私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の68歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
今朝、朝食を家内と共に頂きながら、私たち夫婦の共通趣味のひとつの国内旅行であるが、
これからの旅行案を話したりした・・。
こうした時に、この時節の過ぎ去り年に、長野県の上高地に訪れたことの思いで話しとなり、
しばらく談笑したりした。
この後、私はテラスに下り立ち、梅雨の間の晴れ間となって、陽射しが燦々と照らす小庭を眺めながら、
過ぎ去り2008〈平成20〉年の6月中旬に、新緑の上高地に一泊二日で訪れたことを
思い馳せたりした・・。
第一章 20数年ぶりの上高地は
ある有力な通販の旅行会社の特別企画として、
団体観光バスツアーを活用し、上高地の山岳ロッジに宿泊し、散策などを自在に、
というプランに私たち夫婦は参加したのは、6月16日であった。
新宿の都庁駐車場を8時半過ぎに出発し、高速道路の中央自動車道で諏訪湖を眺め、
長野自動車道の松本ICで下り、野麦街道を通り抜け、
大正池の景観が見えたのは、昼下りの1時半であった。
この間、サービス・エリアで休息をしたり、昼食を諏訪ICに近い食事処でしたりしても、
わずか5時間ばかりで秀麗な上高地の情景を観られるのである。
この手前の5キロ前あたりから一般の自動車は乗り入れが規制されているので、
路線バス、タクシー、或いは私達のように観光団体バスを利用するしかなく、
その上に4月から11月までの期間しか営業稼動されていないのが多く、
環境保護が重視されている地域でもある。
私たちを含めたツアー参加者の1部は、大正池で下車され、自然研究路を散策される方、
或いは上高地帝国ホテルの付近で下車されて、散策される方もいたが、
私たち夫婦は最終地の上高地のバス・ターミナルで下車した。
そして私たちのような数多くの観光客で賑わう中、
河童橋を渡り、かっては山の旅舎と称された『五千尺ロッジ』にチェック・インしたのは、
午後2時少し前であった。
この『五千尺ロッジ』は、梓川の河童橋の最寄にあり、
梓川の対岸に本家のような大正時代の初めの頃から存在している由緒ある『五千尺ホテル』があるが、
このロッジは10数年前に新装オープンした、可愛らしい妹のようなお洒落な宿舎である。
http://www.gosenjaku.co.jp/lodge/
☆【『五千尺ロッジ』ホームベージ 】☆
私たちのツアーの参加者は、旅行会社とこのホテルのさりげない企画のお陰で、
小石に絵を描くストーン・アート、
プラスチックに塗り絵のように描き、この後は熱を加えられ、縮小し、アクセラリーになるイベント、
そしてどなたでもささやかな景品が頂ける抽選会もあったりした。
そして目玉となる企画は、上高地NPG(ナショナル・パーク・ガイド)に導かれて、
ナイト・ハイクと称される夜の散策、
翌朝の早朝ハイクや明神池までの散策が設定されていた。
第二章 自然研究路を散策すれば
梅雨の間の快晴の昼下り、
私たち夫婦は、田代湖を通り抜けて大正池まで散策しょうと、『五千尺ロッジ』を出たが、
その前に旅行会社とホテルのご好意に寄る『五千尺ホテル特製ケーキセット』があり、
私たち夫婦は由緒ある『五千尺ホテル』に入った。
この喫茶室も私達のような観光客で多く、
合席となった60代のご夫婦もコーヒーを飲みながらケーキを食べられていた。
この当時の私は呑兵衛のひとりだったので、洋菓子のケーキなどは婦女子の食べ物と確信し、
夕食は美味しくなくなるので、アイス・コーヒーを飲んだりした。
家内はコーヒーを飲みながら、私の分まで食べ、軽食代わりとしていた。
河童橋から下流の大正池までの遊歩道を右側に梓川の清流を眺め、
雄大な穂高連峰を見上げ、川沿いの整備された路を歩いた・・。
そしてシラビソ、サワグルミ、ケショウ・ヤナギ等の原生林の中を通ったり、
