夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京の郊外は、雪の薄化粧の朝を迎えて  《初出2008.2.7.》

2008-06-05 14:56:39 | 小庭の情景を眺めながら
5時半過ぎに目覚め、6時過ぎに玄関の軒下で煙草を喫おうと思い、
玄関を出たら、雪が薄っすらと樹木、塀、そして地表を彩(いろど)っていた・・。

昨日は朝の9時半過ぎにひとひら、ふたひらと雪が降りはじめ、
そして霙(みぞれ)に変わり、30分前後でやんだ。

昼の時に再び雪が降り、ときおり白さを増したが、
積もりそうもなく、地表に吸収されていた。

夕暮れになると、霧雨が降ったり、止(や)んだりしていた・・。

このような昨日の移ろいであったので、
積雪1センチ前後の雪化粧には驚いたのである。

今年で三度目かしらと、庭の樹木、地表を眺めながら微笑んでいる。

日中は快晴の陽射しに恵まれ、8度前後の陽気となる。

私は、雪の薄化粧に陽射しが射しこむ雪晴れの光景を享受しよう、
と思ったりしているのである。

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東京の郊外は、ときおり雪が舞い降りて  《初出2008.2.6.》

2008-06-05 14:54:26 | 小庭の情景を眺めながら
私の住む調布市では、朝の9時半過ぎに雪がちらちらと降りだしてきた・・。

私はどんよりとした曇り空で最高気温でも5度前後の寒い日中、
と報じられていたので、
天上の気候の神々はどうしたの、
と空を見つめていたりした。

まもなく、霙(みぞれ)となり、30分前後降った後、止(や)んだ。

私は予定通り買物に行き、先程帰宅したが、
12時半過ぎに、ひとひら、ふたひらと雪が降りだした・・。

今年、三度目の雪であるが、
こうして雪が空中を舞いながら、地上に舞い落ちる情景は
私は幼児に還ったような気持ちで眺めている。

尚、この雪は関東の北部にある雪雲が気流に流されて、
東京の郊外まで来た、と思われるので、
積もる雪でないので、こうした情景を心まで楽しめるのである。


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アメリカの次期大統領は、ヒラリー女史・・!? 《初出2008.2.6.》

2008-06-05 14:51:29 | 時事【政治・経済】等
東京の郊外は、どんよりとした曇り日を迎える。
日中も5度前後の寒い日、と予測されている。

私は6時過ぎに目覚め、新聞を読んだり、
庭に下り立ち、煙草を喫ったりしていた。

ここ数ヶ月のニュースで、殆ど毎日アメリカの時期大統領が報じられたいる。

私は日本人のひとりで年金生活の4年生の身であり、
日頃は山川草木を主軸に、季節の移ろいを何よりも享受できるように生活をしているが、
何となくアメリカの次期大統領が気になるのである。

現在は、大統領の予備選に於いて、
民主党の指名争いがヒラリー・クリントン上院議員(60歳)と
バクラ・オバマ上院議員(46歳)の間で過熱を帯びている。

こうした状況をニュースなどで視聴していたら、
最終的には、アメリカ国民は共和党より、民主党を選び、
そしてヒラリー女史が大統領に、と何となく感じたのである。

そして、ヒラリー女史は、副大統領としてオバマ氏を選び、
このお2人で次期のアメリカの進路を決める・・
何の根拠もなく、全くの政治には素人であるが、
このように感じたのである。

バクラ・オバマ氏の経歴、演説の一部を聴いて、
涙ぐましく感銘を受け、私は20代の若さであったならば、
オバマ氏に大統領、と熱く期待もしたと思う。

しかし、明日のアメリカを託(たく)すのは、
アメリカの選挙民のすべての人々であり、こうした心情を配慮すると、ヒラリー女史かしら、
と思ったのである。

果たして、どの方が選定される未知であるが、
東洋の片隅にある日本に多々影響をもたらすので、
日本の国民のひとりとして、少しボケた私でも注視したりしている。



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『サラ川』、この人生に微笑みを・・♪  《初出2008.2.5.》

