夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

されど、年賀状・・♪   《初出2007.11.16.》

2008-06-02 12:55:01 | 定年後の思い
私は定年退職後の年金生活の四年生の身であるが、
ここ数年、年賀状の送付先に迷っている。

定年退職後の直後の御礼の礼状は、会社の上司、同僚、後輩、知人、
そして親族、親戚、友人などに、定年を境に働くことがない無職の通知も含めて、
くまなく出したりした。

その後、家内の父が亡くなり、定年後の初めての年賀は喪中となったので、
退職まもない11月下旬に『喪中はがき』に変わった。

その後、初めての年賀状の送付先は、
出来うる限り絞り、私の現役時代に於いて活路を頂いた方、友人、
そして親族、親戚とした。
元旦に現役時代と同じように、上司、同僚の賀状を頂き、
やはり2日に返信を認めた。

このような形で、現役時代より、幾分減っているが、
私なりに充分過ぎると思ったりしている。


私は退職後の最新の一年の状況を10行前後に凝縮し、
つたないなりの文章としている。
こうした状況を伝える為に、短じかな綴りに、
毎年苦心惨憺をしているのである。

尚、私は『年賀状印刷』に使われている定例書体であったならば、
せっかく頂いても嬉しくないのである。

少なくとも、みじかな近況を付記していた場合は、
さりげない人生の微笑みを頂いたりしている。

たかが年賀状、されど年賀状である。



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東京の郊外も、冬に向かって・・♪   《初出2007.11.16.》

2008-06-02 12:49:28 | 時事【社会】
東京の郊外は、どんよりとした曇り空の朝を迎えて折、
日中も14度前後の肌寒い日となる。


昨日までの3日間は、ぽかぽか陽気の10月初旬のような快晴に恵まれ、
私は日中たびたび外出したりしていた。

川沿いの遊歩道を歩くと、
桜などの落葉樹は、朱色、黄色に染め初めめ、
わずかな川風を受けると、葉を空中に舞い上がりながら、
地上に落下している。
こうした中、陽射しはさんさんと受けながら歩くと、
何かしら夢のような思いとなる。


帰宅後、このサイトを見ていたら、
北海道のお住まいの姪っ子のように私が勝手に好感している若き奥さまのサイト、

http://cafe.ocn.ne.jp/profile/ikoi522
拝読していたら、お住まいの貴地に於いては、
初雪と綴られて折、
一ヶ月過ぎの乳児、そして上の女の子を抱えて、
何かと大変だなぁ、と思いを寄せたりしていた・・。


東京の郊外は、これからの時節、晩秋のような陽気、
ときたま初冬の情景を見せながら、
季節の移ろいは冬に向かっていく。


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我が家の果樹は・・♪   《初出2007.11.15.》

2008-06-02 12:46:40 | 小庭の情景を眺めながら
早朝、玄関庭に下りたら、
花梨(カリン)の黄色の大きな実が三つばかり黒土に落ちていた。
昨夜に落ちたと思われ、家内に手渡している。

私は原則として落ちたものは捨てればよいのに、
と云っているが、
もったいないわ、と使えそうな実を家内の判断で、活用しているのである。

この所、家内は花梨酒を昼のひととき、作ったりしている。

花梨の樹木には、黄色い大きな実は、まだ30前後は残っているが、
少しづつ作るの、と家内は云っている。

私は東京の郊外の調布市に住む身であるが、
残念ながら私の経済力が乏しいので、
程々の広さの庭である。

雑木を主体とした樹木の庭であるが、
わずか果樹としては、花梨、無花果(イチジク)、梅、
そして小ぶりな伊予地方の柚子(ユズ)がある程度である。

花梨、無花果は婦女子の食べ物で家内と家内の母が賞味し、
私は伊予柚子をこの時節毎日2つばかり捥(も)いで、
主(あるじ)の晩酌の友としている。
梅に関しては、家内と共有している。
我が家はこのように果樹は、ささやかな分担としているのである。