突然に視界が開け、シロバナ・シャクナゲやレンゲ・ツツジの可憐な花も観られ、
湿地の中には枯れ木が忽然と残ったりしていた。
大正池は余りにも有名な景勝地であり、
最寄に聳(そび)える焼岳が大正の初めの頃に大爆発をした折、
梓川の清流を堰(せ)きとめて、浅い池が点在する情景となり、
樹木は立ち枯れとなったのが数多く観られる静寂な美景のひとつである。
私たち夫婦は20数年前、この地の景観を初めて訪れたが、
焼岳は活火山もさることながら、年々土砂が流れ、
浅瀬の大正池を狭(せば)めている、と聞いたりしていた・・。
現地の方たちは、今でも土砂を取り除いたりしていると聞いたりしていたが、
こうした美景も自然の力の前では、いつまで観られるとは、
と思いながらも私たち夫婦は立ち去った。
第三章 星と月明りの中、ナイト・ハイク
午後6時からの夕食のバイキング形式の時、私たち夫婦は有料の『フリー・ドリンク』を申し込み、
社員の身分証明書のような首からぶら下げたカードを身に付けて、レストランに入った。
私は通常の料理を頂き、そしてトンカツのソース煮、山菜の天ぷらを誉(ほ)めながら、
地酒を4合ばかり呑んだりした。
家内は赤ワインとビールを少し呑んだりしていた。
そして8時からの『ナイト・ハイク』と称せられた夜の散策コースに私たち夫婦は参加した。
NPGの好意に寄り、真っ暗な上高地の森の小道を散策するのであるが、
私たちのグループ10名は、ガイドさんの懐中電灯の足元を照らす光、
そして星と月明りの中をガイドに導かれて歩いた・・。
もとよりデジカメでフラシュで撮ることなどは論外で、
私たちのグループはデシカメを宿泊先に置いて、おぼつかない足取りで前を歩いたりした。
私は夜の闇は幼少の頃は歩いたが、
この齢になっても真っ暗の中は独りで歩いたならば、恐怖心がつのり、ただひたすら謙虚になる、
と改めて自覚させられたりした。
そして忽然に視界が開かれ、穂高連峰が観え、
沢の幾筋の残雪が雪明りとなり、周辺まで山すそが観えたのである。
そして頂(いただき)の上空には、星が煌(きらめ)いていた・・。
私は神々(こうごう)しく厳粛な心持となり、立ちすくんでいた。
こうして1時間ばかりの闇の中の散策であったが、深く心に残った。
そして解散後、私達の宿泊している所からわずかに河童橋にあるので、
私たち夫婦は橋の中間点に立ち、山すそを眺めたりした。
月が山すそに隠れ、わずかな月の光を観え、
そして30数分の後、恥ずかしげに月が頂の上から現(あらわ)れた・・。
そして私は夜の散策で、星の光、沢の雪明り、そして月の光を鑑賞できた稀(まれ)な体験をし、
寝付いた時、夢の中で再来するかしら、と深く思ったりしていた。
第四章 上高地は神降地であり
翌日、梓川の清流の音で目覚め、白樺の枝葉越しに清冽な流れを見つめたり、
そして朝の陽射しを受けた山すそを眺めたりしていた。
朝食後、『明神池コース』の散策に参加するまでの間、
河童橋から上流の50メートル前後の場所の遊歩道にたたずみ、
梓川の流れ、後方に陽射しを受けた穂高連峰の美景を観たりしていた。
尾根、雪が残っている沢筋を見つめたりし、こうした景観があたかも額物に入った一幅の絵のようである。
そして、ベンチに座り眺めていたが、見飽きることがない情景であった。
明神池コース』に散策する人は、10数名であり、
私たちは5名のグループとなって、NPGの若き女性のガイドに導かれて、
歩き出したのは午前9時であった・・。
左側に梓川を眺め、上流にある明神池への遊歩道であったが、
驚くほど平坦な路であった。
シラビソ、サワグルミ、ケショウ・ヤナギなどの樹木を眺めたり、
そして固い樹のイチイ、寒冷地に多いダテカンバも見つめたりしていた。
そして誰袖草(ダレソデグサ)、深山唐松草(ミヤマカラマツグサ)などと命名された
お洒落な草花をガイドさんより教示されて、私は思わず微笑んだりした。