2008-06-05 14:42:35 | 時事【社会】
    第一章

昨夜、第一生命が主催されている第21回の『サラリーマン川柳コンクール』で、
100選が公表された。

私はネットで知り、読みながら、微苦笑をしていたのである。

私はサラリーマンを35年間過ごし、
定年退職後の年金生活4年生の身であるが、
何かと『サラリーマン川柳』が好きで、現役時代から愛読し、
励まされたり、人生の哀歓を感じたりし、『サラ川 傑作選』の本を四冊を所有している。

私は『サラ川』は、日常の生活の優れた哲学書と思い、
限りなく人生の愛惜と確信し、ときには本を開いたりしている。

今回の投稿された100選を拝読し、
笑い、悲哀、社会に憤(いきどお)りを感じたりしている・・。

この中で、独断と偏見の多い私は、
私の偏屈な心に残った作品を幾つかの作品を転記させて頂く。


現役世代であったならば、


喫煙所 皆が何故か 情報通

         雅号・紫煙ファンテーター


この作品を感銘したのは、昨今の禁煙ブームで、
肩身の狭い喫煙者は喫煙所で煙草を喫いながら、
お互いにさりげない話をしている・・。

私は9年前に中小業の本社に勤めていて体験したことであるが、
他部署の同期の方と煙草を喫いながら、
『また・・早期退職優遇制度・・始めるらしい・・
昨夜、後輩の人事部にいる奴から・・
こっそり聞いてしまったの・・
今度は・・30名前後が秘かな目標らしい・・
明日あたり公表されるから・・
ここだけの話にしてね・・』
と同期の輩(やから)は私に教えてくれた。

このような話は、サラリーマンを長年勤めれば、
限りなくある、と今の私は微苦笑したのである。



   第二章              

次の一句は、私なりに苦慮される名句である。


定年の 延長決まり 妻元気

          雅号・うつ蝉


主人は会社人間で朝は早く、帰宅は遅い生活を40年間前後されて、
子供の養育をすべて妻にまかせ、
定年の時を迎えた。

こうした途上で、子供たちは巣立ちして、
それぞれが独立した家庭を過ごされている。

妻は妻なりの日常生活のリズムが出来て折、
主人が定年退職後、妻としてはなるべく今までの生活ペースを変えたくないのである。

料理、掃除、買物、そしてささやかな自由時間を活用されて、
ご自分の趣味の時間で過ごす・・。

こうした今までの生活ペースを、
主人が家に居て、昼食などの用意をしたり、何かと束縛されるようで、
ささやかな自由時間が楽しめないのであり、
妻としては次第に鬱積がたまる・・

このような情景を私は思い浮かべたりしている。


私達の場合は、子供に恵まれなかったせいもあるが、
定年退職の5年前に、定年後の生活設計を老後の資金も含めて、お互いに話し合った。

退職後からはどのように過ごしたいか、
この命題に基づいて、家内と徹底的に話し合ったのである。

私は退職後は自分の趣味で過ごしたく、
定年後は働かない。
そして、多少の家の手伝いをする。

お互いの趣味は尊重して、干渉はしない。
いずれはどちらかが先にたたれるので、
趣味を強く持てれば、片割れとなった時にも立ち直りも早く、
その後の歳月も充実した日々を過ごせるだろう、
と思ったからである。

但し、共通の趣味はひとつだけ共有しようとして、
家内とは国内旅行と決めたのである。


このように話し合い、
私は何よりも読書が好きなので、小説、随筆、歴史書、現代史などの本を読んだり、
文章を綴ることも好きなのであり、このサイトに綴り、投稿している。
ときには、居間のソファで映画のビデオ、DVDを観たり、
音楽をカセット・CD・DVDなどで聴いたりしている。

