私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
梅雨の間の快晴の中、いつものように買物に行った後、
コンビニに寄り総合月刊誌の『文藝春秋』(八月号)を買い求めた。
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/index.htm
☆ 文藝春秋ホームページ 総合月刊誌の『文藝春秋』(八月号) ☆
帰宅後、昼食を家内と共に頂いた後、
昼下がりの頃に、居間のはずれのエアゴンの冷風の中、
簡易ベットに横たわりながら、私は購入した『文藝春秋』を読みはじめた・・。
三時間ばかり読んだりすると、
体力の衰えた私は無念ながら眠くなり、一時間ぐらい夕寝をしてしまった。
目覚めた後、着替えて、洗面所で顔を洗い、
そして玄関の軒下で煙草を喫ったりし、夕暮れの情景をぼんやりと観た後、
ソフアーに座り、再び『文藝春秋』を開いたりした。
毎月のことであるが、私はこよなく『文藝春秋』を愛読しているひとりである。
私はこの総合月刊誌の『文藝春秋』に関しては、
このサイトに幾度も綴っているが、この中のひとつを再掲載する。
【 私の友のひとりは、月刊総合雑誌の『文藝春秋』となり・・。 】
と題し、今年の2010年4月11日に投稿している。
【・・
昨日、月刊総合雑誌のひとつの『文藝春秋』(5月号)を買い求めて、
日中から深夜までの大半は読みふけっていた・・。
私が『文藝春秋』を定期的に読み始めたのが、1970(昭和45)年の25歳の時であった。
それまでの私のつたない雑誌に関しては、恥ずかしながら告白めいたことを綴る。
私は1944(昭和19)年に東京の郊外の農家の三男坊として生を受けた。
祖父、叔母、両親、兄2人などの7人の家族であり、
小作人の方たちの協力を受けて、程ほど広い田畑を耕していた。
そして多忙期の折などは、農業大学の実習生なども受け入れていた。
このような家庭環境であったが、
本にしても雑誌に関しては、農協の発刊する『家の光』しか記憶がなかったのである。
私が小学4年生を過ぎた頃、
都会から引越しされた同級生のサラリーマンの家に遊びに行った時、
居間にある書物を見て、余り多くあるので驚いて、
子供心に衝撃を受けたのである。
この頃の私は、月刊の漫画雑誌のひとつの『少年画報』などを下校の時、
本屋で買い求め、読みながらとぼとぼ帰宅したりした。
私が読書に目覚めたのは、高校生になってからである。
人並みに文学の文庫本、単行本を買い求めたりしていたが、
授業の時事に魅了されたので、週刊誌の『朝日ジャーナル』を購入し、
海の彼方のケネディなどの政治家に心酔していた。
大学に入学する前後から、映画専門雑誌の『キネマ旬報』に熱中し、
小学4年生の頃から独りでたびたび映画館に通ったりしてきた体験も加わり、
これが原因で大学を中退し、映画青年の真似事の期間を過ごしたりしていた。
その後、文学に移り、純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読したり、
総合雑誌の『文藝春秋』を不定期に購読していた。
1970(昭和45)年の25歳の時、映画・文学青年の真似事も挫折し、
遅ればせながら企業に中途入社をして、社会人のひとりとなった。
この時、私は余りにも一般的な常識の政治、外交、軍事、経済、社会などに欠けていたことに気付かされ、
劣等感も抱きながら、総合月刊雑誌の『世界』、『中央公論』、『文藝春秋』を毎月読むようになったのである。
この頃は、血気盛んな私は独身青年であったので、娯楽週刊誌の『平凡パンチ』まで読んでいたので、
私は秘かに『世界』から『平凡パンチ』まで雑誌を読んでいるのは、
日本広しといえども私ぐらい、と自惚(うぬぼ)れしてもいた時期であった。
しかしながら、たまたまレコード会社に勤めて情報畑で奮闘していると、
数多くのサラリーマンと同様に多忙となり、
やがて結婚をしたり、住宅ローンの返済に苦労したりすると、
『世界』の知識についていけず、
『中央公論』だけは時折、特集記事により購読するようになった。
そして結果的には、毎月に愛読している総合月刊雑誌としては『文藝春秋』だけとなり、
定年退職後の今でも、このようになっている。
年金生活で高齢者の入門の65歳の私にとっては、毎月逢える友のひとりとなっている。
私はそれぞれの寄稿文を読みながら、私と同じような思いに安堵し微笑んだり、
記載されていることの内容が程度の低いことと感じられ、綴られた著者に失望したり、
或いは私が無知だったことを知り、謙虚にご教示頂いたりしている。
ここ数年の楽しみのひとつとしては、毎月10日に発売されているが、
その日の朝、読売新聞に広告として掲載されている・・。
この時に特集記事が明記されているので、私は読みながら、やはりこの記事だった、
と私なりに予測していたことと同一の場合は、独り微笑んでしまうのである。
尚、私は『文藝春秋』の数多くの寄稿文で、読みながら理解出来なくなった時は、
ボケるの避けたいので、この世とおさらばし、自裁する時と思っている。
・・】
このように綴って折、まぎれなく私にとっては一番長く継続し、
愛読している総合月刊雑誌である。
☆===========================☆
