夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京の郊外も、『梅雨明け』となり、私は微苦笑し・・。

2010-07-17 13:42:27 | 時事【社会】
私はは東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身私であるが、
一昨日の日中は、快晴の中、庭の手入れをして、
汗まみれ泥まみれになり、少し暑いじゃないの、と心の中で叫びながら、
孤軍奮闘していたのである。

夕方、体力も使い果たした私は、風呂に入った後、
天気情報を眺めていたら、昼下りは31度と報じていた。

昨日、スーパーに買物に行ったが、風もなく燦燦と照らす路上を歩くと、
汗がひたたり落ち、暑さの苦手な私は、
梅雨明けかしら、と空を見つめながら思ったりした。

そしてスーパーの店内で、買い求めた品を精算をするレジ待ちで並んでいた時、
見知らぬ園児を連れた若きご婦人と、何気なしに話したりした。
そして本日は幼稚園の終業式となり、明日より夏休み、
と教えて頂いたりした。

私が小学生の頃は、確か20日が一学期の終業式の後は、通信簿を頂いたが、
長兄、次兄も優等生であったが、何かといじけていた私は劣等生で、
遠回りしながら帰宅したりしていた。
そして、帰宅後の私は母にそおっと見せたりしていた・・。

このようなことを何故かしら、思い馳せたりしていた。


今朝、燦燦と照らす朝の陽射しを眺めたり、
玄関の軒下で煙草を喫ったりしていると、暑さを感じ、
気象庁は、『梅雨明け』宣言に慎重になり過ぎている、と微苦笑したりした。

昼前に、たまたま読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、
日本の各地で『梅雨明け』、とニュースが報じられていた。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
     東北・九州南部除く全国で梅雨明け

気象庁は17日午前、
九州北部、四国、中国、近畿、東海、関東甲信、北陸で梅雨明けしたとみられる、
と発表した。

平年に比べ、北陸は5日、中国、東海、関東甲信は3日、近畿は2日、九州北部は1日早かった。
四国は平年並み。
すでに沖縄と奄美は梅雨明けしている。
九州南部では強い雨が降っているため、梅雨明けを見送った。

関東地方では、朝から気温が上がり、午前10時現在、東京・練馬で31・5度、
神奈川・海老名で31・2度を観測した。

(2010年7月17日11時19分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100717-OYT1T00371.htm?from=top
☆【YOMIURI ONLINE】 東北・九州南部除く全国で梅雨明け ☆


私はテラスに下り立ち、樹の下の緑陰に身を寄せて、
雲ひとつない、青空を見つめたりしていた。

そして私は齢も重ね、体力も衰えた私は、
井上陽水さんの『少年時代』を心の中で唄ったりしている。

♪夏が過ぎ 風あざみ
 誰のあこがれに さまよう

【 『少年時代』 作詞・井上陽水、作曲・井上陽水、平井夏美、編曲・星 勝、唄・井上陽水 】

私はあるレコード会社に35年ばかり勤めた身であり、
井上陽水さんの専属契約先のレコード会社とは関係はないが、
初夏の時節、少年達が夏休みの期間に何気なしに、
小声で唄ったり、或いは心の中で唄うことが多く20年近くとなっている。


http://www.youtube.com/watch?v=SqUA_UQsKE4
☆【 『少年時代』 作詞・井上陽水、作曲・井上陽水、平井夏美、編曲・星 勝、唄・井上陽水 】☆


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ささやかな私のトマトの想いでは・・。

2010-07-17 11:03:56 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
買物の担当の私は、ここ2ヶ月、スーパーの果物売り場、
八百屋でトマトを見たりしている。

ここ10数年は殆ど一年中、都心の果物専門店、デパートの果物売り場で見られるが、
私は幼年期は農家の児として育ったので、何かしら抵抗感があり、
5月の下旬が過ぎたならば、農家のたぬまぬ労苦の果てに、と思いもあり、
スーパーの果物売り場、八百屋で微笑みながら見つめ、買い求めたりしている。

はじめの頃は、熊本県産が多かったが、日増しに静岡、群馬、千葉県産などがあり、
ここ数週間は、我が家から程遠い10キロぐらいの東京の郊外産を少しばかり見かけるが、
圧倒的に地方産が多いのである・・。

そして私は国内旅行で各地で見かけた女性のしぐさ、
微笑みを思いだしたりしたりすることもある。


先程、家内と冷蔵庫で冷やしたトマトを食べていたら、
私は小学生の頃を想いだした・・。

1951(昭和26)年の春に私は小学校に入学したが、
この当時は実家は、祖父と父が中心となって農業をし、田畑を耕していた。

初夏の頃になると、茄子(ナス)、胡瓜(キュウリ)、トマト等を収穫し、
夏になると西瓜(スイカ)、瓜(ウリ)等を青果市場に出荷していた。

茄子、胡瓜、トマト等は早朝から畑で選定し、収穫した後、
7時過ぎに父は青果市場にリヤカーに乗せて行っていた。

家では形の悪いもの、大き過ぎたもの、少し熟れ過ぎた品を食べたりしたが、
胡瓜とトマトは井戸水につけて置いて、
午後の3時過ぎに空腹になった私はトマトを噛(かじ)ったりしていた・・。

朝の登校する8時過ぎに、遠い親戚の小父さんの畑の細道を歩いていたが、
トマト畑の支柱にたわわになっているトマトを眺めながら、
ひとつ採ったりした・・。

消毒の白さと朝露を服で拭いながら、噛り付いたりし、学校に向かい歩いたりした・・。
適時に熟れたトマトは、早朝に収穫済みだったので、
明日頃に熟れる最適なトマトを選んだりしていたが、青味が少し残っていた。


後年、私の結婚披露宴の時、この小父さんに来て頂いた時、
何気なしに私は小父さんにこのトマトを話題にした。

『小父さんの畑で・・
小学校の頃、よくトマトを盗んで頂きました・・』
と私は言った。

『あの頃の子供・・皆そうだったょ・・』
と笑いながら小父さんは言った。


私が昨日スーパーで買い求めたトマトは、ひとつ百円であったが、
家内用は熟れたつややかな色合いの品を選び、
何故かしら私が食べる品は、少し青味がかった熟れる寸前の色合いを選んでいる。

私の実家は、私が小学2年に父が病死され、
まもなく祖父も死去されたので、大黒柱を失った我が家は、やがて農家を廃業を余儀なくさせられ、
やがて没落し、貧乏のみじめさも母をはじめ、兄、妹も体験させられた。

私が小学校を卒業する1957(昭和32)年の頃から、
急速に住宅街に変貌し、田畑、雑木林も激減した。


このようなことを思い馳せたりし、トマトを頂きながら、
あの頃は・・と私は想い出している・・。



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