そして、ときたま庭の手入れをし、
家内と国内旅行に行ったりしている。

日常の肝要なこととして、私は買物を担当し、
ささやかに家内の煎茶、コーヒーの茶坊主に徹している。

年金生活の4年生となっている今、
お互いの思いやり、労(いた)わり合いを言動で表現することは、
いうまでもないことである。


しかし、寝食を30数年共にした家内でも、
ときおり日常に於いて、ボタンの掛け違いが発生するのである。

こうした折は、私は素直に、
『XXちゃん・・そう解釈していたとは・・判からなかったょ・・
俺が悪かった・・』
と家内に謝(あやま)ったりしている。

私は秘かに、負けるが勝ち、そして何より早期解決の道はこれだ、
と思ったりしている。

ただし、この方法は何回もすれば薬と同様に効果は薄れるので、
年に一回ぐらいは、
家内の前で土下座して、謝(あやま)ったりしている。

これは殆どの家庭内の難題でも、解決の効果があり、
後日、私は独りで微笑んでいるのである。



   最終章

私は年金生活の4年生の身であり、家内と2人住まいであるが、
ここ10年でまたたくまに普及した携帯電話が使えなく、
お互いに持っていないのである。


無料でも 家族間での 通話なし

         雅号・栗ポン


私は携帯電話会社の過熱競争で、電話会社のサービスの一環として、
同じ電話会社同士であれば、家族間で無料制度と解釈している。

私は子供に恵まれなかったが、家内とはお互いに会話を続けて、
30数年過ごしている。

私は現役時代を含めて、晩酌をしながら夕食を頂く時、
かって『夕刊フジ』のように夕刊専用紙があったように、
日中の出来事をお互いに話したりしている。

お互いに心に思っていること、感じたことなどを互いに発露し、
たとえ現役時代に深夜に私が帰宅し、睡眠時間が削られても、
何より重要なことを思って、
寝食を共にした結婚以来、私達夫婦は続けている。

この句は、父親と母親の会話の少なさ、
そして父親と息子、娘の会話の少なさの家庭と想像されるが、
私から見れば、余りにも淋しい父親の姿を感じ取ってしまうのである。

現代、一部の家庭で見られる状況を切取った一句と思われ、
会話の機具である携帯電話などで、
たとえ無料でも親子の会話が乏しいのは、余りに皮肉で哀しいことである・・。

今回の『サラ川』としては、古来からの川柳の意義からすれば、
私としては最優秀作品と感じている。



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早春のひととき、唱歌と共に・・♪   《初出2008.2.5.》

2008-06-05 14:40:20 | 小庭の情景を眺めながら
冬至が去り、立春を過ぎた今、三寒四温と共に早春の時節となる。

朝、目覚めて、庭の霜(しも)や日中に蕗(ふき)の薹(とう)を見つけたり、
川沿いの遊歩道で川べりの小道で土筆(つくし)が見られると、
春の息吹きを感じたりし、何気なく私の心の中は唱歌が流れてくる。


♪春は名のみの 風の寒さや
 谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど

【 『早春賦(そうしゅんふ)』 作詞・吉丸一昌 】


昨夜、この歌が聴きたくなり、居間にある音楽棚を探したが、
残念ながらこの名曲『早春賦』は探せなく、
或いは持ち合わせがなかったと思われる。

これに近い唱歌は、ひとつのカセット・テープを取り出した。

岩崎宏美の『愛唱歌集~宏美が歌う日本の唄~』であり、
私の好きな『冬景色』、『故郷』、『雪の降る町を』などの20曲が収録されている。
カセット・ケースの一部に『BEST ONE’82』と表示されて折、
1982年(昭和57年)に発売されたと思われる。

私はカセットをセットした後、


♪さ霧(ぎり)消ゆる 湊江(みなとえ)の
 舟に白し 朝の霜

【 『冬景色』 作詞・不詳 】


岩崎宏美の美声に導かれながら、小声で唄ったりした。

そして胸が熱くなった後、何故かしら心が和(なご)んできたのである。

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残りの雪・・♪   《初出2008.2.4.》

2008-06-05 14:38:05 | 定年後の思い
東京の郊外は、昨日は雪が5センチ前後が舞い降りた。
昼下りからは霙(みぞれ)となり、大半の雪が融けたが、
我家の屋根、庭に雪が観られている。

