夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

扇子(せんす)と団扇(うちわ)、この夏も愛用し・・。

2010-07-22 18:03:53 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
過日、梅雨明けの後、連日の猛暑で、暑さに苦手な私は、
買物や散策する時に扇子(せんす)を扇(あお)ぎながら、
大通りの歩道や遊歩道を歩いたりしている・・。

帰宅後、洗面所で顔を洗った後、
居間のエアコンの冷風の下で、着替えて、冷茶を飲みながら、
団扇(うちわ)を取り出して、冷房の中、扇(あお)ぐ時も多い。

私の現役時代の時、退社後に駅で電車を待っている時、
プラットホームは暑いので、扇子を取り出し、扇(あお)いだりしていた・・。

以前、会社の業務に知り合った英国の方が帰国する際、
私は彼に、奥様にと扇子をプレゼントしたことがあった。

雪花染めといって、こうぞ紙を一枚一枚に手染めで仕上げた
若草色した華やかさがあり、
雪の結晶のような模様をした扇子であった。

2週間後、この奥様より、丁重な礼状が着いた。
今では私の大切な宝物になっている。


たまたま私が愛用している団扇(うちわ)は、
昨年の2009年の『祇園祭』を観に行った時に、
ひととき貴船の川床料理を頂き、料亭を辞する時、
仲居さんが微笑みながら手渡して下さった団扇(うちわ)である。

もうひとつは、ご近所の寿司屋さんから、
我が家に配達で来宅した時、お得意様にと頂いた団扇(うちわ)である。

この二本の団扇(うちわ)をその時の心情に応じて、
使い分けている。

ときおり、私は60年前の幼年期に、
祖父、父たちが畳の上で団扇(うちわ)を扇(あお)ぎ、
家族団らんのひとときを過したのであったが、
この時の情景を思い馳せたりしている。



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ふたたび、私の『心のふるさと』は・・。

2010-07-22 13:29:40 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
過ぎた日々の半生を振り返えり、私の心の源泉は、
と問い続けたりすることがある。

そして、どなたも同様と思われるが、
やはり私は幼年期、少年期にときおり思い寄せたりしている・・。

幼年期、少年期に関しては、
このブログの【年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~】に於いて、
カテゴリー『幼年・少年期の想いで』と称して、
66編ばかり残している。


私は1944(昭和19)年9月に、
今住んでいる北多摩郡神代村入間(現・調布市入間町)近くの実家で生を受け、
祖父、父、母、そして父の妹の叔母2人、
長兄、次兄に続いて生まれたので、三男坊として乳児の時を過ごした・・。
敗戦の大戦の一年前の頃であるので、もとより戦争を知らない身ひとりでもある。

祖父と父が中心となり、小作人の手を借り、
程々の広さの田畑を耕し、宅地の周辺には竹林、雑木林があった。

敗戦後、まもなくして農地改革で田畑は減少したが、
幼児の私には、それなりの田畑、湧き水、小川、蓮(ハス)専用の田んぼ、
池、防空壕などの数多くの情景が、
今でも鮮明に残っている・・。


長兄、次兄に続いて私は生を受けたが、跡取り候補の男の子は2人いたので、
祖父、父らは3番目は女の子を期待していたらしく、
私の後に生まれた妹の2人を溺愛していた状況を私はなりに感じ取り、
いじけた可愛げのない幼年期を過ごした。

そして、祖父と父は大学に学ぶことが出来なかったので、
跡取りの長兄に期待をかけ、小学5年生の頃から、家庭教師を付けたりした。

長兄は当時通っていた村立小学校の創設60年の卒業生の中で、
初めて国立の中学校に入学できて、
周囲の期待に応(こた)えたのである。

次兄は活発な伸び伸びとして育成されたが、
それなりに学校の成績は、クラスで一番と称せられていた。


このした中で、私は小学校に入学しても、
通信簿は『2』と『3』ばかりの劣等性であった。
父が小学2年3学期、祖父がまもなくした小学3年の一学期に死去し、
大黒柱をなくした農家の我家は没落しはじめたのである・・。

私はお兄さんは出来たのに、と担任の先生のため息もさることながら、
相変わらずの劣等性でいじけた影の子であった・・。


後年、都心の私立の高校に通った頃から、
地元から離れ、都心の空気と兄達の影響のない高校であったので、
私なりに純粋に伸び伸びとして育ち、
文学、歴史などに深く興味を持つ普通の子となったのである。

