夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私の秘かな『お中元』の想いで・・。

2010-07-06 12:56:28 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
ここ2週間ぐらい新聞の折込チラシで、ときおりデパートなどの『お中元』の広告が入っている。

私は見たりすると、私の現役時代だったサラリーマンの頃を想いだしたりする。

私の現役時代は、お中元、お歳暮などの社交辞令は苦手であったので、
なるべく避けていた。

しかしながら不得意な私でも、人生の岐路にたたされた時、
或いは救いの手を差しのべて下さった方には感謝して、
年賀状を送信し、お中元、お歳暮の時はご自宅に訪問させて頂いた。

私の就職、結婚の時は、特にご尽力を頂いて、感謝している方である。

私が大学を中退し、映画・文学青年の真似事しはじめたのは、
東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年であった。
その後、挫折してサラリーマンをめざし、コンピュータの専門学校を一年ばかり学び、
大手の民間会社に中途入社を希望していた。

こうした中、私の実家の遠い親戚の資産家が、
知人である大手の映像・音響メーカーの首脳陣のひとりのお方を紹介して頂いた。

そして、この首脳陣のお方のご尽力もあり、
私はこの大手の映像・音響メーカーに中途入社できたのは、1970(昭和45)年の春であった。
入社してまもなく音楽部門のひとつの大手レーベルが、
レコード会社として独立し新設されたので、私は移籍させられ、
中小業であるレコード会社に35年ばかり勤めて、定年退職となった。

この間、この首脳陣のお方のご自宅にお中元、お歳暮のたびに訪問した折、
温かなまなざしで私に応対してくれた。
そして奥様もさりげなくつつみこんで下さり、
このご夫婦から高潔さを私は教示を受けた。

その後、私が結婚する時に、ある格式ある式場を懇願して紹介を受けたりし、
私達夫婦は何かとお世話になった。
このような形を25年過ぎれば、私も歳を重ねたが、
このお方からはお逢いし話すたびに、茶事、庭、絵画、音楽などの素養が格段違う、
と私達は実感させられたのである。


私の定年退職の時、私の日常生活ではとても口に出来ない美酒を頂戴した後、
まもなくご高齢であったので、亡くなわれた。

そして告別式に私共夫婦は参列させて頂き、改めて高潔なお人であった、
と思い馳(はせた)りした。

しかし、民間会社の大手の首脳まで栄達されたお方であったから、
怜悧な力量もあったと思われるが、
私達夫婦はこのお方の限りなく優しいプライベートの面しか接してこなかったのも、
事実でもあるが、
私にとっては小学2年の時に父に病死されたこともあり、
慈父のような人と秘かに36年ばかり思い続けたお方でもあった。



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私の秘かに心寄られた海辺のひとつは、小笠原・父島の扇浦海岸・・。

2010-07-06 09:18:07 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
たまたまネットでニュースを見ようと、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたが、
ひとつのニュースに、海水浴場にも『特級』あるのかしら、と思わず微笑えんだりした。

《 水浴場の水質“特級”は田沢湖・小笠原…… 》

と見出しされた記事である。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
海水浴シーズンの本格化を控え、環境省は2日、
全国の海水浴場や湖など855か所の水質調査結果を公表した。

すべての地点で水質に問題はなく、全体の82%は「Aランク」以上の良好な水質だった。

透明度が高く、大腸菌が検出されないなどの条件を満たす「AAランク」だったのは529か所。
この中でも、特に水質レベルが高かったのは、
田沢湖(秋田・仙北市)、大村海岸(東京・小笠原村)、大久保浜(同・三宅村)、
二位ノ浜(山口・長門市)、ニライビーチ(沖縄・読谷村)など9か所だった。

(2010年7月2日19時20分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


私は少年期の頃は、近くの多摩川で泳いだりしたが、
1956(昭和31)年の頃になると、大腸菌の影響で遊泳禁止されたので、
やむえず、遊園地のプールなどに通ったりした。

その後、泳ぎの苦手な私は海水浴場に遠ざかっていたが、
長兄の友人など引率されて、湘南海岸、九十九里が浜など幾たび通い、
或いは悪友と伊豆の西海岸の戸田に2泊3日で遊泳の旅を楽しんだりした。
これらは東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の以前のことである。

この後は、私は海水浴で遊泳をしていないが、
国内旅行が好きで、日本の各地の海岸の情景を観たり、浜辺を散策してきたが、
ここ一年で鮮烈に美麗な海岸の情景、そして海水の澄み、魅せられた海辺は、
今年の2月24日から3月7日まで船中泊往復路2泊、小笠原の『父島』のホテル滞在9泊となった旅であった・・。

