夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

夢の中の『ぶなの森』は・・。

2010-07-21 16:45:45 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
過日、梅雨明けの後、連日の猛暑で、暑さに苦手な私は、
買物の後の散策も短かなコースとなっている。

その後、午後のひととき居間のはずれで簡易ベットに横たわりながら、
エアコンの冷風を受けながら、本を読んだりして、
少し昼寝をすることが多い。

先程、昼寝を一時間半ばかりし、ぼんやりと顔を洗った後、
テラスのはずれの樹陰で、煙草を喫ったりし、
先程の昼寝でみた夢を思いだしながら、微苦笑した。


私が独りでブナの森の中の歩道を歩き、
3時間ぐらいの徒歩コースであったが出口が見つからず、
木のベンチに腰かけて、どうしてなの、困り果てた。
その後、亡き祖父が私の前に現れて、
いつまでも子供じゃ、と云いながら、出口の方に私を導いてくれた。
私は呆然としながら、祖父の後について云ったが、
私の小学時代に亡くなった祖父が、どうして・・、と思いながら歩いた。


このような夢であったが、不思議な夢であり、
ブナの森かょ、と心の中で呟(つぶや)きながら、
私はぼんやりと過ぎ去った日々を思い返したりした。

そして、私達夫婦の結婚して35年目となり、
記念旅行と称して北東北地方の青森県の一部を周遊した。
この旅の終りの頃に十和田湖の奥まった『蔦温泉』に連泊した時、
周辺の『ぶなの森』の鮮烈な思いが残り、こうしたことが飛躍して、
現実ではありえない夢となった、と微苦笑させられた・・。


この記念旅行と称した周遊旅行に関しては、
【若葉の彩(いろど)る頃の青森紀行・・。【2010.5.24.~6.2.】】
と題し、10話に及びこのサイトに投稿しているが、この中の一部を再掲載する。

【・・
       第8章 ブナ林に囲まれた『蔦(つた)温泉』は・・。

5月31日の10時過ぎに『酸ヶ湯』からは、十和田湖方面の路線バスに乗車し、
芽吹き、新緑、そして若葉がそれぞれの落葉樹により異なるが、
みずみずしいたわわな葉は陽射しを受けてきらめいたりする中、
バスでわずか30分足らずで、『蔦温泉』に到着した。

この広いブナを中心とした中で、たった一軒の宿である。

http://www.thuta.co.jp/index_p.cgi
☆『蔦温泉旅館』ホームページ☆

このホームページの『ぶなの森』の欄で掲載されている通り、
《・・
蔦温泉の周辺にはぶなの森を縫うように約2.4Km、
時間にして約一時間程の遊歩道が整備されています。

この遊歩道をひとまわりすると、蔦七沼と称される湖沼群の内、六つの沼を巡るこ
とができます。
大小様々な沼の水面に映るぶなの森が人々を魅了します。
・・》
このように解説され、私達は旅立つ前に調べたりしていたので、
チエック・イン前に歩き出した・・。

整備された遊歩道を歩き、ヤチダモ、オニグルミ、サワグルミを見たり、
ブナ、ミズナラの大木は、聳え立つように数多くあり、
私は圧倒された。

私は見惚(みと)れたり、デジカメで10数枚を撮ったりしていると、
たまたま通りがけの70代なかばの男性で、この付近にお住まいの方から、教えて頂いた・・。

ほんの一ヶ月前の頃は、落葉していた広葉樹が冬芽から春芽に育ち、
若葉が芽吹く直前に、
紅葉や萌黄色になる数週間の樹木の芽は鮮やかに萌える彩りとなる。
こうした光景を古来の人たちから、春もみじ、と称してきた。

この地のブナ林は、5月初めに芽吹き、そして萌黄色の葉、そして新緑となり、
下旬の頃には若葉とまたたくまに色合い染める。

このブナ林は、原生林だったが、
明治の初期の頃は薪や木炭を作る為に伐採されたりしたが、
秋に数多くの落ちた種子が自然に発芽して育ったブナで、樹齢100年前後が多い。
しかし中には、伐採されなかった数百年の大木も数多くある。

そして紅葉の10月中旬から下旬になれば、
ブナ、カツラ、トチノキの大木は、黄色に染めはじめて、
やがて葉が散る頃に、
ヤマモミジ、カエデ、ナナカマドが朱紅色、紅色に染められて、
数週間後には雪が舞い降る、
と錦繍期の情景も教示してくれた。

このような確かな言葉に、私は礼を重ねた後、別れた。


私達はブナ、トチノキ、カツラなど見たり、見上げたりしていると、
カエルの鳴き声と共に、蝉(セミ)の鳴き声が響いてきたので、
この時期にどうしてなの、と驚いたのである。
この後、温泉旅館で夕食を頂く前に、
エゾハルゼミですわ、と仲居さんから教えられた。
私は、蝦夷・・春・・蝉・・、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

