私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
ここ2週間ぐらい新聞の折込チラシで、ときおりデパートなどの『お中元』の広告が入っている。
私は見たりすると、私の現役時代だったサラリーマンの頃を想いだしたりする。
私の現役時代は、お中元、お歳暮などの社交辞令は苦手であったので、
なるべく避けていた。
しかしながら不得意な私でも、人生の岐路にたたされた時、
或いは救いの手を差しのべて下さった方には感謝して、
年賀状を送信し、お中元、お歳暮の時はご自宅に訪問させて頂いた。
私の就職、結婚の時は、特にご尽力を頂いて、感謝している方である。
私が大学を中退し、映画・文学青年の真似事しはじめたのは、
東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年であった。
その後、挫折してサラリーマンをめざし、コンピュータの専門学校を一年ばかり学び、
大手の民間会社に中途入社を希望していた。
こうした中、私の実家の遠い親戚の資産家が、
知人である大手の映像・音響メーカーの首脳陣のひとりのお方を紹介して頂いた。
そして、この首脳陣のお方のご尽力もあり、
私はこの大手の映像・音響メーカーに中途入社できたのは、1970(昭和45)年の春であった。
入社してまもなく音楽部門のひとつの大手レーベルが、
レコード会社として独立し新設されたので、私は移籍させられ、
中小業であるレコード会社に35年ばかり勤めて、定年退職となった。
この間、この首脳陣のお方のご自宅にお中元、お歳暮のたびに訪問した折、
温かなまなざしで私に応対してくれた。
そして奥様もさりげなくつつみこんで下さり、
このご夫婦から高潔さを私は教示を受けた。
その後、私が結婚する時に、ある格式ある式場を懇願して紹介を受けたりし、
私達夫婦は何かとお世話になった。
このような形を25年過ぎれば、私も歳を重ねたが、
このお方からはお逢いし話すたびに、茶事、庭、絵画、音楽などの素養が格段違う、
と私達は実感させられたのである。
私の定年退職の時、私の日常生活ではとても口に出来ない美酒を頂戴した後、
まもなくご高齢であったので、亡くなわれた。
そして告別式に私共夫婦は参列させて頂き、改めて高潔なお人であった、
と思い馳(はせた)りした。
しかし、民間会社の大手の首脳まで栄達されたお方であったから、
怜悧な力量もあったと思われるが、
私達夫婦はこのお方の限りなく優しいプライベートの面しか接してこなかったのも、
事実でもあるが、
私にとっては小学2年の時に父に病死されたこともあり、
慈父のような人と秘かに36年ばかり思い続けたお方でもあった。
☆===========================☆
*恥ずかしながらブログランキングに参加しています。
下段のマークを押し、次画面の『投票』を押して下さいますと、
つたない私の無上の喜びとなりますので、あなた様の清き一票をお願い致します♪
↓
ここ2週間ぐらい新聞の折込チラシで、ときおりデパートなどの『お中元』の広告が入っている。
私は見たりすると、私の現役時代だったサラリーマンの頃を想いだしたりする。
私の現役時代は、お中元、お歳暮などの社交辞令は苦手であったので、
なるべく避けていた。
しかしながら不得意な私でも、人生の岐路にたたされた時、
或いは救いの手を差しのべて下さった方には感謝して、
年賀状を送信し、お中元、お歳暮の時はご自宅に訪問させて頂いた。
私の就職、結婚の時は、特にご尽力を頂いて、感謝している方である。
私が大学を中退し、映画・文学青年の真似事しはじめたのは、
東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年であった。
その後、挫折してサラリーマンをめざし、コンピュータの専門学校を一年ばかり学び、
大手の民間会社に中途入社を希望していた。
こうした中、私の実家の遠い親戚の資産家が、
知人である大手の映像・音響メーカーの首脳陣のひとりのお方を紹介して頂いた。
そして、この首脳陣のお方のご尽力もあり、
私はこの大手の映像・音響メーカーに中途入社できたのは、1970(昭和45)年の春であった。
入社してまもなく音楽部門のひとつの大手レーベルが、
レコード会社として独立し新設されたので、私は移籍させられ、
中小業であるレコード会社に35年ばかり勤めて、定年退職となった。
この間、この首脳陣のお方のご自宅にお中元、お歳暮のたびに訪問した折、
温かなまなざしで私に応対してくれた。
そして奥様もさりげなくつつみこんで下さり、
このご夫婦から高潔さを私は教示を受けた。
その後、私が結婚する時に、ある格式ある式場を懇願して紹介を受けたりし、
私達夫婦は何かとお世話になった。
このような形を25年過ぎれば、私も歳を重ねたが、
このお方からはお逢いし話すたびに、茶事、庭、絵画、音楽などの素養が格段違う、
と私達は実感させられたのである。
私の定年退職の時、私の日常生活ではとても口に出来ない美酒を頂戴した後、
まもなくご高齢であったので、亡くなわれた。
そして告別式に私共夫婦は参列させて頂き、改めて高潔なお人であった、
と思い馳(はせた)りした。
しかし、民間会社の大手の首脳まで栄達されたお方であったから、
怜悧な力量もあったと思われるが、
私達夫婦はこのお方の限りなく優しいプライベートの面しか接してこなかったのも、
事実でもあるが、
私にとっては小学2年の時に父に病死されたこともあり、
慈父のような人と秘かに36年ばかり思い続けたお方でもあった。
☆===========================☆
*恥ずかしながらブログランキングに参加しています。
下段のマークを押し、次画面の『投票』を押して下さいますと、
つたない私の無上の喜びとなりますので、あなた様の清き一票をお願い致します♪
↓