私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
中小業の民間会社に35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職した後、
私の半生は何かと劣等感があり、屈折の多い人生だったので、
敗残者のようなことも幾たびか体験してきた。
そして残された人生は、せめて少しばかり自由な時を・・、と念願しながら年金生活をしている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた築後36年の家に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味のひとつの国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
こうした中で、数多くの方の投稿文を読ませて頂きながら、
日記として綴られている場合は、その人なりの思いを、その方ご自身の言葉で、
淡々と綴られているのに圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。
そして、こうしたことは日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多かった。
何よりも生きた人生の教科書と確信を深めたりしながら、
私は読ませて頂きながら秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
人生の苦楽を確かに学びながら年金生活を過ごしたりしてきた。
こうした年金生活を過ごしている私は、
何事も好奇心を失くしたら、この人生は終わり、と信条を掲げ、
興味のあることに、ときめきを感じながら過ごしている。
たとえば新聞の記事のひとつであったり、
購読した本を読みながら、行間から感じることに深くうなづき、思考させられたりする。
或いは買い物に行き、中高年の女性の言葉、しぐさに瞬時に魅了された時、
素敵だよなぁ、と感じてしまう・・。
ある時は、散策とか旅行先で、限りなく美しい感じた情景に、
足を止めて、長らく見惚〈みと〉れてしまう・・。
年金生活9年生になっている今、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
程ほどの貯金を崩しながら私たち夫婦は生活しているが、
裕福なことに縁遠いが、働たらくこともなく程ほどの生活ができるのは、
もとより現役のサラリーマン時代には、甘受できなかったことである。
つたない人生の歩みだった私でも、60代の年金生活は心身溌剌と享受しているが、
その時々にめぐり逢える人、情景に対しての感じなどは、
富貧の差に関係はなく、自身の受け止められる清浄心、と思ったりしている。
そして人生のたそがれ時期の70代、やがて80代を迎えれば、
私の親族、知人などから無念ながら死去されたり、
少なくとも身体の衰えは、私はお逢いできた時に感じさせられてきているので、
私は60代の今、ゴーデン・イヤーズと称されている人生の黄金時代の60代は、
確かに的言であり、つたない私でも、我が人生の最良の時だ、と深めている。
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中小業の民間会社に35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職した後、
私の半生は何かと劣等感があり、屈折の多い人生だったので、
敗残者のようなことも幾たびか体験してきた。
そして残された人生は、せめて少しばかり自由な時を・・、と念願しながら年金生活をしている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた築後36年の家に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味のひとつの国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
こうした中で、数多くの方の投稿文を読ませて頂きながら、
日記として綴られている場合は、その人なりの思いを、その方ご自身の言葉で、
淡々と綴られているのに圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。
そして、こうしたことは日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多かった。
何よりも生きた人生の教科書と確信を深めたりしながら、
私は読ませて頂きながら秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
人生の苦楽を確かに学びながら年金生活を過ごしたりしてきた。
こうした年金生活を過ごしている私は、
何事も好奇心を失くしたら、この人生は終わり、と信条を掲げ、
興味のあることに、ときめきを感じながら過ごしている。
たとえば新聞の記事のひとつであったり、
購読した本を読みながら、行間から感じることに深くうなづき、思考させられたりする。
或いは買い物に行き、中高年の女性の言葉、しぐさに瞬時に魅了された時、
素敵だよなぁ、と感じてしまう・・。
ある時は、散策とか旅行先で、限りなく美しい感じた情景に、
足を止めて、長らく見惚〈みと〉れてしまう・・。
年金生活9年生になっている今、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
程ほどの貯金を崩しながら私たち夫婦は生活しているが、
裕福なことに縁遠いが、働たらくこともなく程ほどの生活ができるのは、
もとより現役のサラリーマン時代には、甘受できなかったことである。
つたない人生の歩みだった私でも、60代の年金生活は心身溌剌と享受しているが、
その時々にめぐり逢える人、情景に対しての感じなどは、
富貧の差に関係はなく、自身の受け止められる清浄心、と思ったりしている。
そして人生のたそがれ時期の70代、やがて80代を迎えれば、
私の親族、知人などから無念ながら死去されたり、
少なくとも身体の衰えは、私はお逢いできた時に感じさせられてきているので、
私は60代の今、ゴーデン・イヤーズと称されている人生の黄金時代の60代は、
確かに的言であり、つたない私でも、我が人生の最良の時だ、と深めている。
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