夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

都立『神代植物公園』、我が心の故郷のひとつ、この時節に訪ねれば・・【樹木・篇】

2013-06-01 16:21:59 | 定年後の思い
私は東京の調布市に住む年金生活の高齢者4年生の68歳の身であるが、
今朝、カレンダーを一枚破り、皐月の5月に別れを告げ、新たな水無月の6月に、
『ようこ~そ・・』と心の中で呟(つぶや)いたりしていた・・。

過ぎ去った5月の私の思いは、
このサイトに余すことなく心の発露として綴っているので、省略する。

私の住む地域は、気象庁が5月29日に『梅雨入り』宣言をして、
平年より12日ぐらい早く、天上の気候の神々は、せっかちな性格に変貌したの、
と私は微苦笑をしたりしていた。

今朝は燦々と雲ひとつない青空で迎え、朝の6時は15度、昼下りは25度前後、
そして夕暮れの6時は21度前後が予測され、
梅雨の間の晴れた一日となるが、平年並みの陽気かしら、と感じたりした。
          
この後、ぼんやりと6月の時節になると、
雨降る中、紫陽花(アジサイ)、杜若(カキツバタ)と同様に、
下草として植えている雪ノ下(ユキノシタ)が白い花を咲かせる。

主庭の外れに半夏生(ハンゲショウ)を10数本植えているが、
黄緑色した葉の中で、わずか先端の数枚の葉は化粧をしたように白く染めあげられたし、
ほのかな妖艶と感じ受けとめている。

庭の樹木のたわわな葉は、淡い緑色や深緑となり雨粒でしっとりと濡れ、
地表は黒土となり、清々(すがすが)しい情景になる。


我が家では、無念ながら紫陽花(アジサイ)はないので、
買物、散策の時、川沿いの遊歩道の一角、小公園などに立ち寄り、享受したりしている。

淡い紫色、透きとおる青色の色合いが私の好みであり、
小雨が降ったり時、散策の折、偶然に見かけると、
傘を差しながらも、見惚(みと)れてしまい、しばらく独りでたたずんでいる。

この時節、忘れてならない菖蒲の一種の杜若(カキツバタ)は、
底知れぬ美の極致と、思いを寄せたりする。

この梅雨の時節、私なりの散策をしながら、
歴然とした美を享受を受け、齢を重ねるたびに心は深まったりしている。

そして雨の降りしきる中、煙(けむ)るような木立の情景に見惚(みと)れたり、
ここ7年ばかり梅雨の時節は、私なりに秘かに心を寄せている。
          

この後、少しぼんやりと、水無月に相応しい茶花を思ったりした。
薊(アザミ)、杜若(カキツバタ)、がく紫陽花(ガクアジサイ)等は、特に魅了される。
そして初夏になると、夏椿(ナツツバキ)、宗旦木槿(ソウタンムクゲ)に待ち焦がれる。

このように私は、この『梅雨』の季節を過ごすことが、平年の習性となっている。

このようなことを思い馳せていると、
私の家から徒歩50分ばかりの都立『神代植物公園』を訪ねてみょうと、
と思いたった・・。
          
雑木林のこの時節の情景、そして紫陽花(アジサイ)、木槿(ムクゲ)など、
そして『神代植物公園』に隣接している『水生植物園』にある杜若(カキツバタ)など、
咲いているかしら、と思ったりしたのである。


私は『神代植物公園』を長らく四季折々に訪ねているが、
いずれにしても、この公園は私が通った地元の神代中学校の付近にあった。

この当時は神代緑地として存在し、この周辺は雑木林、畑などであり、
私は1960(昭和35)年の春に中学校を卒業した後、
確か翌年の1961(昭和36)年の秋に、拡大と整備され上、
神代植物園と改称して、都内唯一の植物公園として開園された。
          
私は中学時代は、自転車で通学し、ときおり開園前の雑木林の中とか周辺を
下校の時などに、学友と自転車で走りまわったりしていた。
その後、人生の節目などを含めて、四季折々通ったりしてきた。

そして私がそれぞれの時期に心に迷ったりした時などは樹木を眺めたり、それぞれの花に心を寄せて、
心の濾過(ろか)を浄化されたりしてきたので、
私にとっては心の故郷(ふるさと)のひとつとなっている。


私は晩秋の雑木が黄色、朱紅色に染められる錦繍の時節、そして落葉の季節、
冬木立、やがて早春に芽吹きを迎える頃までは、数多く鑑賞をしてきたが、
桜が咲き、やがて初秋の頃までは、訪ねることが少なかったので、
久々に何年振りかで、この時節の本日に行って観よう、と根底にあったのである。
          

都立『神代植物公園』のホームベージに公表されている通り、
《・・現在、約4,800種類、10万本・株の樹木が植えられています。
園内はバラ園、ツツジ園、ウメ園、ハギ園をはじめ、植物の種類ごとに30ブロックに分けており、
景色を眺めながら植物の知識を得ることができるようになっています。

また、古くから伝わる日本の園芸植物の品種の保存や植物・園芸に関する催しや 展示会を開き、
都民の緑に対する関心を高めるのに一役買っています。
昭和59年には大温室が完成し、珍しい熱帯の植物が集められ、冬も彩り鮮やかな花々を 鑑賞できるようになりました。》

このように多彩な植物公園であるので、
この篇は、私が園内で観た『樹木』特集として、次回に『花』特集とする。
          

私が樹木の中で、特に落葉樹に魅せられるのは、
季節のうつろいを明晰に情景を現すことであるが、やはり幼年期に農家の児として育てられたことが、
多大に影響されている。

私は1944〈昭和19)年の秋、東京都の北多摩郡神代村(現・調布市の一部)の農家で、
長兄、次兄の次に私は三男坊として生を受けた。

私が地元の小学校に入学する昭和26(1951)年の春の当時は、
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの手助けを借りて、 程ほど広い田畑、
そして田んぼの中のひとつには湧き水があったり、小さな川も流れ、
母屋の周辺は竹林、雑木林が周辺にあった。

そして母屋の宅地のはずれに蔵、物置小屋と称した納戸小屋が二つばかりあり、
この地域の旧家は、このような情景が、多かった・・。
          
このような情景は1951〈昭和31〉年前後から、
都心に勤められる方たちのベットタウンとして急速に変貌し、やがて住宅街となった・・。

こうした失われた情景に愛惜感を秘めている私は、
程ほど近い『神代植物公園』の雑木林に、故郷の原景に思い重ねて、歩いているのである。
          
上記に掲載した写真は、本日園内で歩き廻った雑木林の情景である。

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