夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

この時節、庭の手入れのときに・・♪   《初出2007.12.15.》

2008-06-03 10:15:58 | 小庭の情景を眺めながら
私は先程の数時間ばかり、庭の手入れをした。

最後に庭を掃き清めている。
この時節は、落ち葉が多く、特に我が家の庭は、モミジの朱紅色、朱色、
白梅、花梨(カリン)の淡い黄色が多いのである。

ある程度、掃き清めた後、庭の外れで簡易椅子に腰掛けて、
煙草を喫ったりしていた。

風もなく穏やかな初冬の陽気であるが、
ときおり音もなく朱紅色、淡い黄色の葉が、
空中を舞いながら、落下するのである。

清めた黒土に10数枚の葉が散乱したりした。

こうした情景を眺めていると、
私の若き40代の頃までは、その樹木を揺らして、たわわな葉を落としていた。
そして少し揺すっても落ちない葉は、次の庭の手入れをする時まで落ちてね、
と呟(つぶや)いたりしていた。

今の私は、齢を重ねた63歳の体力の衰えた身のせいか、
その樹木のあるがままにし、
落ち葉となった朱紅色、淡い黄色と黒土の彩(いろど)りを甘受したりしている。



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師走の時節、初冬の陽射しに恵まれて・・♪  《初出2007.12.15.》

2008-06-03 10:14:14 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、穏(おだ)やかな朝の陽射しの朝を迎えている。

日中も11度前後の陽気で、初冬の平年並みとなり、
今後の一週間も晴れマークが続く、と予測されている。

この1週間も雨の1日があったが、乾いた空気であったので、
程々の潤(うるお)いをもたらしてくれた・・。

私は年金生活の4年生の身であるので、
日中のひととき、買物、散歩などに出かけ、
ときおり庭の手入れをする程度である。

そして、我が家の庭、周辺の朱色、黄色いに染められた落葉樹に、
季節のうつろいに享受することが多い。

既に散ってしまい枝、幹などになった裸樹、
或いはたわわな葉を残している樹、
初冬の日中の陽射しを受けている情景を眺めたりしている。

そして庭、歩道に朱色、黄色の散乱したり、吹き寄せとなった落ち葉を見つめたりしている。

今年の夏は熱く、暑さの苦手な私はクーラーの冷気にすがることが多かったが、
初冬のこの時節、ここ数年で程々の潤いと陽気に恵まれ、
一番過ごしやすい時かしら、と微笑んでいる。


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私なりの『4当5落』の想いで・・♪   《初出2007.12.14.》

2008-06-03 10:12:05 | 現役サラリーマン時代の想いで
古来より大学受験に際して、『4当5落』という格言があった。
睡眠時間を4時間程度にし、5時間以上睡眠に貪(むさぼ)れば、
目指した受験校の合格には覚束ないと云われたりしてきた・・。

私は大学入試の際は、目指していた第一志望の大学に合格する自信がなくなり、
安易に入学が確実に入れるて大学を選定した。

その後、大学を中退し、映画、文学青年の真似事をした後、
企業に中途入社できたのは25歳の時であった。

企業に勤めれば、多くのお方と同様に、
上司を見習い勤務に励み、ときには土日の休日出勤などもあり、
そして開発業務などの期間は、当然として睡眠時間を削っていた。
但し、開発の業務は、一年以内であるので、
その後の勤務体制は通常となり、ほっとしたりしていた。

定年退職の5年前より、社内のリストラ旋風の影響下、
出向となり、少し遠方の勤務先となった。

朝は4時45分に起床し、帰宅は夜の10時過ぎが圧倒的に多く、
消却法として睡眠時間は4時間程度となり、
こうした勤務体制を5年間続けて、定年退職時を向かえ、
私のサラリーマン生活は卒業したのである。

私は『4当5落』の言葉を聴くと、
安易に逃げた大学入試の受験期でなく、
社会人の最後のサラリーマン5年間の出向期間なのであり、
今となって微苦笑しているのである。



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昼の陽射しの中、錦繍のたわわな葉は、舞い落ち 《初出2007.12.14.》

2008-06-03 10:09:42 | 定年後の思い
東京の郊外は、初冬の陽射しに恵まれて、穏やかな日を迎えている。

私は、先程買物に出かけてきたが、近くには団地があり、
その隣接地に公園がある。
武蔵野地域に相応(ふさわ)しい雑木が主体であり、樹齢80年過ぎた大きな樹木が数多くある・・。