こうした情景を眺め、樹木、草花を誉(ほめ)めながら、
1時間ほどの道程をゆったりと2時間ほどで歩き、明神池の入り口周辺に到着した。
この地点でガイドさんと名残りほしく別れ、私たち夫婦は明神池に向かった。
この明神池は穂高神社の神域なので、拝観料を払ったら、バンフレットを頂き、
明神池 神降池(かみこうち) と明示されていた。
明神池は、一之池と二之池に別れて折、一之池は水面に数多くの樹木もあった。
そして、柔らかな陽射しの中で、マガモは子ガモを引率しながら、のんびりと遊泳したり、
岩魚(イワナ)もゆったりと水中を泳いでいた・・。
渡り鳥と知られているマガモであるが、
この地のマガモは飛び立つことがなく、この地で四季折々住みついている、
と教示させられたりした。
そして私は、マガモにとっては、余程居心地の良いところかしら、
と思いながら眺めたりした。
この後、ニ之池に行ったが、岩があり、小島には白樺、松などが観られ、
私は生きている石庭と深く感じながら、この光景をしばらく見つめたりしていた。
下流にある河童橋までの帰路は、
左手に梓川を眺める治山林道と称された遊歩道を下った。
視界の開けた湿地帯には、レンゲ・ツツジ、シロバナ・シャクナゲを眺めたりし、
1時間半ほど歩き、河童橋に到着した後、
宿泊したロッジの前にあるベンチに座り、休息をしていたら、
若き女性のガイトさんが、さりげなく呟(つぶ)いた言葉が思い出された。
『私・・神降地(かみこうち)という地名が・・この地域一帯は相応しいと思うの・・』
この後、私たち夫婦は、食事処に入り、ビールを呑みながら昼食としたが、
窓辺から梓川を眺めたりしていた・・。
そして集合時間も近づいて来たので、この上高地の光景に別れを感じはじめた・・。
このような新緑時に上高地を訪ねて、ささやかな旅路であったが、
特にナイト・ハイク、そして周辺の散策に圧倒的に魅せられた私たち夫婦は、
心の片隅に今でも残り、ときおり話し合うこともある。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
今朝、朝食を家内と共に頂きながら、私たち夫婦の共通趣味のひとつの国内旅行であるが、
これからの旅行案を話したりした・・。
こうした時に、この時節の過ぎ去り年に、長野県の上高地に訪れたことの思いで話しとなり、
しばらく談笑したりした。
この後、私はテラスに下り立ち、梅雨の間の晴れ間となって、陽射しが燦々と照らす小庭を眺めながら、
過ぎ去り2008〈平成20〉年の6月中旬に、新緑の上高地に一泊二日で訪れたことを
思い馳せたりした・・。
第一章 20数年ぶりの上高地は
ある有力な通販の旅行会社の特別企画として、
団体観光バスツアーを活用し、上高地の山岳ロッジに宿泊し、散策などを自在に、
というプランに私たち夫婦は参加したのは、6月16日であった。
新宿の都庁駐車場を8時半過ぎに出発し、高速道路の中央自動車道で諏訪湖を眺め、
長野自動車道の松本ICで下り、野麦街道を通り抜け、
大正池の景観が見えたのは、昼下りの1時半であった。
この間、サービス・エリアで休息をしたり、昼食を諏訪ICに近い食事処でしたりしても、
わずか5時間ばかりで秀麗な上高地の情景を観られるのである。
この手前の5キロ前あたりから一般の自動車は乗り入れが規制されているので、
路線バス、タクシー、或いは私達のように観光団体バスを利用するしかなく、
その上に4月から11月までの期間しか営業稼動されていないのが多く、
環境保護が重視されている地域でもある。
私たちを含めたツアー参加者の1部は、大正池で下車され、自然研究路を散策される方、
或いは上高地帝国ホテルの付近で下車されて、散策される方もいたが、
私たち夫婦は最終地の上高地のバス・ターミナルで下車した。
そして私たちのような数多くの観光客で賑わう中、
河童橋を渡り、かっては山の旅舎と称された『五千尺ロッジ』にチェック・インしたのは、
