夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

我が家も『エクストラ・コールド・クーラー』が配達され・・。

2010-07-07 22:22:08 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨年の2月より市の推薦のメタボの研修を受けて折、
保健師の麗(うらら)かで清純なしぐさの女医さんとの指きりの約束をしたせいか、
アルコールが大幅に変化して我ながら驚いている。


研修を受講するまでは、殆ど純米酒の辛口を2合前後を呑んだり、
ときおり缶ビールを500mlをコブレットに注(そそ)いで、2、3本を呑む晩もあった。

研修後の私は旅行、懇親会、冠婚葬祭以外の日常生活は、
殆ど缶ビール350mlを2本としているが、
ときには1本で満足してしまう晩もあるので、我ながら不思議と感じたりしている。


私は年金生活を始めてから、日常の買物の担当となっているので、
昨今、スーパーで缶ビールを見かけると、我が家の冷蔵庫にある分、
そして書庫の前に在庫分を配慮して、購入している。

キリンのラガービールかアサヒのスーパードライが殆どであるが、
年金生活の私は何故かしら価格の廉(やす)い方を選定しまうのである・・。

5月の大型連休が終ってまもなく、

http://www.asahibeer.co.jp/superdry/extracold_cp/#/top/
☆アサヒビール スーパードライ プレゼント☆

このような広告が、缶ビールに明示されていたので、
同じ呑むならば、スーパードライにして、『エクストラ・コールド・クーラー』を頂こう、
と固く決心して、シールを48枚めざしたのである・・。

平素は夕食の時に家内と談笑して頂だいているが、
何故かしら、この日以来、缶ビールを3本になる時がある・・。
私は心の中で、ひとつの歌を唄いながら、家内と旅行先のこぼれ話、
これから訪れたい旅行のことなどを話し合うことが多いのである。

このひとつの歌は、恥ずかしながらヴェルディ作曲『椿姫』の中の『乾杯の歌』である。

http://www.youtube.com/watch?v=uYLvusd6aYw&translated=1
☆ Pavarotti And Friends La Traviata - Brindisi ☆

こうした日々が過ぎれば、3週間過ぎないうちに、投函用のシールが満杯となり、
私はアサヒビールに、『エクストラ・コールド・クーラー』に頂きたい、
と郵便ポストに入れたのである。

本日、私が買物に行っている間、宅配便で念願の品が配達された。
そして、帰宅後、私達夫婦はこの品を見ながら、私は微笑んだりしている。


尚、私はアサヒビールの会社には親戚、知人までを含めて、関係なく、
私の現役時代はレコード会社に勤めた身です。


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ふたたび、私のささやかな七夕(たなばた)の想いは・・。

2010-07-07 09:28:12 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生の身であるが、
どんよりとした曇り空の朝を迎え、玄関の軒下で煙草を喫っていたら、
小雨が降りはじめ、居間に戻り、何気なしにカレンダーを見ると、
『七夕』と明示されていたので、
きょうは『七夕(たなばた)の日』だったか、と教えられたりしたのであった。

過日、ネットで【東京ウォーカー】の記事を読み、
織姫と彦星の関係は恋人でなく、夫婦であった、と知り、
つたない私は現代風に解釈した場合、遠距離交際の恋人たちが、秘かに逢える日、
と固く信じてきたので、夢をこわさいでね、と微苦笑したのである。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100705-00000009-tkwalk-ent<
☆【東京ウォーカー】織姫と彦星の関係や職業…意外と知らない“七夕”エピソード ☆


このようなことを思い出しながら、私はと改めて由来などを知りたくて、
日頃何かとネット上で頼りにしている【日本文化いろは事典】のサイトを開き、
確か七夕は『五節句』のひとつと思いながら、検索したのである・・。

この結果、下記のように優しく解説されていたので、私は読み込んだ。

《・・
七夕〔たなばた〕とは「7月7日の夕方」を意味しています。
七夕行事は、中国に古くから伝わる牽牛・織女星の伝説から発達した乞巧奠〔きこうでん〕の行事に、
日本古来の棚機津女〔たなばたなつめ〕の信仰が混ざり合って形成されたものでした。


織姫と彦星が逢瀬を重ねる日
7月7日は、織姫と彦星が逢瀬を重ねるのを星を見守る日として知られています。
この日、芸技が上達するように、出会いがありますようにという願いを
詩歌にした短冊を竿竹にくくりつけると祈りが届くとされています。

また、この時期はお盆(旧7月15日)を迎えるための準備(七夕盆)としての意味をもち、
畑作の収穫祭を祝う祭りが人々の間で行われていました。
この時、健康を祈り素麺の元となったお菓子「索餅〔さくべい〕」が食べられていました。
索餅は熱病を流行らせた霊鬼神が子供時代好きな料理で祟りを沈めるとされていました。

やがて、索餅は舌触りのよい素麺へと変化し、
七夕に素麺を食べるようになったそうです。


七夕と機織娘
日本では古来より、「棚機つ女」といわれる女性が、機〔はた〕で織った布を神におさめ、
病気や災厄が起こらないように願ったという話がありました。
7月7日〔しちせき〕を「たなばた」と呼ぶのは、この「棚機つ女」がもとになっています。

そして、中国の文化に強く影響を受けた平安貴族たちは、
竹竿に糸をかけて願いを星に祈るとかなえられるという乞巧奠の習わしに従い
梶の葉に歌を書き付けて手向ける「星祭り」を行うようになりました。