この大木のたわわな葉が朱色、黄色に染まり、陽射しを受けていた。
三分ほど散っていたが、まだ多くの葉を枝に残している。

この公園の中に、5組ほどのベンチがあり、
70年配と思われるご婦人のお2人がを腰を下ろし、
お茶を飲みながら、言葉を交わしていた・・。

ご婦人たちは陽射しの受けながら、
上空から朱色、黄色の葉が舞いながら、音もなく地上に落下している。

こうした情景の中で、ゆっくりとご婦人たちは、
ひとときを過ごされるのも、
この人生の微笑み、と感じながら暖かな心を頂いたのである。

そして既に葉を落とした何本かのモミジの周囲には、
紅色、朱色の葉が幾重かに重なり、隅の方では吹き寄せとなっていた。

前方にある公孫樹(イチョウ)の3本ならんだ樹木は、
黄色に染められたたわわな葉を半分程度残して、鮮(あざ)やかに陽射しを受け、
樹木の周辺は黄色に染まっていた。

こうした光景を眺めながら、
師走の時節なのに、のんびりと昼時過ごせ、甘受しながら、帰宅した。






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早朝の鼻歌は、『水色のワルツ』となり・・♪  《初出2007.12.14.》

2008-06-03 10:07:30 | 幼年・少年時代の想いで
私は目覚めたが少しぼんやりとして、起きだしたのは5時半過ぎであった。

薄暗い玄関庭の軒下で煙草を喫った後、
煎茶とコーヒーを淹れたりした。
この時にどうした思いか、


♪君に逢ううれしさの 胸にふかく
 水色のハンカチを ひそめる習慣(ならわし)が

【 『水色のワルツ』 作詞・藤浦 洸 】


と小声で唄いだしたのである。

そして何時ものように、コーヒーと牛乳をそれぞのマグカップに入れ、
お盆にのせて、寝室の家内の枕元に置いた。

その後、新聞を取り入れながら、何で今朝は『水色のワルツ』になったのかしら、
と思ったりした。

この『水色のワルツ』は、私の小学3年生の頃の想いでの歌のひとつである。


東京の郊外で祖父と父が中心となって程々の広さの田畑を耕していた農家であった。
父が病死し、その後まもなく祖父も亡くなり、
農業の技量を失くした我が家は没落をはじめた・・。

こうした折、母の実家から異母とその娘が来宅した。
私はみすぼらしい格好で迎えたが、
どなたが見ても都心の裕福なお2人をまぶしげに見たのである。


私はこの時のお嬢さんを後年になると、
『水色のワルツ』と重ねてしまうのである。


私は主庭に下り立ち、


♪いつのまにか 身にしみたのよ
 涙のあとをそっと 隠したのよ


と小声で唄いながら、胸が熱くなったりした。

私の母、兄妹、そして未婚の叔母達の家族が生活に困窮していた時代であったので、
まぶしげに都心の裕福なお嬢さんを見た情景が忘れない時の歌でもある。

そして私は、昔の歌はどうして美しいのだろうか、
と余計なことを思ったしている。




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女性、初めての総理大臣は・・!?   《初出2007.12.13.》

2008-06-03 10:04:14 | 時事【政治・経済】等
私は政治の世界に無知な人であるが、
女性としての初めての総理大臣は、小池百合子・女史かしら、
と予感を深めたりしている。

恋の予感と同様な感覚であるが、私の若き日の体験から、
何となく感じるのである。

昼過ぎに今月号の『文藝春秋』を布団に持ち込んで、
『小沢一郎と小泉純一郎を斬る』と題され、
小池百合子・女史の署名記事を読んだりした。

政治の世界にも疎(うと)い私でも、新聞、雑誌、テレビなどで、
このお方の言動など何かしら話題性の多い方、と私なりに感じていたのである。

今回の初めてこのお方の署名記事を読んで、
私の想像以上に確固たる政治理念のある方である、
と好感したのである。

たとえ署名記事が、小池百合子・女史のどなたかの代筆であっても、
発露された政治理念は、署名記事であるので私の評価は変わらない。

万一、このお方が署名記事の内容が全く違っていた場合は、
政治家としての将来の命が絶たれるので、
私は署名記事を信頼しているのである。


記事の内容は、雑誌の著作権上、明確に出来ないが、
現職の衆議院議員のひとりとして、一歩踏まえた内容提示とされている。

男性の多くの議員であったならば、
権力を有する小沢一郎、小泉純一郎の両氏に対する発言は、
遠慮と自身の将来性を配慮し、保身するので、ためらう内容であるが、
勇敢にも一歩踏み込んでいるのである。