午後2時少し前であった。
この『五千尺ロッジ』は、梓川の河童橋の最寄にあり、
梓川の対岸に本家のような大正時代の初めの頃から存在している由緒ある『五千尺ホテル』があるが、
このロッジは10数年前に新装オープンした、可愛らしい妹のようなお洒落な宿舎である。
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☆【『五千尺ロッジ』ホームベージ 】☆
私たちのツアーの参加者は、旅行会社とこのホテルのさりげない企画のお陰で、
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そしてどなたでもささやかな景品が頂ける抽選会もあったりした。
そして目玉となる企画は、上高地NPG(ナショナル・パーク・ガイド)に導かれて、
ナイト・ハイクと称される夜の散策、
翌朝の早朝ハイクや明神池までの散策が設定されていた。
第二章 自然研究路を散策すれば
梅雨の間の快晴の昼下り、
私たち夫婦は、田代湖を通り抜けて大正池まで散策しょうと、『五千尺ロッジ』を出たが、
その前に旅行会社とホテルのご好意に寄る『五千尺ホテル特製ケーキセット』があり、
私たち夫婦は由緒ある『五千尺ホテル』に入った。
この喫茶室も私達のような観光客で多く、
合席となった60代のご夫婦もコーヒーを飲みながらケーキを食べられていた。
この当時の私は呑兵衛のひとりだったので、洋菓子のケーキなどは婦女子の食べ物と確信し、
夕食は美味しくなくなるので、アイス・コーヒーを飲んだりした。
家内はコーヒーを飲みながら、私の分まで食べ、軽食代わりとしていた。
河童橋から下流の大正池までの遊歩道を右側に梓川の清流を眺め、
雄大な穂高連峰を見上げ、川沿いの整備された路を歩いた・・。
そしてシラビソ、サワグルミ、ケショウ・ヤナギ等の原生林の中を通ったり、
突然に視界が開け、シロバナ・シャクナゲやレンゲ・ツツジの可憐な花も観られ、
湿地の中には枯れ木が忽然と残ったりしていた。
大正池は余りにも有名な景勝地であり、
最寄に聳(そび)える焼岳が大正の初めの頃に大爆発をした折、
梓川の清流を堰(せ)きとめて、浅い池が点在する情景となり、
樹木は立ち枯れとなったのが数多く観られる静寂な美景のひとつである。
私たち夫婦は20数年前、この地の景観を初めて訪れたが、
焼岳は活火山もさることながら、年々土砂が流れ、
浅瀬の大正池を狭(せば)めている、と聞いたりしていた・・。
現地の方たちは、今でも土砂を取り除いたりしていると聞いたりしていたが、
こうした美景も自然の力の前では、いつまで観られるとは、
と思いながらも私たち夫婦は立ち去った。
第三章 星と月明りの中、ナイト・ハイク
午後6時からの夕食のバイキング形式の時、私たち夫婦は有料の『フリー・ドリンク』を申し込み、
社員の身分証明書のような首からぶら下げたカードを身に付けて、レストランに入った。
私は通常の料理を頂き、そしてトンカツのソース煮、山菜の天ぷらを誉(ほ)めながら、
地酒を4合ばかり呑んだりした。
家内は赤ワインとビールを少し呑んだりしていた。
そして8時からの『ナイト・ハイク』と称せられた夜の散策コースに私たち夫婦は参加した。
NPGの好意に寄り、真っ暗な上高地の森の小道を散策するのであるが、
私たちのグループ10名は、ガイドさんの懐中電灯の足元を照らす光、
そして星と月明りの中をガイドに導かれて歩いた・・。
もとよりデジカメでフラシュで撮ることなどは論外で、
私たちのグループはデシカメを宿泊先に置いて、おぼつかない足取りで前を歩いたりした。
私は夜の闇は幼少の頃は歩いたが、
この齢になっても真っ暗の中は独りで歩いたならば、恐怖心がつのり、ただひたすら謙虚になる、
と改めて自覚させられたりした。
そして忽然に視界が開かれ、穂高連峰が観え、
沢の幾筋の残雪が雪明りとなり、周辺まで山すそが観えたのである。
