ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

相模原・城山ハイキング

2022年11月21日 | 日記

 11月19日(土)誘われて、相模原市・城山のハイキングをした。

 すばらしい快晴。標高375mの山頂から眺めると、津久井湖、それを囲む紅葉が美しい。ところで、この城山(しろやま)は戦国大名北条氏の山城(やまじろ)であるが、もとは鎌倉時代に三浦氏が築いた津久井城。室町時代に北条氏の相模進出で所有者が代わった。

 さて、北条氏の祖は、北条早雲であるが、出は京都で、元は、伊勢宗瑞(そうずい)という。室町幕府のもと伊豆へ進出したが、2代目の氏綱から、北条と名乗る。NHKの「鎌倉殿の13人」の北条氏とは血縁的に全く関係ない。鎌倉幕府滅亡とともに北条氏は消滅している。

 ハイキングしながら、では何故、伊勢氏は北条氏を名乗るようになったのか気にかかっていた。後で調べると、新参者の伊勢氏が、伊豆に進出し、相模にまで勢力を広げるため、寺社などの信頼を得ようと、かつての統治者である北条氏を名乗ったということ。そして小田原城を本拠地とする戦国大大名となる。

 この北条氏も5代、北条氏直のとき、秀吉の小田原攻めで、戦国大名としては滅びる。

 今回ハイキングのおかげですこし歴史の勉強をしたな。

 絵は城山山頂からの津久井湖の眺め。

    2022年11月20日   岩下賢治

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投票率28%

2022年11月17日 | 日記

         満開の野路菊(ノジギク)

 先日、東京都新宿区の区長選挙が実施された。
 候補者は現区長と元区議でジェンダーレスを標榜する2名。結果は現区長が勝利。三期目を務めることが決まった。その選挙では、投票率が28.05パーセントだった。前回の同じ選挙は28.24%で、前回より若干少なかった。
 問題はこの投票率をどうみるか、である。
 そんなに低いのか、と思う人が多いに違いない。あるいは、当然の結果だとみる人があろうか。とはいえ、私は、この数字から区民の政治意識の低迷をみてはならないと思う。問題はそんなところにはない。
 なぜ、こんなに低いのかと言えば、新宿区のような都会では古くからの定住者がそれほど多くなく、しかも自治とはいえ、特別区であるためほとんどの行政が国家行政と不可分の関係にあるからである。
 地元に子供の時からずっと住んでいるところなら、町の変化から人脈など、ある程度想像がつくし、地域の行政課題の見当がつくのだが、新宿のような巨大な街では人は常に流動していて、自治意識は希薄にならざるを得ないのである。だから当然、投票率は低い。国政選挙とは違うのである。
 もともと、そういう投票率が低いところが都会の特徴であって、こういう状況の中で、いわゆる普通選挙というのはどういう意味を持つのか、が問われる。しかも区長の対抗馬が、地域行政の問題ではなく、ジェンダーレスを掲げることの意味はなんなのか。選挙民がそっぽを向くのも当然ではある。
 ならば、新宿区民の課題や悩みはなんなのか。
 突出している問題は、住民の流動化に伴う学校不足である。高層マンションが建てられ、若い夫婦が増えれば、当然その子どもが増える。しかし、学校は簡単には増やすことはできない。しかもいっとき、少子化で学校を整理統合したばかりである。人口の激しい移動に行政がついていけないのである。
 さらに建築物の老朽化に伴う再開発も課題だ。大手のデパートが建て替えられる。駅舎が作り替えられる。あまりにも大きな課題なので、自治選挙ではそれらの問題を問う事すら、その方向がわからない。
 村が一体となり、地方自治のあり方を問う選挙ではなく、常に流動化する都会の自治とは何か。
 都市における行政の役割は、従来と違った役割を帯びてきている。予算も巨額になってきている。都市における地方自治というのは、何なのか。根本から問題にすべき時代に来ているように思う。【彬】

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気になる言葉遣い

2022年11月13日 | 日記

                              次郎柿

 言葉は時代と共に変わる、と言います。漱石や鴎外などの作品を読んでいると、時々変な言葉遣いに出会うのものだ。日本語が標準語として洗練されていく過程で、こうした変化は当然に出てくる。
 自身を封建主義者として独特な主張を繰り返している呉智英さんは、すべからく(須く)は否定の接頭語なのに、これを総てと誤解し、肯定的に使う人士がいると、たびあるごとに罵倒していた。以前にも触れたことがあるが、檄を飛ばすという言い方も同様である。遠くにいる同士に向かって賛同を得るための文書を檄と言うのだが、今では叱咤激励のことだと勘違いしていて、味方を鼓舞する用語として、スポーツ番組などでは相変わらず使っている。「檄」と「激」を混ぜこぜにしているのである。
 以上のことは、漢字の誤用だが、こうした表現が今後、定着していくのだろうか。