この後、大学を中退し、映画・文学青年の真似事をした後、
何とか大企業の中途入社でき、
まもなくこの中の音楽部門のひとつの大きなレーベルが独立会社として新設され、
私も移籍させられてレコード会社に35年ばかりサラリーマンとして勤め、
定年退職を迎えたのである。


私は20代のなかばの頃まで、
地元を振りかえることをなるべく避けていた・・。

中学生の頃までに、田畑、竹林、雑木林が急激に住宅街への変貌する情景に、
心身の波長が耐え切れなかった面があったが、
何よりも劣等性だった小・中学時代を思い出すのも、
負い目もあり、つらく、ふるさとなんかは、と愛憎を重ねたりしていた。

30代のなかば、実家の近くに家を構えた時、
家内を誘い、周辺を散策するたびに、小・中学校に通った路とか、
かっての幼年期、少年期の情景を語ったりした。

そして定年退職後、私は方書きの名刺をなくなったので、
やむえず、調布の里っ子、と明記した名刺を財布に入れて、
友人らに恥ずかしげに手渡しをしたりしていた。

このように若き頃に劣等感が多く、独断と偏見もあり、屈折した心持ちもあり、
つたない半生だったので、せめて残された人生は、
念願の清貧の数寄者をめざし、日々投稿文を綴り自己鍛錬をしている。


尚、ここ30数年に於いて、
心のふるさと・・しばしば各界で使われているが、
この言葉を最初に使われたのは、私のつたない読書歴のメモに記載している。

旅行雑誌の『旅』の編集長をしていた紀行作家・岡田喜秋が、
作家・立原正秋に紀行文の連載を依頼した時、
『心のふるさとをゆく』とタイトルを命名されたのである。
1968(昭和43)年の新年号から1年間連載されていた。

私は紀行文をそれなりに乱読してきたが、
今は亡き立原正秋・著の『心のふるさとをゆく』には、
私なりの自己形成のひとつの基幹となしたことを付記する。



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八代亜紀さんの『雨の慕情』を心の中で唄い、雨乞いし・・!?

2010-07-22 09:05:19 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の身であるが、
過日の17日に梅雨明けの後、連日の猛暑となり、すっかり雨から遠のいている。
18日は31度、19日は33度、一昨日の20日は34度、昨日の21日は36度となり、
本日も34度前後が予測され、炎天下の快晴に恵まれすぎて、
暑さに苦手な私は、先程も戸惑いながら空を見つめたりしている。

このような思いでいると、天上の気候の神々に雨乞(あまご)いをしたくなり、
私は思わず、

♪心の中が忘れた あのひとも
 膝の重さを 覚えてる

【『雨の慕情』 作詞・阿久悠、作曲・浜圭介、編曲・竜崎孝路、唄・八代亜紀 】

心の中で唄いだした。

私は苦手な八代亜紀さんであるが、
亡き作詞家の阿久悠さんには敬愛している身なので、
私なりに唄った・・。


♪雨雨ふれふれ もっとふれ
 私のいいひと つれて来い

【『雨の慕情』 作詞・阿久悠、作曲・浜圭介、編曲・竜崎孝路、唄・八代亜紀 】


もとより私は齢を重ね声も衰えた身であり、
とても八代亜紀さんのように巧く唄えないが、
せめて天上の気候の神々に祈願するように心の中で唄ったりした。

この後、主(あるじ)の私は音痴なのせいか、少し心配をしたりしている。

そして、私はこの歌のように、
情愛を深めたいいひとに、それほどめぐり逢えなかったことを気付き、
私としては雨乞うの歌には相応しくない、
と思ったし、駄目かしらと少しばかり反省したりした。


この後、私は水を大切にしましょうと叫ばれている今日、
ご近所の方から、非国民と非難されないように、
こっそりと夏の草花だけに水を散水したのである。

私は住む街は、真夏日が続き、
すっかり雨から嫌われ、どうしてなの、
と今朝も天上の気候の神々に問いかけている。


http://www.youtube.com/watch?v=4pPDPSPAL-M&feature=related
☆【『雨の慕情』 作詞・阿久悠、作曲・浜圭介、編曲・竜崎孝路、唄・八代亜紀 】☆


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