この豊かなブナ林で、渓流もあり、
私はムラサキ・ヤシオ・ツツジにも魅了された。
紫色に濃い桃色、或いは桃色に紫色を混ぜ合わせた色合いで、
渓流の中にある小岩に根を下ろして、恥ずかしげに咲いていた。
こうした情景を眺め、しばらく私はたたずんだりした。

私達はゆったりとブナ林をさまように2時間ばかり歩き、
お互いに至福の思いで、温泉旅館に向った。
・・】

このように投稿しているが、夢幻と現(うつつ)の違いに、
私は独り苦笑している。


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『玉すだれ』の白い花が咲きはじめ・・。

2010-07-21 12:05:32 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の身であるが、
過日、梅雨明けの後、連日の猛暑となり、本日の昼下がりは36度前後が予報されている。

昨夕、玄関の軒下で煙草を喫いながら樹木を眺めていた時、
足元の近くで、玉すだれが咲きはじめていたので、驚いたりしている。

白く清楚な花は、この時節から咲きはじめ初秋の頃まで彩(いろど)ってくれるので、
私はこの時節の楽しみのひとつである。

http://takamiya.com/garden/plant/tamasudare.html
☆『妖精が棲まう庭』のサイトから、借用させて頂きました。☆


この玉すだれ、唐糸草(カライトソウ)、秋海棠(シュウカイドウ)、半化粧(ハンゲショウ)などの草花は、
我が家を建てて、まもない時に、家内の茶事の師から頂いた・・。
あれから30数年は過ぎ、小庭のそれぞれ群生させている。

あと数週間過ぎた頃になれば、
玉すだれの群生さぜた処は、五箇所あるが、
夕暮れ時から、夜にかけて、白い花が浮いているようで、
ほのかな妖艶を感じたりしている。

日中は清楚さを、夕暮れ時からは妖艶と、
私なりの秘かな女性のしくざを感じたりして、ここ30数年過ぎている。


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我が家は、『毘』の戦旗の小旗が揺れ・・。

2010-07-21 10:28:25 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
居間の簾(すだれ)越しに、庭を眺めたりしているが、
燦燦と夏の陽射しを樹木や草花を照らしている。


私は居間の一角にパソコンを置いた机に向かっているが、
この机の隅に、この小旗を立てかけたのである。

紺色に染められた生地に白く『毘』と明字され、
エアコンの冷風を受けて、小さいながら一人前に揺れながら、
はためいているのである。

この戦旗は、一昨年の2008(平成20)年の夏、
私達夫婦は家内の母を誘い、佐渡島の秋津温泉に3泊4日で滞在した旅行の時に、
買い求めた小品であった。

佐渡島へ行く途中、直江津港のフェリーに乗船する前、
上越市の外れにある『上杉戦国物語展』の会場に入場した。

私は戦国時代の名将のひとり上杉謙信には、
余り知らないが、展示品を早めに観た後、
会場の外側にある喫煙場で煙草を喫ったりしていた。

会場の門前の周辺にし、上杉謙信の戦旗を模した数多く軍旗が、
風を受けてはためいていた・・。

家内たちは、展示会場にいるらしく、
私は売店の近くの椅子に座って、待機していた。

売店の背面に、戦旗が、
紺色に染められた生地に白く『毘』と明字され、
或いは白生地で朱色で鮮やかに『毘』と書かれた旗もあった。

いずれも白いプラスチックの旗軸は180センチの高さであり、
旗本体は120センチの長さ、横幅は30センチ前後である。


私は家内たちを待っている暇があったので、
売店の50代の男性に、
『立派な戦旗ですね・・』
と私は声をかけた。

『お誉め頂き・・有難う御座います・・よろしかったら、1500円で・・』
と男性は、私に微笑みながら云った。

『私は・・新潟の上越出身であったら・・
2本買い求め・・自宅の門扉に差して置きますが・・
残念ながら、東京の田舎者でして・・』
と私も微笑みながら、男性に云った。

『私の場合は・・部屋の暖簾(のれん)にしていますよ・・』
と男性は私に云った。

『地元のお方でしたら・・それも素敵ですね・・』
と私は男性に云った。

この後、売店のショー・ケースの上に、
旗軸は30センチの高さの可愛らしい小旗が3本ばかりあったのに、
気付いたのである。

『この小旗だったら・・部屋でも飾れそう・・』
と私は云いながら、たった1本を買い求めたのである。


このように我が家の居間で、小さいながら一人前に揺れながら、
エアコンの冷風を受けて、はためいているのである。

たった650円の品であるが、
時折こうした戯(たわむ)れを私はするのが、悪い癖のひとつである。

この『毘』の由来は、
戦国武将の上杉謙信公が信愛していた、毘沙門天から命字されたいる。

http://uesugi.yonezawa.info/?p=log&l=68359

この小旗が夏から秋にかけてはためいた後、
翌年の2009(平成21)年の初めから、なぜかしらNHKの大型連続ドラマの『天地人』が放映され、
ときおり観る『毘』の戦旗に私は微苦笑を重ねたりした。


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