記事を読み終わり、このような感じながら昼寝をしたのである。

目覚めると、女性としての初めての総理大臣は、
小池百合子・女史かしら、と予感を深めたのである。

私としては残念なことであるが、
小池百合子・女史と言葉も交わしたことなく面識のないお方なので、
恋の予感よりも確率が低いことを認めざるを得ないのである。

そして、古来より政治の世界は一寸先は闇である、
という至言もあり、激動の苦楽の世界でもある。

このような不可解な魔界の世界には、
昨今の私は興味が薄れ、季節のうつろいに益々魅了されている今日であるが、
ときには政治の無知な世界のことなども、恥ずかしさもあるが、綴りたくなるのである。

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ここ数日の私の鼻歌は、『千の風になって』 《初出2007.12.13.》

2008-06-03 10:01:43 | 音 楽
私は年金生活で、それなりにのんびりとすごしているためか、
歌を口ずさんだり、鼻歌を小声で唄ったりしている。

遊歩道を散策したり、家で煎茶などを淹れて入る時など、
何となく唄っているのである。

ここ数日は、どうした思いなのか、


♪千の風に
 千の風になって

【『千の風になって』 詩・作者不詳 日本語詞・新井 満 】


私はテノール歌手の秋川雅史さんのように声量がないので、
新井 満さんの語るように唄ったのを秘かな私なりに真似事をして、
唄ったりしているのである。


♪秋には光になって 畑にふりそそぐ
 冬はダイヤのように きらめく雪になる


私はどうしてこの歌を唄ったりしているのが、
少し判ってきた・・。

1週間前頃、テレビのNHKのニュース番組だったと思うが、
今年の話題曲として、秋川雅史さんの『千の風になって』を唄っていたシーンが、
私の脳裏に残っていた、と思われるのである。


私はこのサイトで2月27日に於いて、
【『千の風になって』・・♪】と題して投稿しているので、
この名曲に関しの思いは省略する。

早春から桜の咲く頃までは、この曲をそれなりに聴いたりしていたが、
私は別の曲に魅了されて、『千の風になって』を忘れていた。

私は血液型のせいか、夢中になった後は冷(さ)めやすいタイプなので、
こうしたこともあるよね、と微苦笑しながら、
唄ったりしている。


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冷(つめ)たい雨の朝を迎えて・・♪   《初出2007.12.13.》

2008-06-03 09:59:40 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、小雨の降る朝を迎えている。
少し寒気を感じ、冷たい雨となり、一月の中旬のような寒さである、
と報じていた。

私は玄関庭の軒下で、樹木と雨の舞い降りる空を眺めたりして、
煙草を喫ったりしている。

花梨(カリン)の3分程度残っている淡く黄色の葉は、
わずかに揺れ、小雨を受けている。

朱紅色に染まったモミジは、数日前から散りはじめているが、
まだ大半残って折、葉が揺れ、周辺まで彩(いろど)っている。

地上は黄色、朱紅色の錦繍を織り成し、
こうした落葉も雨に濡れると、より情感を増すから不思議な風情となっている。

午後から天候も回復し曇り空となり、明日は快晴の陽気となると予測されているので、
この1週間は乾期であったので、
私なりに恵みの雨となり、心まで潤(うるお)いを頂いている。

しかし、勤務などで出勤されたり、外出される方たちには、
冷たい雨はお気の毒である、と思いながら、
小雨を眺めたりしている。

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初冬の陽射しの中、外出先は・・♪   《初出2007.12.12.》

2008-06-03 09:55:22 | 定年後の思い
駅前の歯科医院で治療の予約をしているので、
私は10時半過ぎに、家を出た。

冬のスポーツ・シャツ上に、スリー・シーズンのフィールド・ジャケットを羽織っていたが、
初冬の陽射しにつつまれて、川辺の遊歩道を歩きはじめたが、
暖かいのである。

遊歩道に沿った落葉樹は大半は葉を落としていたが、
櫻の朱色に染められたたわわな葉は、わずかに残し、
陽射しを受けていた。

こうした枝葉を眺めたりしていると、晩秋は過ぎ去り、初冬の到来を教えてくれるのである。

そして小さな公園は、公孫樹(イチョウ)のたわわな黄色い葉は、
まだ七割がた枝に残って折、
ドウタン・ツツジは朱紅色の帯のように染められて、歩道の脇を長く彩(いろど)っている。