先程、私は新聞を読んでいたら、
家内はスーパーのチラシを見ていて、
『今日の買物・・お砂糖もお願いね・・
花梨酒を作っていたら・・お砂糖・・残り少なくなったの・・』
と家内は云ったりしている。

私は新婚時代から、同じことをするなら明るく元気にとモットーをしているので、
『おやすいご用で・・どのくらい買ってくればよいの・・』
と齢を重ねた63歳の私は明るく答えたりしている。


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川面は、晩秋の陽射しを受けて、きらめき・・♪ 《初出2007.11.14.》

2008-06-02 12:44:12 | 定年後の思い
11時過ぎに、私は徒歩10分たらずの家電量販店に行く為に、
川沿いの遊歩道を歩いた。

歩道の脇のコスモスのそれぞれの色彩りを観ながら、
川辺の群生した薄(すすき)の白さを増した穂先、
そして川の流れを眺めたりしていた・・。

晩秋の陽射しを受け、川面はきらめいて、のどかな情景である。

このように晩秋の昼、のんびりと時を過ごせるのは、
現役時代の時は、夢のようなひとときであった。


家電量販店でパソコン関連の消耗品を購入した。

DVD-RWは、ハード・ディスクのバックアップ用、
CD-Rは、ハード・ディスクにあるデジカメの写真のアルバム用、
インクジェットは、プリンター用、
そしてプンンターの用紙、マウス用の電池などである。

バソコンを3年間以上お使いの方には、
お判り頂けると思うが、
CD、DVDの録画用、データ用のディスクは、
私の想像より廉く販売されているのに、
驚いたりしている。

帰路、晩秋の陽射しの中、のんびりと歩きながら帰宅した。


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『小判草(コバンソウ)』は、再び容姿をととのえ 《初出2007.11.14.》

2008-06-02 12:42:07 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、澄み切った青空で晩秋の陽射しを受け、
天候に恵まれている数日が続いている。

我が家の主庭の隅には、この時節であるが、
群生した小判草が若緑色の穂を付けて、少し揺れている。
小判草はイネ科の草花で、古来より茶花として愛用されているひとつである。

毎年、3月の下旬頃に芽を出して、稲のような容姿で成長し、
5月頃から葉先が小さな小判のような花穂となる。

初夏には小麦色に染めら、風もないのに揺れたりしている。
水田の稲が実を重たげに見せている状況と同じで、
背丈30センチ前後の小判草は、けなげな容姿となっている。

9月のお彼岸の頃になると、
枯れはじめて、また来年もお逢いしましょう、
という例年の移ろいである。

今年も例年通り枯れた後、庭の手入れの時に整理してしまったが、
過日の旅行前に芽を出し、帰宅後には幼い稲に成長し、
15センチ前後の小柄な容姿で
花穂は小判のような形となっている。

私は、今年から二毛作になったの、
と嬉しげに見つめていたが、果たして地球の温暖化のせいかしら、
と思いながら季節はずれの小判草を見つめたりしている。


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東京の郊外では、小公園の樹木も色づきはじめて《初出2007.11.13.》

2008-06-02 12:39:36 | 定年後の思い
私の住む東京の郊外の調布市は、街路樹、公園、住宅地は、
落葉樹が朱色、黄色と色づきはじめている・・。

昨夜に報じた天気予報に寄れば、
晩秋らしい快晴の陽気であるが、ところによると木枯らしが吹くと、
気象庁は伝えていた。

幸いときおり微風が吹く程度で、おだやかな晩秋の陽射しとなっている。

先程、買物に行った帰り、私の住む近くにある団地の小公園に寄ったが、
風にないのに陽射しを受けた中、はらはらと小さな葉が空を舞いながら、地上に落下している・・。
私は足を止めて、煙草を喫いながら、呆然と見つめていた。

