夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

梅雨の時節、齢ばかり重ねた私でも、圧倒的に魅了される花は・・。

2013-06-12 13:00:55 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む68歳の身であるが、
昨日の午前中は霧雨がときおり降った後、午後より雨が本降りとなり、
今朝も降り続き、梅雨の時節としては余りにも雨が降る日が少なかったので、微笑んだりした。

朝食後に、居間のはずれにある机の前の椅子に座りながら、
ぼんやりと雨が降る小庭を眺めたりした・・。
          
そしてテラスのはずれに下り立ち、雨の情景を見つめたりした。
          
この後、モミジの樹の周辺に下草として植えている半夏生(ハンゲショウ)は、
黄緑色した葉の中で、わずか先端の数枚の葉は化粧をしたように白く染めあげられ、
齢ばかり重ねた私は、ほのかな妖艶と感じたりした。
         
この半夏生の花は、私たち夫婦が私の生家に近い処に1978〈昭和53〉に家を建てた時、
家内が中学生の時から師事してきたお茶の先生から、小判草(コバンソウ)、唐糸草(カライトソウ)と共に頂いた茶花である。

毎年、5月の初旬頃に、地から芽を出る宿根草のひとつで、日増毎に成長する。
      
       2週間前の寸景                             本日の寸景

この後、真夏の頃には、先端の数枚の葉は化粧を落としたうに白さは消え去り、深緑の葉となり、
やがて晩秋には茶褐色の葉となった後、そして落葉となり、
私は来年お逢いしましょう、と愛惜しながら幹を切り落としている花である。


この時節、園児でも魅せられる紫陽花(アジサイ)の花も、齢ばかり重ねた私でも、魅了される。
無念ながら我が家にはなく、私は自宅の周辺を散策したりし、
ときおり小公園などで見かけて、立ち止まり長らく見つめることが多い。
   
私は人の多い所は何かと苦手となってきたので、鎌倉のアジサイの名所として名高い寺よりも、
自宅の周辺で平日の雨上がりの午前のひととき、
人影のない静寂な所で鑑賞できるのが最上と確信を深めている。


この時節、忘れてならない菖蒲の一種の杜若(カキツバタ)は、
底知れぬ美の極致と、思いを寄せたりする。
               
この梅雨の時節、私なりの散策をしながら、
歴然とした美を享受を受け、齢を重ねるたびに心は深まったりしている。

私は5月の季節を迎え、やがて梅雨の時節まで何かと気になるのは、
菖蒲(あやめ)、花菖蒲(はなしょうぶ)、そして杜若(かきつばた)の花である・・。

幼年期に農家の児として育った私は、生家の田んぼの外れに咲いていた花菖蒲を見て、
これこそ何よりも気品を秘めた高貴な花と思ったりしてきた。

しかしながら、20歳過ぎても、菖蒲、花菖蒲とよく間違えることがあった。
          
その後、秘かに菖蒲は乾燥地で育って、新芽が赤味を帯び、
花菖蒲は、やや水湿地に育ち、新芽が緑色と覚えたりした・・。
そして杜若は、水湿地に育ち、葉先が垂れている、と判断したりしている。
    
私の拙(つたな)い記憶によれば、
遠い昔、私が35歳の5月の下旬の頃、家内と明治神宮を散策している時、
小雨降る中の花菖蒲が最も深く心に残っている。

いつの日だったか忘れてしまったが、何かの本を読んでいた時、『花言葉』が掲載されていたので、
私は机の引き出しあるメモ帳代わりとなっているカレンダーに、
少しボケてきたので、書き込んだりしていた。
                         
菖蒲(あやめ)は、『よき便り』
花菖蒲(はなしょうぶ)は、『優雅な心』
杜若(かきつばた)は、『幸運は必ず来る』

このように明記されていたので、つたない私は悦こんだりした。
          

そして過ぎし2007〈平成19〉年の6月初旬に、
杜若(カキツバタ)の秘められた句頭を学んだりした・・。

この当時の私は、『CUE!(キュー)』の命名された小田急電鉄の生活月刊情報誌を
たまたま読んでいた時である。

この中の特集記事として、『日本あやめ物語』で、6月の時節に相応(ふさわ)しいと思ったりした。

サブタイトルには、《 日本の美意識が生んだ雨に気高く咲く花に、恋する6月。》
と明示され、私は微苦笑したりして、解説を読んだりした。
《・・世界に約250種がある。
あやめ属の植物の中に日本原産の代表といえば、
杜若(かきつばた)、菖蒲(あやめ)、花菖蒲(はなしょうぶ)。

春から初夏にかけて少しずつ時期をずらしながら花の時節を迎え、
平安の時代から霊験のある花として大切にされてきました。

江戸中期、花を愛でることが武士のたしなみのひとつと捉えられてからは、
野生の野花菖蒲を元にたくさんの園芸品種がつくられ、
同時に江戸郊外の葛飾・堀切花菖蒲園を筆頭とする、菖蒲園が開園。

水辺に群生する花を観賞するという独特の文化は、このとき生まれたものだそう。
梅雨どきの煙る雨のなか、そして低くたれ込めた雲の下こそ映える、凛と咲くあやめの姿。
日本独自の情緒を、しっとりと味わいに行きます。・・》

以上が解説のように綴られているが、
多分女性の編集者のひとりが書かれたと私は思い、私は微笑ましく読んだりした。
          
この特集の記事の中で、小さいコーナーがあり、無知だった私は何よりも魅了された。
《・・日本文学の中で、最も杜若が印象的に書かれているのは、
平安時代・初期に成立した『伊勢物語』。
九段・八つ橋の中で、「かきつばた」の五文字を句頭にして旅の途中の気持ちを、

 からころも
 着つつなれにし
 つましあれば
 はるばる来ぬる
 旅をしぞ思ふ

と詠み、故郷の妻を思う気持ちが書かれています。・・》

この杜若の句頭は、私は無知で恥じているが、良質な情緒に私の心は魅了された。
          
私は学生時代、残念ながら国文学を専攻しなかったので、
やむなく気ままに独学の結果、ときおりこうした綻(ほころ)びが生じている、と苦笑したりした。


このように梅雨の時節、齢ばかり重ねた私でも、圧倒的に魅了される花は、
微風を受けて揺れる半夏生(ハンゲショウ)、そして紫陽花(アジサイ)、
或いは菖蒲の一種の杜若(カキツバタ)となり、ここ10年ばかりこの季節、私なりに秘かに心を寄せている。

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