私は駅前の歯科医院に治療の予約をしていたので、
10時半過ぎに家を出て、川沿いの遊歩道を歩いた。
片側は一戸建て、マンション群の住宅街で
陽当たりが良く、大半は雪は消え去っていたが、
大きな樹木の木陰に雪は残って折、雪だるまが五つばかりあった。

昨日の雪の降る中、お子さん達の遊戯の成果と思われ、
微笑ましい名残りの情景となっていた。

対岸の遊歩道は、小公園となり、駅の付近まで続いて折、
日陰が多く、大半が雪景色となっている。

寒椿、藪椿(ヤブツバキ)などは、雪化粧となっていたので、
私は足を止めて、煙草を喫いながら、
しばらくのあいだ眺めたりしていた。

紅色、朱紅色の花色と純白な雪との光景には、私なりに美を享受し、
たわむれに数句が浮んできた。

雪の中 華(はな)やかしけり 藪椿

寒椿 雪をいだいて 妖艶に

私は散文を綴ることは根拠のない自信は、ときたまあると思いながらも、
歌に関してはつたない脳裏などで詠(よ)めないが、
ときおり戯れとして詠んだりしている。

このような情景の中、陽射しの中を歩いたり、
木陰に残っている雪景色を観たりして心に託し、
歯の治療を受け、買物し、そして散策したりしていると、
日中の数時間はたちまち過ぎ、帰宅への家路に向かった。




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『立春』を迎えて・・♪   《初出2008.2.4.》

2008-06-05 14:35:59 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、昨日は早朝から雪が降り、昼下りからは霙(みぞれ)となり、
夕暮れに止(や)んだ・・。

積雪は5センチ前後であったが、大半は霙で融(と)けてしまったが、
我家の庭の一部は残っている。

暦の上では立春を迎えているが、
立春とは名ばかりで、まだ真冬のように寒く、
と古人から伝えられている。

東京の郊外は、快晴の朝となり、
まばゆい朝の陽射しが差し込んでいる。

庭に残っている雪に陽射しを受ければ、
淡き雪晴れの情景かしら、
と微笑んでいる。

日中は9度前後の陽気となり、ほぼ平年並みとなる。


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されど、『節分の日』・・♪   《初出2008.2.3.》

2008-06-05 14:32:20 | 食べ物、お酒
東京の郊外の調布市に住む私は、
今朝、スーパーのチラシを見て、少し驚いている。

『恵方巻』
今年の恵方は南南東。
恵方に向かってまるかぶり!

『節分いわし』
古来よりいわしの頭を焼いて、ひいらぎのとげやいわしの焼けた臭気で、
邪気が家に入るのを防ぐといわれています。

『節分そば』
旧暦では立春から年が明けるといわれ、
前日の節分にそばを食べて身を清め、
晴々しい気持ちで立春を迎える風習があったといわれている。

『節分豆』
豆まきに使う大豆は、
一説では鬼の目に打つ【魔目=まめ】、
魔を減ずる【魔滅=まめ】に通じるといわれています。


私の幼少時代、東京の郊外では『恵方巻』の習慣がなく、
西日本の文化のひとつの食べ物から、と思ったりしている。

『節分いわし』には、記憶がないが、
祖父の晩酌の時にニシン、イワシ、アジなどの大衆魚を食べていたので、
断言できるほど自信がない。

ひいらぎに関しては、この樹木は実家に多くあったので、
多分、父が神棚か、玄関脇に飾っていたかもしれない。

私は前日、このスーパーで一合枡に入った『節分豆』を購入してきたので、
ささやかに『鬼は外、福は内』と呟(つぶや)き、
私の晩酌の友に加わり、家内と適度に頂く程度である。