そして頂(いただき)の上空には、星が煌(きらめ)いていた・・。
私は神々(こうごう)しく厳粛な心持となり、立ちすくんでいた。
こうして1時間ばかりの闇の中の散策であったが、深く心に残った。
そして解散後、私達の宿泊している所からわずかに河童橋にあるので、
私たち夫婦は橋の中間点に立ち、山すそを眺めたりした。
月が山すそに隠れ、わずかな月の光を観え、
そして30数分の後、恥ずかしげに月が頂の上から現(あらわ)れた・・。
そして私は夜の散策で、星の光、沢の雪明り、そして月の光を鑑賞できた稀(まれ)な体験をし、
寝付いた時、夢の中で再来するかしら、と深く思ったりしていた。
第四章 上高地は神降地であり
翌日、梓川の清流の音で目覚め、白樺の枝葉越しに清冽な流れを見つめたり、
そして朝の陽射しを受けた山すそを眺めたりしていた。
朝食後、『明神池コース』の散策に参加するまでの間、
河童橋から上流の50メートル前後の場所の遊歩道にたたずみ、
梓川の流れ、後方に陽射しを受けた穂高連峰の美景を観たりしていた。
尾根、雪が残っている沢筋を見つめたりし、こうした景観があたかも額物に入った一幅の絵のようである。
そして、ベンチに座り眺めていたが、見飽きることがない情景であった。
明神池コース』に散策する人は、10数名であり、
私たちは5名のグループとなって、NPGの若き女性のガイドに導かれて、
歩き出したのは午前9時であった・・。
左側に梓川を眺め、上流にある明神池への遊歩道であったが、
驚くほど平坦な路であった。
シラビソ、サワグルミ、ケショウ・ヤナギなどの樹木を眺めたり、
そして固い樹のイチイ、寒冷地に多いダテカンバも見つめたりしていた。
そして誰袖草(ダレソデグサ)、深山唐松草(ミヤマカラマツグサ)などと命名された
お洒落な草花をガイドさんより教示されて、私は思わず微笑んだりした。
こうした情景を眺め、樹木、草花を誉(ほめ)めながら、
1時間ほどの道程をゆったりと2時間ほどで歩き、明神池の入り口周辺に到着した。
この地点でガイドさんと名残りほしく別れ、私たち夫婦は明神池に向かった。
この明神池は穂高神社の神域なので、拝観料を払ったら、バンフレットを頂き、
明神池 神降池(かみこうち) と明示されていた。
明神池は、一之池と二之池に別れて折、一之池は水面に数多くの樹木もあった。
そして、柔らかな陽射しの中で、マガモは子ガモを引率しながら、のんびりと遊泳したり、
岩魚(イワナ)もゆったりと水中を泳いでいた・・。
渡り鳥と知られているマガモであるが、
この地のマガモは飛び立つことがなく、この地で四季折々住みついている、
と教示させられたりした。
そして私は、マガモにとっては、余程居心地の良いところかしら、
と思いながら眺めたりした。
この後、ニ之池に行ったが、岩があり、小島には白樺、松などが観られ、
私は生きている石庭と深く感じながら、この光景をしばらく見つめたりしていた。
下流にある河童橋までの帰路は、
左手に梓川を眺める治山林道と称された遊歩道を下った。
視界の開けた湿地帯には、レンゲ・ツツジ、シロバナ・シャクナゲを眺めたりし、
1時間半ほど歩き、河童橋に到着した後、
宿泊したロッジの前にあるベンチに座り、休息をしていたら、
若き女性のガイトさんが、さりげなく呟(つぶ)いた言葉が思い出された。
『私・・神降地(かみこうち)という地名が・・この地域一帯は相応しいと思うの・・』
この後、私たち夫婦は、食事処に入り、ビールを呑みながら昼食としたが、
窓辺から梓川を眺めたりしていた・・。
そして集合時間も近づいて来たので、この上高地の光景に別れを感じはじめた・・。
このような新緑時に上高地を訪ねて、ささやかな旅路であったが、
特にナイト・ハイク、そして周辺の散策に圧倒的に魅せられた私たち夫婦は、
心の片隅に今でも残り、ときおり話し合うこともある。
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