私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の68歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職となり、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。
そしてサラリーマンの現役時代に於いては、もとより我が家の収入の責務があるので私なりに奮闘し、
家内は結婚して3年を除き、専業主婦の身で、洗濯、掃除、料理、買い物などしたり、
親族の交際も含めて、我が家の専守防衛長官の責任を果たしてきた。
そして年金生活を始め、家内の日常のペースを出来る限り、乱したくないので、
決意して実行してきたことがある。
具体的には、家内は殆ど従来通りしてもらい、その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは、まぎれなく天敵と私は確信を深めていた。
そして一日、少なくとも一回は外出し、家内の自由な時間を作ることと思い、
せめて日常の買物ぐらいはと思い、買い物の担当を引き受け、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は自宅の周辺にある遊歩道、小公園などををひたすら歩き廻り、散策をしながら、
季節のうつろいを享受している。
私の住んでいる処は、東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅で、
生家も近く、結婚前後の5年を除き、63年ばかり住んできたので、
この地域の『里っ児』でもある。
最寄駅は京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分であり、
小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
この京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような中間地域となっている。
いずれもバスの利便性は良いが、年金生活を始めてからケチの性格に変貌した為か、
路線バスを利用することなく、原則として散歩も兼ねて歩いたりしている。
そして現役のサラリーマン時代の通勤の時は勤務地の関係、
或いは昨今の都心に買物、旅行をしたりする時は、
更にバスの利便性も良いので、『成城学園前』を利用したり、ときには散策をしたりしている。
こうした辺鄙(へんぴ)な所に私は住み、定年後の年金生活の日常に於いて、
その日に応じて歩き廻ることが多い。
我が家の周辺は住宅街であり、ご近所の多くは、殆ど乗用車を保有しているが、
我家は無念ながら所有していない。
私は若い頃は、生家の自動車を盛んに運転をしていたが、
その後に結婚したり、定年前の30年間はペーパー・ドライバーであり、
定年退職後、車を購入して、ゆったりとドライブするのも、ひとつの楽しみと思ったりした。
しかし、齢を重ね感覚が衰えているので、自身の過ちで事故を起こした場合のことや、
何より人様に対して人身事故で傷つかせたりした場合を考慮すると、
単なる保険の賠償支払いで済まなくなるので、自制し、退職後まもない更新時に免許書を破棄することにした。
私は一時的な自動車の快適さより、
万一、私が加害者となった時、多大な賠償の上、何より被害者の心身の痛切な思いを想像したり、
或いは交通刑務所などに服役したりした場合のことを考えたりすると、
定年後の大切な生活設計が狂うのが、何よりも困るというのが本音でもある。
このような気弱で小心者の私は、私の住む地域は幸いにして公共交通のバス、電車の便に恵まれ、
ときたまタクシーを利用しても程々の費用で済んでいる。
こうした生活を過ごしているが、たとえば我が家から『国領』駅の近くにある大型スーパーに行くのは、
近くの大通りに路線バスもあり、15分ぐらいで到着するので、我が家の周辺の方は、殆ど利用されている。
こうした時の私は、220円のバス代を支払い利便性を享受するより、
我が家の近くに流れる野川の遊歩道を上流に向かって歩けば、
景観に良いし、四季折々の季節のうつろいに心も身もゆだねて、何よりも健康にもよい、と固く信じてして歩いてきた。
このように『仙川』駅の場合も、路線バスに頼らず、
少し遠回りして『実篤公園』などに寄ったりして、都立の『神代高校』、
そして音楽系の専門学校として名高いの桐朋学園の学校周辺を通り、
駅前のスーパー、専門店などで、買い物をすることもある。
或いは幼年期に通った小学校の近くの『つつじが丘』駅に出て、
帰路は遥か60年前頃の通学路の旧街道を歩いたりしている。
そして時には、自宅の近くに流れる野川の遊歩道を上流に向かい、
徒歩45分ばかり歩いて、『深大寺』を通り、やがて都立の『神代植物公園』に、
四季折々に訪ねたりしている。
そして野川の遊歩道を下流に向えば、遊歩道沿いに小公園があり、
この景観に見惚れながら、やがては小田急線の『喜多見』駅となる。
私は都心の高校に1960〈昭和35〉年の4月に入学してから、
やがて民間会社で都心の本社に30年ばかり勤めて奮戦した為か、今の私は都心の景観は魅力もなく、
ときおり小用で都心に出かけたりすると、ただ人出の多さに疲れる。
こうした私は、住宅街の中を小路を歩いたりしているが、何よりも圧倒的にやすらぎを感じるのは、
季節のうつろいを明晰を表現される落葉樹、野花の多く、人並みの少ない所を歩くのが、