尚、このスーパーでは、
『節分サラダ』と称して、節分豆でトッピングしたサラダが掲載されて折、
家内と笑ったりしていた。

そして何より感心したのは、
老田酒造店 飛騨自慢『鬼ごろし』(辛口)であった。
《720ml 1、000円 数量限定》

このように掲載されて折、鬼退治には最適な呑み物かしら、
と私は微笑んだりしていた。

尚、『鬼ごろし』は、飛騨地方をはじめ、全国の各地それぞれにあり、
呑兵衛の私は旅行先などで愛飲している地酒のひとつである。



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『節分の日』豆まきの想いで・・♪   《初出2008.2.3.》

2008-06-05 14:30:18 | 幼年・少年時代の想いで
私は昭和19年に東京の郊外で農家の子として生を受けたが、
私の幼年時代の頃は、『節分の日』には最寄の神社の高台で、豆まきをしていた。

神社といっても、村の住民で維持管理されている小さな神社で、
この時節も殆ど人影のないところであった。

それぞれの家長が一升枡の中で半紙敷いて、
自宅にある大豆を軽く炒った豆を三割方入れ、
夕暮れになると、大声で、
『ふくわう~ち!!・・おにはそ~と!!・・』
と叫んでいた。

私の住んでいた家から、少なくとも300メートルは離れていたが、
家の中で居ても充分に聴こえたのである。

『お父さん・・あの声・・XXさんの小父さんだね・・』
と私は父に確認したりした。

『だけど・・あの小父さん・・去年より・・豆まきをはじめる時間・・少し早いね・・』
と私は得意げで父に云ったりしていた。

我家でも、祖父が神社に行き、豆まきをして帰宅する頃は戸締りが終わっていた。

夜の七時ごろには、戸をすべて開け放ち、
『福はう~ち! 鬼はそ~と!』
と父は平素より遥かに大きい声で、外に向かって言っていた。

そして、戸をすべて閉め終わった後、私は次兄と妹たちとで、
部屋の畳の上、縁側の廊下にまかれた豆を拾い集めたりしていた。

そして、五合枡に入れた豆を、
『齢の数だけ・・食べてもいいわよ・・』
と叔母が私達に云った。

私は、7つだけか、と云いながら、
兄達の手には私より多くあったので、
おまけと云いながら、こっそりとふたつ余計にとった。

このような祖父、父達に囲まれて、楽しげな年であったが、
翌年の早春に父、晩春に祖父に死去され、我家は没落をしはじめた・・。



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東京の郊外は、雪の朝を迎えて・・♪  《初出2008.2.3.》

2008-06-05 14:26:51 | 小庭の情景を眺めながら
私の住む調布市では、雪が舞い降りている朝を迎えている。

私は6時に目覚め、窓を開けたら、雪景色となっていた。

庭の樹木の枝葉は雪化粧で、地上は数センチで、
空から絶え間なく雪が舞い降りてくる。

日中は霙(みぞれ)、ひととき雨、そして霙、夕暮れから雪となり、
10センチ前後の積雪が予測されている。

今年、2度めの雪景色になるが、
私の秘かな願いとしては、日中も雪が舞い続け、
積雪は15センチ程度が理想と身勝手なことを思っている。

節分の日を迎えているが、
雪の舞い降る中、鬼さんに寒くて大変だなぁ、
と余計なことを思ったりしている。

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『朝・・有ったのに・・どうして・・ないの・・!?』  《初出2008.2.2.》

2008-06-05 14:24:57 | 小庭の情景を眺めながら
我家の庭には、朝、昼、夕と定期便のように、
小鳥が飛来してくる。

私は雀(スズメ)は判るが、目白(メジロ)、四十雀(シジュウカラ)、ヒヨドリが来ているらしく、
ときおり家内に教えて貰っているが、直ぐに忘れてしまうのである。

今の時節、餌(えさ)不足のせいか、
白梅、紫木蓮(シモクレン)の莟(つぼみ)を啄(つい)ばんで、
一昨年は大半食べられ、花が咲きはじめた頃は、
おかしな花模様となっていた。