このような陽射し中、落葉した数多くの朱色、黄色の葉を路上で踏みしめば、
それなりの情感を感じさせてくれる。


駅前の歯科医院で、何時もの担当して下さる女医さんに治療前に、
遊歩道で観た情景など、余計な挨拶代わりとしたりした。
小柄で目が大きい上、声も甘く、そして技量も上手なので、
医院長には私は秘かな感謝している。


治療後、付近の本屋に寄った。

佐野眞一・著の『この国の品質』(ビジネス社)を読了はしたが、
この中で『阿片王~満州の夜と霧』(新潮社)の本について触れていたので、
店内で探したが、残念ながら在庫はなかった。

そして毎月愛読している総合雑誌の『文藝春秋』を買い求めた後、
文藝春秋SPECIALの季刊冬号、
題して『新人生読本~心の重荷を軽くする、ささやかなな工夫~』も購入した。


その後、家内から指示されている買物をし、
理容店(散髪屋)に寄ったりした。
私は何時も店の主人と周辺の樹木、花の移ろい、
旅先の温泉地などの話を交わしたりしている。

帰宅後、再びスーパーに買物に出かけたが、曇りとなり、
やはり初冬は陽射しが翳(かげ)ると、寒さを感じてきたりした。

東京の郊外は明日は雨が予測されているので、
明日の買物の分までと、私なりに急いで二軒ばかり廻り、
先程帰宅できた・・。

煎茶を飲みながら綴っているが、
いつもと余り変わりがないか、と微笑んだりしている。

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起床は、『日の出』と共に・・♪   《初出2007.12.12.》

2008-06-03 09:53:13 | 小庭の情景を眺めながら
私は年金生活の4年生の身であるが、
定年退職時、挨拶の葉書に於いて、

・・朝は日の出と共に起きだし・・
  日の入りの・・・

と明記したりした。

このようなことを先程、庭先で煙草を喫っていると想いだされた・・。

東京の郊外の調布市に住む私は、
この時節は6時40過ぎが日の出の時であるので、
6時前後は薄暗いのである。

昨今、私は気弱になったせいか、7時過ぎに起き出しているが、
6時前後に目覚め、NHKニュースを視聴しながら、
布団の中でぬくもりに甘えていることが多くなった。

初冬の時節、寒さも増してきているので、つい自分に甘えてしまうのである。

今朝は、人生は気合一番で決まる、と勝手に心に言いきかせ、
5時半過ぎに起床し、煎茶、コーヒーなどを淹れたりしている。

新聞を取り込んだ後、玄関庭で煙草を喫っていると、
大通りに始発のバスが通り過ぎて行った・・。

私の現役の最後の五年間は、4時45分に起床し、
始発バスに乗り、最寄駅の成城学園から20分前後乗っている電車の中で、
この時節は日の出を迎えていた。

やはり冬の時節は、暗いうちに起き出し、最寄り駅さえ暗い中、出勤するのは、
自分自身に明確な目標がないと、辛くなった時もあったりした。

このようなことを想いだしていたら、
幾種類かの小鳥が飛来してきた。

我が家の庭に、日の出と共に定期便のように来宅する小鳥である。

朝の寒い中、大変ね、と私は心の中で呟(つぶや)いた。


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我が家の居間は、洗濯物の花盛り・・♪  《初出2007.12.11》

2008-06-03 09:51:04 | 定年後の思い
家内が、独り住まいとなった家内の母の家に6泊7日で大掃除を済ませ、
昨夕に帰宅した。

家内は早朝から、掃除の合間に、洗濯を繰り返していた。
昼過ぎから、天上の気候の神々りご機嫌が悪いのか、
雨がポッリと降り出してきた・・。

我が家では、居間は20畳前後あり、この時節は殆ど暖房をしている。
私のパソコンの置いている机、椅子もあり、テレビも置き、ソファー、
食卓用のテーブルもあるので、1日の多くは私達夫婦が過ごす時間が多いからである。