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梅雨の間の快晴の中、いつものように買物に行った後、
コンビニに寄り総合月刊誌の『文藝春秋』(八月号)を買い求めた。
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/index.htm
☆ 文藝春秋ホームページ 総合月刊誌の『文藝春秋』(八月号) ☆
帰宅後、昼食を家内と共に頂いた後、
昼下がりの頃に、居間のはずれのエアゴンの冷風の中、
簡易ベットに横たわりながら、私は購入した『文藝春秋』を読みはじめた・・。
三時間ばかり読んだりすると、
体力の衰えた私は無念ながら眠くなり、一時間ぐらい夕寝をしてしまった。
目覚めた後、着替えて、洗面所で顔を洗い、
そして玄関の軒下で煙草を喫ったりし、夕暮れの情景をぼんやりと観た後、
ソフアーに座り、再び『文藝春秋』を開いたりした。
毎月のことであるが、私はこよなく『文藝春秋』を愛読しているひとりである。
私はこの総合月刊誌の『文藝春秋』に関しては、
このサイトに幾度も綴っているが、この中のひとつを再掲載する。
【 私の友のひとりは、月刊総合雑誌の『文藝春秋』となり・・。 】
と題し、今年の2010年4月11日に投稿している。
【・・
昨日、月刊総合雑誌のひとつの『文藝春秋』(5月号)を買い求めて、
日中から深夜までの大半は読みふけっていた・・。
私が『文藝春秋』を定期的に読み始めたのが、1970(昭和45)年の25歳の時であった。
それまでの私のつたない雑誌に関しては、恥ずかしながら告白めいたことを綴る。
私は1944(昭和19)年に東京の郊外の農家の三男坊として生を受けた。
祖父、叔母、両親、兄2人などの7人の家族であり、
小作人の方たちの協力を受けて、程ほど広い田畑を耕していた。
そして多忙期の折などは、農業大学の実習生なども受け入れていた。
このような家庭環境であったが、
本にしても雑誌に関しては、農協の発刊する『家の光』しか記憶がなかったのである。
私が小学4年生を過ぎた頃、
都会から引越しされた同級生のサラリーマンの家に遊びに行った時、
居間にある書物を見て、余り多くあるので驚いて、
子供心に衝撃を受けたのである。
この頃の私は、月刊の漫画雑誌のひとつの『少年画報』などを下校の時、
本屋で買い求め、読みながらとぼとぼ帰宅したりした。
私が読書に目覚めたのは、高校生になってからである。
人並みに文学の文庫本、単行本を買い求めたりしていたが、
授業の時事に魅了されたので、週刊誌の『朝日ジャーナル』を購入し、
海の彼方のケネディなどの政治家に心酔していた。
大学に入学する前後から、映画専門雑誌の『キネマ旬報』に熱中し、
小学4年生の頃から独りでたびたび映画館に通ったりしてきた体験も加わり、
これが原因で大学を中退し、映画青年の真似事の期間を過ごしたりしていた。
その後、文学に移り、純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読したり、
総合雑誌の『文藝春秋』を不定期に購読していた。
1970(昭和45)年の25歳の時、映画・文学青年の真似事も挫折し、
遅ればせながら企業に中途入社をして、社会人のひとりとなった。
この時、私は余りにも一般的な常識の政治、外交、軍事、経済、社会などに欠けていたことに気付かされ、
劣等感も抱きながら、総合月刊雑誌の『世界』、『中央公論』、『文藝春秋』を毎月読むようになったのである。
この頃は、血気盛んな私は独身青年であったので、娯楽週刊誌の『平凡パンチ』まで読んでいたので、
私は秘かに『世界』から『平凡パンチ』まで雑誌を読んでいるのは、
日本広しといえども私ぐらい、と自惚(うぬぼ)れしてもいた時期であった。
しかしながら、たまたまレコード会社に勤めて情報畑で奮闘していると、
数多くのサラリーマンと同様に多忙となり、
やがて結婚をしたり、住宅ローンの返済に苦労したりすると、
『世界』の知識についていけず、
『中央公論』だけは時折、特集記事により購読するようになった。
そして結果的には、毎月に愛読している総合月刊雑誌としては『文藝春秋』だけとなり、
定年退職後の今でも、このようになっている。
年金生活で高齢者の入門の65歳の私にとっては、毎月逢える友のひとりとなっている。
私はそれぞれの寄稿文を読みながら、私と同じような思いに安堵し微笑んだり、
記載されていることの内容が程度の低いことと感じられ、綴られた著者に失望したり、
或いは私が無知だったことを知り、謙虚にご教示頂いたりしている。
ここ数年の楽しみのひとつとしては、毎月10日に発売されているが、
その日の朝、読売新聞に広告として掲載されている・・。
この時に特集記事が明記されているので、私は読みながら、やはりこの記事だった、
と私なりに予測していたことと同一の場合は、独り微笑んでしまうのである。
尚、私は『文藝春秋』の数多くの寄稿文で、読みながら理解出来なくなった時は、
ボケるの避けたいので、この世とおさらばし、自裁する時と思っている。
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このように綴って折、まぎれなく私にとっては一番長く継続し、
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