5本程植えられている槐樹(エンジュ)の樹であるが、
わずかに黄色味に染められた葉で、このような色づきで落葉してしまうのか、
と驚きながら見つめていたのである。

春の裸樹から瞬く間に芽吹き、小さな黄味緑色をたわわに付けて、
5月の頃には若緑色の葉は周辺を日陰となし、
この後は淡い黄白色の花色を見せて、
やがて今日のような情景をもたらすのである。

この樹木は、縁起の樹木として、
中国では各戸に必ず一本は植えられていることで有名であるが、
私の住む街では公園、遊歩道で見かける程度である。

こんな思いで、陽射しの中、はらはらと音もたてず、空を舞いながら、落ちていく・・。

私が立ちすくんでいたので、ご年配の80歳前後の女性が足を止めて、
落葉している葉を見つめた。

『このように早目に散るとは・・私は知りませんでした・・』
と私は声を掛けた。

『そうですわね・・でも、陽射しの中・・散り急ぐのも・・素敵ですわね・・』
と私に答えた。

このような形で会話がはじまり、
周辺の欅(けやき)、ドウタン・ツツジ、公孫樹(イチョウ)などの落葉樹の色づくの時節を、
互いに言葉を交わした。

『奥さま・・毎年・・11月の末頃・・街路樹の公孫樹は黄色に染められた後・・
昼下りの陽射しの中で散るのは・・私は毎年見惚れています・・』
などと私は云ったりしていた。

私は見知らぬ女性であったが、こうした季節感のある会話は好きで、
ときおり遊歩道を散策したりしている時などは、
言葉をかけたりしている。

そして、今年も秋の季節のうつろいを確かに受け止めはじめている。



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私の苦手なキムチ・・♪   《初出2007.11.13.》

2008-06-02 12:37:32 | 食べ物、お酒
私は塩漬けした白菜は、唐辛子を少し掛けて、醤油を足して頂くのは、
晩秋から早春までの好きな食べ物であるが、
なぜかキムチ系の食べ物は苦手である。

家内はキムチを食べながら、
『どうして・・こんなに美味しいのに・・』
とからかわれたりしている。

私は残念ながら幼年期では巡り逢ったことのないキムチであったことが、
主因と思ったりしている。

味、味覚は幼少でその方の一生は決定される、
と料理の著名の方が何かの時に発言されて、
私なりに納得しているひとりである。

これと同様なのか、タラコは好きであるが、
明太子は苦手である。

私はニンニクに関しては、好きな調味のひとつであり、
例えば鶏(ニワトリの肉を焼いたり、煮たりした時、
ニンニクを淹れたりすると、寒さを感じる季節には好感して、食べ過ぎてしまうのである。

人それぞれ食べ物の趣向はあるのは承知しているが、
家内に云わせると、貴方も偏食が多すぎるわ、
と新婚時代に云われたりした。

一番困るのは、九州の博多に近い周辺を観光周遊ツアーを利用した時、
明太子の名店に寄り、販売員の方から見本品の賞味を進められ、
私は避け、横にいる家内が私の分まで頂いたりする。

私はそんなに美味しいの、と数多くの方たちが賞味しているのを、
唖然としながら微苦笑している。


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駅前の桜の葉は、朱色に色づき初め・・♪   《初出2007.11.12.》