 書き言葉以外のところでも、最近、気になることが色々とある。
 コンビニにいくと、「いらっしゃいませ、お客さま。こんにちは。」と声高に言われる。しかし、この言い方は変だ。何が変か。語順が変だ。「いらっしゃいませ」には、特定の来客者への挨拶が含まれているはずである。その暗黙の人称を、あらためて、後からつけるから変な感じになる。本来、いらっしゃいませ、だけで言葉は完結しているのだ。しかも、その上に、「こんにちは」までつける。「こんにちは」は時候のあいさつである。語頭につく言葉である。それが最後にくるから変なのである。だから「こんにちは、いらっしゃいませ」となるべきなのである。
 次に買い物を済ませ、レジで千円札を出すと、「千円からお預かりします」と言う。変だ。「千円をお預かりしました。そこから頂きます」となるべきだ。こんな変な言葉が一般化したのは、誰か無知な人が、丁寧な消費者対応だとして指導したからに違いない。
 テレビでの表現でも気になることがある。インタビューを受けてた人が、出演ありがとうと言われると、同じようにありがとうと返す。明らかにおかしい。感謝されているのだから、その受け手は普通なら「どういたしまして」とか「いやいや」となるはずである。こうした表現を知識人であるはずのテレビ出演者が堂々と述べているのである。
 それから、店内でのこと。例えば飲食店、店員がサービスとして「お茶はいかがですか」と尋ねると、お客が「だいじょうぶです」と答える。何がだいじょうぶ、なのか。また店員を呼ぶにに、「すみません」という。何がすまないのか。声がけの便利な表現なのだろう。でも用件をはっきり言って、「注文します」「お茶をください」「テーブルが汚れています」などと言えば良いのだ。
 「すみません」とか「だいじょうぶ」などというのは便利な言葉だが、その濫用が気になる。【彬】

 

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宇露戦争戦犯ーー誰が裁くのか

2022年11月07日 | 日記

                コナラの実

 宇露戦争はそれぞれのプロパガンダはあるにせよ、かなり詳細なことまで伝わってきている。それだけ通信手段が発達したということだろう。
 どういう形で戦争が終結するのか、誰も予測できないが、はっきりしているのは、露軍の戦争犯罪が夥しいということ。もちろん、この犯罪は裁かれなければならない。では誰がどのように裁くのか。通常なら戦勝国が裁く。しかし宇露戦争は、宇は露に攻め込んでいかいこととなっている。だから例え勝利したとしても露国の主権を奪うものではない。とすると宇国は露の戦争犯罪を裁くことはできない。
 戦争裁判は敵国の主権を奪って初めて可能になる。誰も露国に踏み込めない。とすると露国自身が裁くことになる。つまり政変である。政変が起って、現政府及びその軍隊を裁くことになる。とするとかなり曖昧な判決にならざるを得ない。
 次に問題になるのは、賠償である。露国は全面的に賠償しなければならない。しかし、それだけの余裕はあるまい。数十年をかけて賠償を行うことになろうか。
 これらの処理は交戦国同士である宇と露の間では不可能だ。だから第三者が間に入ることになる。第三者とは誰か。国連がその役割を果たすことができればいいのだが、当事者である露、及び中国が常任理事国である限り、正常に役割を果たすことは不可能だ。
 アメリカを筆頭とする武器供与国が連合して、これにあたるのか。もしそうだとすると、第二次戦後の世界体制であった国連は実質的に解体することにつながる。つまり新たな世界システムが模索されることになる。
 宇露戦争が重大なのは、核の使用云々の問題ではなく、未来社会をどう描くかの問題が絡んでいるからである。【彬】

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秋の多摩丘陵を歩く

2022年11月05日 | 日記

 11月3日の文化の日。昔のランニング仲間で、秋のハイキングを楽しんだ。

 多摩丘陵に整備された、「多摩よこやまの道」。小田急線の、唐木田駅起点、永山駅着で約10㎞、4時間と少しのコース。日本で一番長い遊歩道と聞いている。参加者10名。現役ランナーもいれば僕の様にウオーキング専門の者もいる。

 素晴らしい好天。紅葉は始まりつつあり、秋の花が快晴の空を背景に美しい。

 僕自身、膝の故障で、最近は3時間以上歩くことはないが、この日は特に不都合なことはなくむしろ脚の疲れが心地よい。・・・・4月に厄介な病が見つかり大きな手術をした。この日のハイキングですっかり回復したと実感した。

 絵は、「防人見返りの峠」からの眺望

   2022年11月5日  岩下賢治

 

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