私は年金生活の4年生の身であり、
日常は買物、散策以外は、殆ど居間で本を読んだり、
音楽を聴いたりすることが多い。

私達夫婦だけの家庭の上、第一線を退いた今は、来客も少なくなっている。

このような状況のなので、家内は器用に取り込んだ洗濯物を干している。

暖房器具はガス・ファンヒーターなのであるが、
スポーツ・シャツ、パジャマ、肌着などが花盛りとなっている。

タオルなどは、ガス・ファンヒーターの風を受けて、
白、黄色、黄緑色、水色、ピンクの色合いが揺れている・・。

我が家では、乾燥機の購入を検討してが10数年過ぎているが、
家内は決断がつかないらしく、
そのうち洗濯機と乾燥機の合体した斬新なデザインで、
欲しくなる製品がででくるわよ、
と云っている。

こうした折、何事も程ほどに決断しないと、などと私は家内に云いながらも、
今日を迎えているのである。

私がこうして綴っている右手の2メートルでは、
色鮮やかなタオルが揺れて折、
ときおり微苦笑しながら見つめたりしている。


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私なりのボーナスの想いで・・♪   《初出2007.12.11.》

2008-06-03 09:49:12 | 現役サラリーマン時代の想いで
昨日のニュースで官公庁の冬季のボーナスが支給され、
民間会社の多くも既に支給された会社もある、と報じられ、
私は微苦笑したりしていた。


私は中小業の民間会社を卒業した年金生活の4年生の身であるので、
あの頃は、ボーナスを頂いた時が想いだされた・・。

20代の頃の独身時代は、スーツ、ワイシャツ、ネクタイ、通勤靴、通勤バックなどを買い揃えて、
母に幾ばくかを手渡し、そして呑み屋さんに通っても、程々の貯金が出来た。

30代の初め、結婚し、賃貸マンションに入居するまで、
無知な私は結構お金を要する、と実家の長兄から、ある程度の額を借用したので、
ボーナスの度に返済した。
この二年間の期間は、返済していても、多少の貯蓄は出来た。

この後、私は実家の近くに一戸建てをするのであるが、
土地、住宅建築まで多大な経費となり、
住宅金融公庫を根底とし、幾つかの金融機関からローンを設定した。

このローンが50代の初めの頃まで、
ボーナスを頂く度に30%前後を返済していた。

私達夫婦は子供に恵まれなかったけれど、
住宅に関する購入は、一介のサラリーマンとしては人生で一番高い買物かしら、
と心身実感させられた時代であった。

50代の初め、ローンの一括返済をした後、
老後の人生設計の基礎となす資金の為、貯蓄を大半し、定年退職を迎えた。

このようなボーナスを頂くたびの軌跡であったが、
どなたも同じと思われるが、サラリーマンの現役時代には大波、小波に遭遇し、
家内と何とか乗り切り、今日を迎えているのである。

私は築後30年の古惚けた家に住み、
程々の広さの庭で、樹木を眺めながら、あんな時代もあった、
と思いを馳(は)せたりしている。

尚、私は家内を戦友と思っている。
人生の過ごす時に公私共々何かと確執があったりするので、
私達夫婦は互いの欠点を補(おぎな)いながら寝食を共にし、
無条件に寄り掛かれる随一の人、と実感しているからである。


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されど、蒲鉾(カマボコ)の板は・・♪   《初出2007.12.10.》

2008-06-03 09:47:16 | 定年後の思い
先程まで、家内が留守であるので、台所で皿洗いなどをしていた。

この時、昨夜は蒲鉾を頂いたが、この板が2枚残った。
木目がすっきりとして、もったいない、と思いながらよく洗ったりしていた・・。

亡くなわれた敬愛できる小説家の方に対して、
女性の編集者の方が引越しされたが玄関脇に表札がないので、
恐る恐る小説家の方にお願いしたという、秘かなエピソードがある。

この小説家は達筆な筆遣いで認めた、と死去された後、女性の編集者が綴られていた。

私は幼年期の小学生の時は、いじけた屈折した可愛げのない男の子で、
習字を初めとする授業は、さぼれればこれに越したことはない、
という劣等生であったので、
字は下手で、いつも冠婚葬祭などで署名する時は困っているのである。

やむえず、この蒲鉾の板を活用するには、
厚い高級紙にパソコンのソフトのひとつであるワードで、
打ち込みながら綴る他はないと思ったりしている。

そして印刷された用紙の台として、蒲鉾の板で丁重に作成すれば、
格調高い表札のひとつとなると思いついたりしている。


例えば、トイレの前のドアの表札として、

【 ただいま、会長に面談中 】

として、裏側は真っ白な空白に、
すればと思ったりしている。

我が家では、私がトイレを使用する際、長い方に関しては、
家内に、会長に会ってくる、という隠語になっている。
具体的に表現すれば、便の快調に願いを込めて、飛躍させ使っているのである。