これらのことは【 光と風の中、夢の島のひとつは小笠原諸島の『父島』・・。】
と題して、
14通ばかりこのサイトに投稿し、この中の一部を再掲載する。

【・・
       第12章  そよ風を海辺の休憩所で受けながら

3月5日の朝食後、明日の6日は『おがさわら丸』に乗船するので、
家内は帰り仕度の荷物の整理をしていた。

私達は日中はホテルの間近にある休憩所でのんびり過ごそう、と昨夜に話し合ったていた。
ホテルの前の道路を渡ると、左手にコテージ風の休憩所があり、
四角い木目の大きなテーブルが四つあり、それぞれ長イスがあって、
外れにはシャワー・ルームとトイレが備えられて折、
村営の休憩所として優美なたたずまいである。

前方に幅広い砂浜が広がり、そして青い色をなして白く打ち寄せる波、彼方は蒼い色の海原、
私達は最初にこの場所に来た時から、何かと気に入って、
近くにある村営バスの『扇浦海岸』のバス停で街中に行く時も、
この休憩所を利用させて頂いた。

10時過ぎに大きなテーブルのひとつにバックとデジカメを置き、
長イスに座って、前方の白い砂浜に打ち寄せる波、そして青い浅瀬の海が広がり、
その先は蒼い色彩を増しながら彼方まで続く洋上を眺めると、
時が過ぎさるのが忘れるくら見惚(みと)れていた・・。

そして、時折そよ風を私は受けながら、煙草を喫ったりしていると、
旅も終わりに近づいてきたことをぼんやりと感じてきたりした。


思い返せば、2月24日に早朝に自宅を出て、竹芝桟橋に早めに到着し、
『おがさわら丸』は定時の午前10時に出航し、
一路南下して翌日の25日の午前11時半に父島の二見港に入港した。

そして滞在するホテル『ホライズン』にチエック・インし、
この夜から創意工夫のある夕食、そして朝食を頂いたりした。

26日の日中は大村の街中に行き、『小笠原ビジター・センター』でビデオを3本ばかり観賞し、
小笠原諸島のことを多々教示を受けたりした。

27日は初めての『ホエール・ウォッチング』の観光船に乗船し、
潮風を受けたり、潮水を浴びたりしたが、ザトウクジラを数多く観られ、洋上からの父島、兄島の景観に魅せられた。

そして28日には、津波警報に驚きながら『扇浦 交流センター』に避難し、
夜の8時の避難解除まで過ごしたりした。
この間に『おがさわら丸』は二見港を定時の午後2時に出航が遅れ、深夜の未明に出航したと翌朝知ったりした。

3月1日からは、3日の『おがさわら丸』が午後3時に入港するまで、
ホテルの宿泊客は私達夫婦だけとなり、レストラン等で何かと落ち着かない日々が続いた。

2日の日中は、二度目の『ホエール・ウォッチング』の観光船に乗船し、
まぎれなく神秘の南島に上陸し、散策しながら数多くの景観に魅了させらたのである。

3日の午前中はホテルから程遠くない『亜熱帯農業センター』を散策したり、
夜のひとときは『ナイト・ツアー』に参加し、夜の情景を眺めたりした。

4日の日中は、三度目の『ホエール・ウォッチング』の観光船に乗船し、
高速大型船で父島の西岸を北部の彼方から南部の彼方まで、縦横くまなく走破しながら、
ザトウクジラを見飽きるほど観せてくれたのである。


このようなことを思い浮かべたりしたのであるが、
過ぎてしまえば余りに早く感じる・・。

前方の浅瀬の海に、カヤックが三隻が観られ、
この中のひとりの指導員がシーカヤック挑戦の初心者を教えている。
家内は微笑みながら、この状景を見つめたりし、
私も挑戦すればよかったわ、と私に云ったりしながら笑ったりした。

この後、家内がホテルに引き返して、缶ビールを2本とおつまみ、お菓子を提げてきた。
よそ風に身をゆだねて、ビールを呑み、前方の海の色合いを観れば、
贅沢すぎるかしら、と感じるのである。
そして私にとっては、このような天国であったならば、通俗の言葉で記すと、確かな極楽だね、
と心の中で呟(つぶや)いたりした。
・・】

このように投稿していたが、私は海辺のある街に住んだことがないので、
それぞれのお方は地元の海辺が最も愛惜と愛着があり、
最も美麗なことはいうまでもないことである。



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