも贅沢なことだと思うのですが。 

 絵は、検討中に描いてみた桜のイメージ絵。展示作品ではありません。 

               2016年3月23日  岩下賢治

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高尾で梅を見る

2016年03月15日 | 日記

 3月13日、高尾山の北側、いわゆる裏高尾の木下沢(こげざわ)に友人4人で、梅を見に行った。

 そろそろ桜の知らせが届く頃で、梅などとっくに散っているだろうと思いきや、この数日の寒さのぶり返しで、花期が長びいたのか、紅白それぞれ満開だった。

 ここら一帯は、旧甲州街道の川沿で、数キロほど断続的に梅林が続いている。あちらこちらの集落で梅祭りが行われており、日曜日ということもあってか、それぞれ大にぎわいだった。狭い街道は梅見客で行列をなすほど。といっても、お客は我々と同じ老人ばかり。若者に梅は似合わないのか。寒いせいもあって、弁当を広げるも、足元から冷えてきて、どの会場も気勢があがらない。

 梅は桜のように一気に咲かないで、ボツポツと咲く。木も大きくならない。当然華やかさに欠ける。梅見は年寄り向きなのであろう。そんな情景にいると、梅は縁側で老木を楽しむにふさわしい花のように思えるのだった。

    白妙の 梅の花におう 木下の沢

                     絵は高尾梅郷 【彬】

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春に見る夢

2016年03月08日 | 日記

  

  ある春の暖かい日の午後、自然豊かな山中の道路で、クルマを運転していた。食事をとりしばらくしてのこと、眠さを感じるようになった。目的地はもう少しだと我慢して運転を続けていたが、何かに吸い込まれるように気を失い、強い衝撃を感じたとところで、意識が戻った。車は、ガードレールにぶつかり停止していた。大変なことになった・・・。と、もがいていていると、ようやく現実の朝日が目に入ってきた。・・・春の明け方の夢であった。

 このところ国内で、ドライバーの健康状態が原因の自動車事故が多発した。交通事故は実に不条理である。平和な日常生活が一瞬にして壊される。そんな気持ちが夢に現れたのだろう。

 ところで、購読している米国タイム誌の先週号の特集は自動車の自動運転技術である。米国での話であるが、自動車事故の原因の94%はドライバー側にある。自動運転装置は、運転の安全安心を確保する画期的な装置で、ドライバーは目的地をインプットすればあとは何もしないで到着できる。自動車業界の意見としては今世紀中ごろには自動運転車の市場を作りたいとしている。また、先日、NHKテレビ、日曜日朝の「ニュース先取り」で、AI(人工知能)技術の一環として自動運転が紹介されていた。以前は、まったくの夢であったものが現実に近づいてきている感はある。だが、交通事故ゼロは今すぐほしい。

 僕自身、昨年まで13年間茨城県に住んでいて、クルマが必需品であった。東京に戻り、今クルマは運転していない。そんななかで、歩行者の立場から交通事故ゼロへの行動はある、と思う。鉄道のホームで駅員さんがおこなう、右ヨシ、左ヨシ、の指差し呼称です。というか、作業現場では必ず行う、アレです。・・・会社でやっている人は外にでてもやればいいんです。これは道路横断時などでの交通事故対策だけではない。火の元ヨシ、戸締りヨシ、・・・なんでも役に立ちます。物忘れが出てきた人には特に有効でしょうね。

 春の変な夢から、自動運転、そして、指さし呼称の話になりました。春眠暁を覚えず。・・・次はいい夢を見たいですね。

  絵は、今朝がたの夢の一コマ。     2016年3月7日  岩下賢治

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AMAZON、恐るべし

2016年03月06日 | 日記

     

 まるまる太った雀の番いが我が家のベランダに来ている。

 アマゾンを通じプリンター用のインクを買った。純正品ではないので、2セットで1,000円なにがしかという安物。正午少し前に注文したのだが、暫くしてメールが届き、本日中に届けるという。えっーと思ったが、確かにその日のうちの6時30分に届いた。なんという素早さだろう!

 アマゾンの配送システムはデジタル通信革命の一つの成果だが、流通業者や小売業を圧迫するものと危惧する声もある。特に出版界。いま、ネット経由で書物を買う人が圧倒的に多くなり、版元、取次、書店の系列は完全に破壊された。読者は読みたい本をネット上でいくらでも探すことができ、即座に取り寄せることができるのである。

 書物だけでなく、日用雑貨も同じような流通革命の波にさらされている。街中には文房具、洋品店、履物店など無くなってしまった。反対に次々に出店するのはコンビニである。コンビニは、物を売る場所から、金融、情報通信、物流の中継点の機能を持つようになっている。

 私は以前、現在の対面交通を廃止し、一方通行化を提唱した。交通は人体を流れる血流のように動脈、静脈に分けられるはずだ、と述べた。アマゾンを代表する素早い配送は、モノの流れの一層の改変を促す先駆けなのではないか、と思う。彼の社はより一層の効率化を目指し、パッケージのあり方をどうすべきか工夫を進めているようだ。【彬】

 
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