何かと心身の波長に合っている。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職となり、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。
そしてサラリーマンの現役時代に於いては、もとより我が家の収入の責務があるので私なりに奮闘し、
家内は結婚して3年を除き、専業主婦の身で、洗濯、掃除、料理、買い物などしたり、
親族の交際も含めて、我が家の専守防衛長官の責任を果たしてきた。
そして年金生活を始め、家内の日常のペースを出来る限り、乱したくないので、
決意して実行してきたことがある。
具体的には、家内は殆ど従来通りしてもらい、その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは、まぎれなく天敵と私は確信を深めていた。
そして一日、少なくとも一回は外出し、家内の自由な時間を作ることと思い、
せめて日常の買物ぐらいはと思い、買い物の担当を引き受け、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は自宅の周辺にある遊歩道、小公園などををひたすら歩き廻り、散策をしながら、
季節のうつろいを享受している。
私の住んでいる処は、東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅で、
生家も近く、結婚前後の5年を除き、63年ばかり住んできたので、
この地域の『里っ児』でもある。
最寄駅は京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分であり、
小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
この京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような中間地域となっている。
いずれもバスの利便性は良いが、年金生活を始めてからケチの性格に変貌した為か、
路線バスを利用することなく、原則として散歩も兼ねて歩いたりしている。
そして現役のサラリーマン時代の通勤の時は勤務地の関係、
或いは昨今の都心に買物、旅行をしたりする時は、
更にバスの利便性も良いので、『成城学園前』を利用したり、ときには散策をしたりしている。
こうした辺鄙(へんぴ)な所に私は住み、定年後の年金生活の日常に於いて、
その日に応じて歩き廻ることが多い。
我が家の周辺は住宅街であり、ご近所の多くは、殆ど乗用車を保有しているが、
我家は無念ながら所有していない。
私は若い頃は、生家の自動車を盛んに運転をしていたが、
その後に結婚したり、定年前の30年間はペーパー・ドライバーであり、
定年退職後、車を購入して、ゆったりとドライブするのも、ひとつの楽しみと思ったりした。
しかし、齢を重ね感覚が衰えているので、自身の過ちで事故を起こした場合のことや、
何より人様に対して人身事故で傷つかせたりした場合を考慮すると、
単なる保険の賠償支払いで済まなくなるので、自制し、退職後まもない更新時に免許書を破棄することにした。
私は一時的な自動車の快適さより、
万一、私が加害者となった時、多大な賠償の上、何より被害者の心身の痛切な思いを想像したり、
或いは交通刑務所などに服役したりした場合のことを考えたりすると、
定年後の大切な生活設計が狂うのが、何よりも困るというのが本音でもある。
このような気弱で小心者の私は、私の住む地域は幸いにして公共交通のバス、電車の便に恵まれ、
ときたまタクシーを利用しても程々の費用で済んでいる。
こうした生活を過ごしているが、たとえば我が家から『国領』駅の近くにある大型スーパーに行くのは、
近くの大通りに路線バスもあり、15分ぐらいで到着するので、我が家の周辺の方は、殆ど利用されている。
こうした時の私は、220円のバス代を支払い利便性を享受するより、
我が家の近くに流れる野川の遊歩道を上流に向かって歩けば、
景観に良いし、四季折々の季節のうつろいに心も身もゆだねて、何よりも健康にもよい、と固く信じてして歩いてきた。
このように『仙川』駅の場合も、路線バスに頼らず、
少し遠回りして『実篤公園』などに寄ったりして、都立の『神代高校』、
そして音楽系の専門学校として名高いの桐朋学園の学校周辺を通り、
駅前のスーパー、専門店などで、買い物をすることもある。
或いは幼年期に通った小学校の近くの『つつじが丘』駅に出て、
帰路は遥か60年前頃の通学路の旧街道を歩いたりしている。
そして時には、自宅の近くに流れる野川の遊歩道を上流に向かい、
徒歩45分ばかり歩いて、『深大寺』を通り、やがて都立の『神代植物公園』に、
四季折々に訪ねたりしている。
そして野川の遊歩道を下流に向えば、遊歩道沿いに小公園があり、
この景観に見惚れながら、やがては小田急線の『喜多見』駅となる。
私は都心の高校に1960〈昭和35〉年の4月に入学してから、
やがて民間会社で都心の本社に30年ばかり勤めて奮戦した為か、今の私は都心の景観は魅力もなく、
ときおり小用で都心に出かけたりすると、ただ人出の多さに疲れる。
こうした私は、住宅街の中を小路を歩いたりしているが、何よりも圧倒的にやすらぎを感じるのは、
季節のうつろいを明晰を表現される落葉樹、野花の多く、人並みの少ない所を歩くのが、
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