夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

丸山健二・著の『田舎暮らしに殺されない法』・・。

2010-07-05 12:12:34 | 読書、小説・随筆
丸山健二・著の『田舎暮らしに殺されない法』(朝日新聞出版)を読み、
私なりに考えさせられたのである・・。

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=9397
☆朝日新聞出版 丸山健二・著の『田舎暮らしに殺されない法』 ☆

この解説文をお借りすれば、
《・・
団塊の世代が定年を迎え、「第二の人生」を「夢の田舎暮らし」に託す人々が増えた。
ところが……。
安易に田舎暮らしを決めて、本当にいいのか? 
厳しい自然環境、共同体の閉鎖的な人間関係、やがて襲ってくる強烈な孤独など、
田舎に暮らすことの幻想を暴きつつ、
それでも田舎暮らしを志向する人に向けて、自立し、目的意識を持つことの大切さを説く。
田舎暮らし歴40年の著者が、豊富な体験から田舎暮らしに潜む危険を説く書き下ろしエッセイ。
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。


私は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事していたが、
まもなく純文学月刊誌の「文学界」で、丸山健二氏のテビュー作品の『夏の流れ』を読み、
衝撃を受けたひとりである。

私よりひとつ齢上で、このような静謐な表現ができるのに、
今、思い浮かべても、打ちのめされた、と記憶している。

その後、氏の小説、随筆は10数冊ばかり買い求めて読んだりしてきたが、
愛読者の範疇には入らないが、
このお方の人生の過ごされる状況に、何かと注視してきた。

今回の田舎暮らしを安易に決める方たちの警告書であり、
私も若き頃の30代の頃、田舎暮らしを夢みたひとりであった。

サラリーマンをしながら、人生の後半になれば、と夢想してきたが、
50代の頃には都会の利便性に何かと享受して身に沁み、
体力の衰えた定年後を想像し、断念した。

このような私の心の奥底には、幼年期まで農家の児として育ったので、
成人する頃まで地元の状況には愛憎を重ねたりし、
ここ10数年にわだかまりが消え去った、というのが本心である。


本書で丸山健二氏の提言された中で、
《田舎は「犯罪」の巣である》
《「付き合わずに嫌われる」ほうが底が浅く、
「付き合ってから嫌われる」ほうが数倍も根が深い》
少なくともこの章だけでも、
自治体の田舎に住む斡旋活動はもとより、テレビの放送、新聞、雑誌なとの大手メディアなどでは、
言動されることがない。

このことは丸山健二氏が作家としてデビュー後まもなく都会生活を打ち切り、
生地の周辺の村営住宅に住まわれた後、
亡き父の遺(のこ)された荒地を独力で開墾し、
独創性ある住居を建て、自力ですべて庭を作り40数年の苦楽を体験されことを根底にあり、
氏のうわべでない優しい真情で田舎を余すところなく表現された哲学書のひとつである。

昨今、幼年期より都会に住まわれ、田舎の生活も体験したことのない諸兄諸姉で、
旅先の地方の情景に魅せられ、田舎暮らしを思案されている方、
この一冊の本を精読された上で、決断されるのがよい、と私は確信を深めている。



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喫煙文化研究会・編集の『愛煙家通信 No.1』、時代のうつろいを学び・・。

2010-07-05 02:02:31 | 読書、小説・随筆
ひとつの喫煙文化研究会・編集の『愛煙家通信 No.1』に関しては、
私は愛煙家のひとりとして、あるサイトに2005年の頃、
【煙草は日本の文化のひとつである】と題し、昨今の嫌煙ブームの風潮に憂いを綴ったりした身でもある。

この程度のことは、この本の特集のひとつで、
《喫煙は日本の文化だ》と題され、数多くの著名人が綴られていたが、
私なりに学んだが、何よりも驚嘆したのは、
評論家の井尻千男(いじり・かずお)・著の『集団が生き残るための知恵』の寄稿文であった。

この中で氏は、宮澤政権の当時、
宮澤総理の辞令を受けて厚生省の審議委員になり、
毎月一回、禁煙派の医学関係者と論戦をたたかわせた、と述べられていた・・。

《・・
このときの同士は医事評論家の水野肇氏だった。

氏は当時人口に膾炙(かいしゃ)するようになったアルツハイマー病患者が
非喫煙者に多いという統計を挙げて、
自分は脳を病んで人さまに迷惑をかけて死ぬより、
肺ガンで死ぬことを選ぶと勇ましく宣言した。

(略)

その審議会で面白かったのは、
初回こそ10人ほどいた禁煙派が厳しい口調で愛煙家を非難したが、
毎回同じ非難をすることの愚を悟ったのか、
次第に愛煙家の弁に耳を傾けるようになった。

水野委員はもっぱら、
痴呆症になって人さまに迷惑をかけながら、
そのことすら認識できず一日でも長く永生きようとするのか
(タバコの煙の中のなんとかという成分がアルツハイマー病に予防効果のあることを繰り返し)、
それとも肺ガンになっても最期まで明瞭な意識をもって生(せい)をまっとうしょうとするのか。

要は死生観の問題であり、徒(いたずら)に永生きすること自体に意味があるわけではない、
と毎回熱弁をふるった。
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。

この後、井尻千男氏は、
《・・
今日のように禁煙派の差配する文明は、
清潔だけを大事にする衰弱せる文明だと批判しつづけた。

(略)

私は一人でも多くの人に聞いてほしいから審議会の議論を公表してくれと
厚生省側に申し入れたが拒否された。
委員の身を守る(当然愛煙家の命)ためという理由だった。
・・》


私はこうした審議会の禁煙派、喫煙派の真摯な諸兄の討議内容を封印したのは、
時の厚生省が喫煙の風潮を更に増長させた諸因のひとつと確信したのである。


そして禁煙の風潮のはじまりをこの本から、学んだのである。
解剖学者の養老孟司、劇作家の山崎正和の両氏に寄る対談、
『変な国・日本の禁煙原理主義』と題され、初出は『文藝春秋』2007年10月号である。

《・・
山崎正和氏の発言
ベトナム戦争の後、アメリカをまとめていた愛国心やピューリタン的な道徳が根本から揺らぎ、
社会秩序も変った。

同性愛も妊娠中絶も、キリスト教以外の信仰も認めなければならない。
そのことに対して、皆、喉に何か引っかかったままだった。
そこで、誰もが一致して反対できる都合のよい”敵”を探し始めたのです。

あの当時、選択肢は二つありました。
たばこかエイズか。
ちょうどエイズが広まった時期でもありました。
しかし、結局はたばこが選択されました。

なぜなら当時エイズの原因とされていた同性愛を好むのは、
ハリウッドスターとか芸術家とか社会の上流層だけれども、
たばこを吸うのは社会の中流以下が多かったからです。

アメリカ人が大麻に寛容なのもまったく同じ理由です。

・・》
注)原文にあえて改行を多くした。


こうした禁煙の始まりがアメリカで発生し、何かとアメリカの属国の日本に飛び火し、
厚生省の音頭で学界の一部の論を拡大させ、日本の禁煙風潮をあおり、
終局的には世界保健機関の採択した『たばこ規制に関する枠組条約』に基づき、
2004年に日本の国会で可決され、
決定的な嫌煙ブームとなったと私は思いめぐらしたりした。

しかし、大麻、エイズの原因とされる同性愛などは険悪する私は、
ひと様の前では煙草を避けて、玄関の軒下、テラスなどで紫煙を楽しんでいる・・。
そして、あと何年か生きられるか判らないが、痴呆症だけは勘弁してほしいと思ったりしている。



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