東京郊外の調布市に住む私は、
過日の3月27日の夕方、60数年前の戦時中に落下した不発弾が発見された、
と知り、驚いていた・・。
そして、自衛隊の隊員の迅速な安全処置で、
爆発の危険は防止され、市民のひとりの私も安堵したのである。
後日、わが市から【ちょうふ】市報の『防災臨時号』が各戸に配布され、
詳細を知ったのである。
京王線立体化事業の事前調査に於いて、
近隣の方の証言や文献などに基づいて、
磁気探査で発見された、と報じられている・・。
昭和20年4月7日のB29の空中爆発の際、落下したものと推定され、
長さ約180cm、直径約60cmの米国製1トン爆弾、
と不発弾の概要が掲載されている。
そして自衛隊が安全処置を施したので、
強い衝撃を与えない限り爆発の危険はなく、
後日、不発弾の撤去を実施するが、
この間は調布市不発弾処置対策本部として保安要員を配置される、
と具体的に明示されて折、市民のひとりとして安心したのである。
私が住む調布市も、戦時中、軍事工場あり、隣接した市に戦闘機製造の工場もあったので、
米軍からの爆弾攻撃を受けた、と親戚の年配者から、
私は聞いていた・・。
私は昭和19年9月に生を受けた身であり、
ほぼ敗戦時の一年前であったので、戦争中のことは知らなかったのである。
『小父さん・・爆弾といっても・・どの位の大きさなの・・?』
と私は20歳を過ぎた頃、小父さんに訊ねたのである。
『そうだなぁ・・プロパンガスの大きなボンベあるだろう・・
あれ位のが、B29の大きな爆撃機がパラパラと落としていくんだょ・・』
と小父さんは私に云った。
この頃、ベトナム戦争が行われていた時代であり、
アメリカのB52超大型爆撃機が北ベトナムの上空から、
一機あたりが五百発の爆弾を落とし、繰り返し攻撃し、
絨毯爆撃攻撃している。
と後日私は新聞で読み、身震いをしたのである。
私はこの時頃から、戦争とは過酷で悲惨で、
勝者、敗者もなく、人々の『平和』から最も遠いこと、と知ったのある。
過日の3月27日の夕方、60数年前の戦時中に落下した不発弾が発見された、
と知り、驚いていた・・。
そして、自衛隊の隊員の迅速な安全処置で、
爆発の危険は防止され、市民のひとりの私も安堵したのである。
後日、わが市から【ちょうふ】市報の『防災臨時号』が各戸に配布され、
詳細を知ったのである。
京王線立体化事業の事前調査に於いて、
近隣の方の証言や文献などに基づいて、
磁気探査で発見された、と報じられている・・。
昭和20年4月7日のB29の空中爆発の際、落下したものと推定され、
長さ約180cm、直径約60cmの米国製1トン爆弾、
と不発弾の概要が掲載されている。
そして自衛隊が安全処置を施したので、
強い衝撃を与えない限り爆発の危険はなく、
後日、不発弾の撤去を実施するが、
この間は調布市不発弾処置対策本部として保安要員を配置される、
と具体的に明示されて折、市民のひとりとして安心したのである。
私が住む調布市も、戦時中、軍事工場あり、隣接した市に戦闘機製造の工場もあったので、
米軍からの爆弾攻撃を受けた、と親戚の年配者から、
私は聞いていた・・。
私は昭和19年9月に生を受けた身であり、
ほぼ敗戦時の一年前であったので、戦争中のことは知らなかったのである。
『小父さん・・爆弾といっても・・どの位の大きさなの・・?』
と私は20歳を過ぎた頃、小父さんに訊ねたのである。
『そうだなぁ・・プロパンガスの大きなボンベあるだろう・・
あれ位のが、B29の大きな爆撃機がパラパラと落としていくんだょ・・』
と小父さんは私に云った。
この頃、ベトナム戦争が行われていた時代であり、
アメリカのB52超大型爆撃機が北ベトナムの上空から、
一機あたりが五百発の爆弾を落とし、繰り返し攻撃し、
絨毯爆撃攻撃している。
と後日私は新聞で読み、身震いをしたのである。
私はこの時頃から、戦争とは過酷で悲惨で、
勝者、敗者もなく、人々の『平和』から最も遠いこと、と知ったのある。