私は半分ぐらいは止む得ないと思っているが、
『全部は食べないで・・』
と飛来のたびに、懇願している。

今年から家内も対策として、付近のモミジなど樹木に、
ミカンを輪切りしたのを毎日五つばかり、丈夫な枝先に射している。

こうして朝に飛来し、喜びの声を挙げながら啄ばみ、
昼前後にも、メジロと思われる小鳥が啄ばんでいたが、
ミカンは地上に落としたりしている。

その後、遅れてきた小鳥は、モミジの枝から枝に移った後、
『朝あったのに・・どうして・・ないの・・』
といったように小首をかしげていた。

偶然に私達は見ていたが、
家内も微笑み、私は笑ってしまった。


塀の近くに白玉椿(シラタマ・ツバキ)の純白な花が咲き初めているが、
この花の密を吸おうと小鳥が柔らかな枝に
止まっていた。

枝葉は微かに揺れて、小鳥はせっかくの密から離れまいと、
しがみついて身体を反転していた。

私はこの純白で気品のある白玉椿は、
こよなく好きであるが、止む得ないと微苦笑したりしている。


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初めて『都電』に乗った想いで・・♪  《初出2008.2.2.》

2008-06-05 14:22:40 | 幼年・少年時代の想いで
若い世代の人には、都電と綴ってもお解りにならないと思うが、
東京の都心で昭和30年代は路面電車が隈(くま)なく走っていた・・。


私が小学6年の昭和32年の時、
次兄から有楽町で洋画のロードショーを観に行こう、と誘われた。

私は最寄駅から新宿のデパートなどは行ったことがあったが、
乗り物に酔いやすい少年であった。

新宿まで京王線で30分前後で到着したが、
何となく気分が悪かったのである。

新宿より数寄屋橋まで都電を利用する為に乗車した。
電車賃は終点の築地まで乗っても、確か13円と記憶している。

都電は一両編成で、大通りを走ったが、
自動車も両脇に走って折、繁華街、ビル街が車窓から観え、
その上、都電は揺れるので、気分が悪くなった。

私は次兄に、
『まだ・・遠いいの・・』
と私は云った。

『もうちょっと・・我慢・・13円だから・・』
と次兄は云った。

一区間が13円で降りたら、もう1度支払う必要があると、
次兄から乗車前に聴いていた。

私は皇居のお堀が観えた頃、
『もう無理だから・・降りよう・・』
と私は次兄に懇願した。

結果として、目指した数寄屋橋のひとつ手前の日比谷で降りた。

私は青白い顔で次兄に謝(あやま)り、
とぼとぼとお堀端を歩き、数寄屋橋の映画館に到着した。

映画は『朝な夕なに』であったが、
綺麗な白人女性の教師とトランペットを吹く生徒が心に残った。

後年になると、私としては洋画の初めてのロードショーであり、
綺麗な女性はルート・ロイベリックで、
映画の主題歌は『真夜中のブルース』が流行した、
と判明した。


私は都電を観るたびに、苦手意識を持っていたが、
その後、高校の新宿から中野までの通学は都電を利用し、
この区間の沿線に美術短期大学、女子高校等が三校あり、
車内で数多くの綺麗なお姉さんに気を取られ、
乗り物酔いなどは忘れ去ってしまった。

私が卒業する頃は、この区間の都電は廃線となり、
地下鉄に変貌した。

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私が初めて文章を綴ったのは・・♪ 《初出2008.2.2.》

2008-06-05 14:20:15 | 幼年・少年時代の想いで
私は昭和19年に、東京の郊外の農家の三男坊と生を受けた。

初めて文字を書いたのは、小学校に入学したからだった・・。
この頃は、私の住む村では幼稚園が出来たのは、私が小学校3年頃だったと思う。

私は最寄の託児所で2年ばかり通い、小学校に入学したが、
託児所は、文字などは教えることのない時代で、礼儀作法、お遊戯で過ごしていた。

小学校に入学すると、『こくご』の授業で初めて、文字を覚え、
真っ先にひらがなで、私の名前を升目の大きなノートに書いたりしていた。

そして、ひらがな、カナ字、そして漢字を学び、
3年生頃から『さくぶん』の授業で、今の時代で云うと粗雑な藁半紙で書かされたのである。

この頃に家にある本と云えば、
農協の発刊する『家の光』ぐらい記憶していなかったので、
小学5年の時、近くに引っ越してきた都心に勤めるサラリーマンの宅に行った時に、
書棚に本が並んでいたを見たときは、
子供心でも眩暈(めまい)を感じたのである。