その後、乞巧奠が大衆の間にも広まり、
やがて棚機つ女と結びつき現在のように7月7日の七夕となっていったようです。

江戸時代に入ると、短冊に詩歌を書き、
笹竹に軒先に立てる風習が寺子屋の普及とともに浸透していきました。

明治になり、各地の商店街などで大規模な七夕祭りが開かれるようになり、
さらに一般の人々の風習として広まっていったようです。


各地の七夕伝説
7月のはじめ頃に竹に願い事を書いた短冊を作ります。
短冊を軒下に飾るのは6日の夜で、
7日は七夕飾りを海や川へ流して神様に持ち去ってもらいます。

現在は環境汚染問題から川に流すことは困難である為、
神社で燃やしてもらうのが一般的なようです。
(略)
・・》
注)解説された原文より、あえて改行を多くした。

http://iroha-japan.net/iroha/A03_goseku/04_tanabata.html

このように優しく解説されていたので、齢ばかり重ねた私は、
こうした由来があったのか、と遅ればせながら教示されたのである。

そして、私は幼年期に七夕の飾り、短冊のことを思いだされた・・。


私は昭和19年の秋、東京の郊外で農家の三男坊として生を受けた。

祖父と父が中核となり、程々に広い田畑を小作人の手を借りながら、
農家を営んでいた・・。

敗戦後、農地改革などである程度は狭まったが、
それなりに旧家として維持されていた。

そして、七夕(たなばた)に関しては、
私が小学生の頃まで、自宅の庭の隅に竹に短冊を吊るす慣わしだった。
東京の都心は、もとより7月7日が『七夕(たなばた)の日』であったが、
郊外の付近の一部の地域では一ヶ月遅れの8月7日であった。

孟宗竹の今年成長した5メートル前後の若竹を一本伐って、
杭を打ち、安定させていた。
父の末妹の叔母が嫁ぐ前だったので、お正月の小倉百人一首と同様に、
叔母の指導の下で、私は妹と飾りだてをした。


そして私が小学2年の3学期、父に死去され、
その後、まもなくした3年生の5月に祖父が亡くなった。

農家の大黒柱の2人が亡くなり、母と叔母、
そして長兄、次兄、私、そして妹の2人が残されたが、
農業の技量、大人の男手を失くしたので、我家は没落しはじめた・・。


私はこの後、学校に行くと、担任の女の先生から、職員室に呼ばれた。

『XXくん、貴方のお父さん、お祖父さんも亡くなってしまい、
可哀想と先生は思っていますが・・貴方、男の子でしょう・・
お母さんに心配させるようなことは・・分かっているわよね・・』
と私に云った。

そして
『男の子は、頑張るのよ・・』
と私に握手してくれた。


私は、その夏、短冊に書こうとしたが、少しためらっていた・・。

《 せんせい、あくしゅもいいけど、
         だきしめてほしい・・ 》


叔母や妹が短冊に何かしら綴っているので、私は本心を書けなかった。
そして私はやむえず、

【 せいせいもげんきで
        ぼくもがんばります 】
と何とか読める汚い字で書いた。

短冊を吊るしている時、叔母が、
『どういうこと・・』
と私に云った。

『何でもない・・何となく・・』
と私は下を向きながら答えた。


私は小学生の時は、兄達は優等生で、
私はいじけた劣等生で可愛げもない児であったが、
齢を重ねた65歳の今でも、それなりに苦くも懐かしい想いでとなっている。


このようにささやかな想いでもあり
短冊に関しても、15年前頃に私なりに深い思いであり、
今でも鮮明に私の心の片隅に残っている。

15年前の頃、私は現役のサラリーマンで数多くの人と同様に、多忙な時期であった・・。

春先に大幅な人事異動であり、私も異動し、ある部署に落ち着いたと感じた夏休みに、
家内と宮城県の作並温泉に3泊4日で滞在した。


上野駅から仙台駅までの新幹線は、わずか2時間ばかり、
そして在来線に乗り継ぎ作並駅まで1時間弱で、
駅前から観光ホテルの迎えのマイクロバスで到着した。

http://www.ichinobo.com/sakunami/

そして、私達はホテルの周辺のラベンダーの丘陵、渓流で魚釣りをしたり、散策をしたりし、
のんびりと過ごしていた。


翌日のひととき、ホテルのロビーの一角に、
3メートル前後の竹に5色の短冊が飾り付けられていたことに気付いた。

私は昼の風呂上り、何気なしロビーの一角を歩いていた時、
この短冊を何気なしに読んだのである・・。

数多くの短冊を読んだが、ひとつの短冊に心を惹(ひ)かれた・・。

《 らいねんもこのホテルに
     家族そろってこられますように 》

と小学生の上級生の女の子らしい綴りで書かれていた。

私は作並温泉に訪れる途中で、
仙台市内の華麗で豪壮な七夕(たなばた)を少し観えたが、
この女の子のひとつの短冊に籠(こ)められた願いが心に沁みた。

そして私は華美な仙台の七夕より、遥かにこの短冊に魅了され、
この人生の微笑みを頂き、心を寄せたのである。


このようにささやかな想いでがあり、私はこうした情愛が限りなく愛(いと)おしく、
華美な飾りより、遥かな尊ぶ心は65歳の今でも変わらない、
と少しボケた身であるが微笑んだりしている・・。



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