2008-06-02 12:34:48 | 定年後の思い
東京の郊外は、爽(さわ)やかな秋晴れとなり、
私は11時過ぎに駅前に出かけた。

晩秋の陽射しの中、周囲の落葉樹は色づき初め、
私は身も心も解放されたかのようである。

私は年金生活で、余り時間に制約されない自在の身であるので、
バスの走る区間の道路を避けて、少し遠回りであるが、旧街道を歩いたりしている。

晩秋の情景を眺め、季節のうつろいを心に受けとめながら、
歩いたり、ときには足を留めて、樹木を眺めたりしている。

駅前の外れにある喫煙所で煙草を喫ったりし、
駅前の桜の大木を眺めたりしていた。

陽射しの中、葉は朱色に色づき初めているが、
人の流れは忙しいそうである。

学生、主婦、ビジネス・マンの方たちも、何かしら追いたてられるように歩いている・・。

この後、コーヒー・ショップの『ドトール』で、
コーヒーを飲んでいたが、若い女性、中高年の男女も何かしらお忙しそうな素振りである。

社会の第一線を卒業した私のような年金生活者の方々は、
ゆっくりと煙草を喫ったり、新聞を読んだり、
或いは本を開いたりしている・・。

私は微苦笑しながら、煙草を取り出しながら、
ふたたび持参の本を読みはじめた。

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ときには、歌人、俳人に心を寄せて・・♪ 《初出2007.11.12.》

2008-06-02 12:30:54 | 読書、小説・随筆
今朝は新聞の朝刊は休刊日であったので、
何かしら手持ち無沙汰のような思いとなり、
私の机上の隅にある一冊の本を取り上げて読んだりした・・。

長谷川 櫂・著の『四季のうた』(中公新書)であり、
時代を超えた有数なお方の読まれた作品が、
月ごとに俳句、短歌、川柳などが掲載されている。

今月の中のひとつが、私の心に沁みた短歌があり、
私は心の中で口ずさんだりした・・。


充ちわたる 空の青さを
思ひつつ かすかにわれは ねむりけらしも

        作者・古泉 千樫


長谷川 櫂の解説に寄れば、

大正13年(1924年)秋の歌。
千樫はこの頃から結核の為、東京の自宅で病臥して過ごす。
故郷の南房総の秋空を懐かしみながら、
つかの間の眠りに落ちたらしい。
身も心も青空に抱き取られてゆくかのように。

以上、無断であるが、転記させて頂きました。


私は、昨夕、布団にもぐり『文藝春秋』をしばらく読んでいたが、
うとうとと眠りの誘惑に負けて、眠ってしまったのである・・。

夢の中、過日、沖縄本島に滞在した折、
私は独りでプライベート・ビーチを散策し、
空の青さ、海の蒼さを眺めながら、浜辺を歩いた。

私の住む東京の郊外では、9月の初旬のような陽気で、
戸惑いながらも周辺の光景に身も心にゆだねて、
閑散とした11月の初旬の浜辺を歩いたりした・・。

現(うつつ)と夢幻を中を交差したのであるが、
確かにあの浜辺は歩いたのである。


このような想いがあったので、大正末期に詠まれた歌人の一首に心を寄せたのである。

私は歌を詠む力はないので、せめて短歌や俳句、そして川柳などを、
ときおり著名な歌人、俳人の歌を読んだりするのは好きである。




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東京郊外も梅雨の時節を迎えて・・♪

2008-06-02 07:37:00 | 定年後の思い
東京郊外は、昨日は久々の快晴で、
私は買物、散策をし、小躍り気味で歩いたりしていた・・。

今朝はどんよりした曇り空であり、
金曜日の6日まで晴れマークはなく、
台風5号が北上しているので、平年より早目の梅雨の時期になるのかしら、
と私は微苦笑している。

雨が降ったり止(や)んだりする日々が続くと、
少し憂鬱になるが、心をいれ返れば、
水に恵まれた美しい日本の情景となるのである。

私は傘を差しながら、買物に行ったり、
散策の折、紫陽花(アジサイ)、杜若(カキツバタ)などを眺め、
そして遊歩道の公園の木立を見つめたりし、
雨降り中の美景に心を寄せたりするだろう・・。

この時節、旅行に出かけたりすると、
旅先で山里の森に煙るような雨の景観、
或いは田植えが終り幼い稲が立ち並ぶ田んぼの美景に限りない愛惜を寄せるだろう。

私は著名な庭園より、ご近所の周辺、
山里のさりげない情景に美の再発見を
ここ数年深まっている。

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