夏休みには、宿題として作文があったが、苦手な私は苦心惨憺で綴ったのは、
今でもほろ苦く覚えている。

私が都心にある高校に入学してから、
突然に読書に目覚めて、高校二年の夏に小説の真似事の原稿用紙に習作をした。

東京オリンピックの直前に、私は大学を中退し、
映画青年、文学青年の真似事を4年ばかり過ごした。

養成所の講師から、ある月刊誌の記事の取材、下書きを分けて貰い、
ノンフェクション・ライター気取りで取材し、指定された原稿用紙に綴り、
講師に手渡し、幾ばくかの金銭を受けたりしていた。

確固たる根拠もなく、シナリオとか小説の習作していたが、
お彼岸に親戚の小父さんから、
『30過ぎから・・家族を養えるの・・』
と素朴に叱咤され、私は自身のつたない才能に自信を失くした。

この後、大手の企業に中途入社する為に、
コンピュータの専門学校に一年通った後、サラリーマンの一員となった。


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夕暮れの時、ときおり唄う歌は『異国の丘』・・♪  《初出2008.2.1.》

2008-06-05 14:16:48 | 音 楽
私は年金生活の4年生の身であるが、
夕暮れの時、ときおり口ずさむ歌がある。


♪今日も暮れゆく 異国の丘に
 友よ辛かろ 切なかろ

【『異国の丘』 作詞・増田幸治 補詞・佐伯孝夫 】


私は中小業の民間会社を35年間勤め定年退職をした身であるが、
退職の10年前頃から業界全体が縮小し、それぞれの会社が再構築がよぎなくされ、
リストラなども行われた。

組織の見直しによる人事配置転換の人事異動、出向、
そして早期退職優遇制度による退職、
このような形で同じ時代の空気を共にした上司、同僚、後輩などと別離があり、
中には業界から去った人も数多くあった。

私自身も55歳で出向となり、出向先で定年退職を迎えたのである。

この間、本社に残った人達と年に数回、親睦会で交流したりしていたが、
早期退職などで、少しづつ欠けていった・・。
この中には、何とか定年退職もされて、
地方で生活を営まれ、過ごしている人も多い。

こうして昨今は、お互いに葉書の挨拶程度となり、
あの人はあの人なりに過ごされている、
と安堵したりしている。


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『きさらぎ』を迎えて・・♪   《初出2008.2.1.》

2008-06-05 14:14:54 | 定年後の思い
昨夜、カレンダーを一枚破ると、『如月』と大きく明示され、
過ぎ去った正月以来が早かったと改めて無感じたりした。

2月は、古人から『衣更着』とも表示され、
寒さが厳しい折、更に重ね着をされるので、
このよう表現になったと思われる。

別名称としては、梅見月、雪消月、木芽月とも綴られることもあるが、
私はこの時節は、梅見月が好きである。

早春のひととき、遊歩道、公園、付近の住宅街、旧街道を散策し、
冬木立、早春の花を誉(ほ)めながら歩き、
今年も花、芽吹きに巡り逢えた、という実感が好きなのである。

東京の郊外は、早朝はマイナス1度程度で、澄み切った青空となって折、
風もなく朝の陽射しをまぶしげに受けている。

日中は8度の陽気に恵まれ、
私は買物、散策で早春の陽射しにつつまれて、
あの椿(ツバキ)は、梅の莟(つぼみ)は、
と季節のうつろいを観るのに私なりに忙しいのである。

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