旅先の宿泊先でも、同じように使って云ったりして、
かれこれ30年使用しているのである。

このトイレのドアの表札を家内が不採用とした場合は、
私は別の利用方法を考えたりしている。


私の夕食の直前から晩酌をするので、
ぐい呑みの置き台として使用すれば、
焼き物と木目の板はそれなりに調和でき、格調がある、
と微笑んでいる。

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今年も、あと三週間ばかりとなり・・♪  《初出2007.12.10.》

2008-06-03 09:45:19 | 現役サラリーマン時代の想いで
東京の郊外は、初冬の陽射しに恵まれ、
風なく、穏やかな朝を迎えている。

私は主庭に下り立ち、昨夜の風で、
朱紅色のモミジのたわわな葉が散りはじめたのを知った・・。

この1週間、白梅の淡い黄色、花梨(カリン)の樹木も昨日から散りはじめ、
樹木の周辺に落葉の彩(いろど)りとなっている。

先程、居間で見たカレンダーで、
今年も残すところ三週間ばかりとなったことを知った・・。

私は年金生活の4年生の身であるが、
昨今はともすれば曜日の感覚が薄れたりしている。


現役のこの時節であった時は、
サラリーマンの中小業に勤めていたので、
日曜日を除いて、朝は4時半過ぎに起床し、帰宅が10時過ぎが多く、業務に追われていた。
歳末の仕事納めの日まで、あと何日と心に言いきかせ、奮闘していた時期であった。
今年のカレンダーで表現すれば、
あと三週間頑張れば、ということである。

日曜日は平日通りに起きて、午前中に庭の手入れをして、
昼過ぎに酒を呑みながら、注文した寿司をつまみながら食べたりしたのが、
定年前の10年の実態であった。

家内は大掃除を少しづつ進めながら、
年末・年始の料理の献立を思案、素材の購入しはじめる時期も加わっていたので、
家内なりに平常月より何かと多忙であった。

私は昼食後、寝室の布団で本を少し読んだ後、昼寝をした。

そして夕暮れ4時前後に目覚め、
1週間が終わった、と心身実感していたのである。

このような繰り返しをしながら、歳末を迎えていた。


私は庭の淡い黄色、朱紅色の落ち葉をいつ掃き清めるか、
と考えあぐねている・・。

落ち葉の彩(いろど)りを享受するのもよいが、
風が強く吹くと、庭の外れに吹き寄せとなったりし、困るのである。

かといって、落ち葉を掃き清め、黒土となった地表も少し淋しいのである。

現役の時代であったならば、
疲れ切った身体で日曜日の午前中に、待ったなしで掃き清めていた、
と微苦笑している。

このような思いで、私は庭に佇(たたず)んで、
白梅の残り少なくなった淡い黄色、
朱紅色に染まったモミジを眺めたり、
朝の陽射しを受けている庭を見つめたりしている。



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日中の読書の後、庭に降り立てば・・♪   《初出2007.12.9.》

2008-06-03 09:43:05 | 小庭の情景を眺めながら
家内は、明日まで家内の実家に行って、
独り住まいとなっている母の宅の大掃除、年末などの準備をしている。

毎月4泊5日前後で、高齢となった母を案じて、
掃除、時節に適応した幾つかの部屋の模様掛けなどを行っている。

今月は過日の4日の火曜日から、出向いているが、
この間は私の方が独り住まいとなっているので、
普段より更に気まぐれで時を過ごしたりしている。
買物などは、昼前が通例であるが、
午後の夕暮れ前にすることもあったりしている。

今日の日中は、読書に専念し、少し昼寝などをしたりしている。

陽が暮れる前に居間に下りてきて、
煎茶を淹れた後、ぼんやりと玄関庭に降り立ち、
煙草を喫いはじめた・・。

ときおり、風が吹いているが、陽射しは残照である。

花梨(カリン)の樹木のたわわに色付いた淡い黄色の葉は、
日中の風で半分ぐらい葉を落とし、地表が花梨の葉の絨毯となっていた。

朱紅色に染められたモミジの3本は、
未だに落葉せずに、錦繍の情景となり、初冬の残照を受けている。

静寂な日中であったが、時のうつろいは確実に過ぎている、
と微苦笑しながら居間に戻ったりしている。

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