私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の身であるが、
過ぎし9月の下旬に古稀と称せられる70歳となり、少し不安を秘めたりしていた。
私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始めて、早や10年が過ぎている。
世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズ、
と知人、友人、知人からの便りを受けたりしてきた・・。
私も定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったが、
この10年過ごしてきた年金生活の中、私なりに心身溌剌と過ごし、ひたすら享受してきた・・。
☆掲載した今回の写真、過ぎ去り年の11月、我が家の周辺3キロ範囲を散策した時、時のかたみとして撮った☆
そして70代を迎えると、世の中の多くの人たちは70代となれば、体力の衰えを実感して、
75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、
と専門家の人から数多く発言されている。
特に男性の場合は、心身ともに自立し健康的に生活できる健康寿命は71歳ぐらいで、
平均寿命は80歳ぐらいが知られている。
このように学んできた私は、これからの70代の日々の年金生活は、どのように過ごせるか、
と思案したりしてきた。
そして何かと単細胞の私は、70代こそが人生の終末期の頂上決戦かしら、と思ったりしたが、
やはり小心物の私は不安を秘めたりした。
10月の日々は、年金生活を当初から自主的に平素の買物担当となった私は、
毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしてきた。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などの3キロ範囲を散策して、季節のうつろいを享受してきた。
この後は、相変わらず随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴いたりしてきた。
こうした中で、小庭の手入れをしたりを家内の支援を受けて、2回ばかり奮戦したりしてきた。
そして家内も今年の12月下旬の誕生日を迎えると65歳となり、
高齢者入門となり、私たち夫婦は共に介護保険の対象者となる。
こうしたこともあり、私たち夫婦の共通趣味のひとつは国内旅行であるが、
私は70歳、家内は65歳となるので、ささやかながら記念旅行をしょうと、
八幡平の周辺の『藤七温泉』、『蒸け湯の温泉』、そして『後生掛温泉』を宿泊して、
6泊7日で遊学したりしてきた。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしてきた。
そして70代を一か月ばかり歩き始めた私は、
この後の人生は、しなやかに過ごせれば晩年期は快適かしら、
と体力の衰えた私でも、残された人生に少しばかり自信を感じたりしてきた。
今朝、居間にあるカレンダーをぼんやりと見つめながら、
10月の『神無月(かんなづき)』に愛惜を深めながら別れを告げて、カレンダーを破いたりした。
そして、11月の『霜月(しもつき)』に、こんにち~は、と心の中で呟(つぶや)きながらも、
この11月は東京郊外に住む私にとっては、『錦繍月(きんしゅうづき)』だ、と心の中で深めたりした。
私の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む地域に於いては、
平年11月3日の『文化の日』の頃から、あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染め始め、
やがて11月23日の『勤労感謝の日』の頃になると、
周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍(きんしゅう)の情景となる。
やがて数多くの葉が舞い散る中で、公孫樹(イチョウ)の黄色い葉が彩(いろど)りを見せてくれる。
そして周囲に公孫樹(イチョウ)のあまたの葉が黄色い絨毯を重なるようになるのが、
12月の『師走(しわす)』の初旬となっている。
過ぎし日の9月下旬の頃から、北海道の山岳では紅葉・黄葉に染められた便り、
その後は東北の山里も紅色・朱紅色、そして黄色に染められた情景となっている。
たまたま私たちが記念旅行をした八幡平の周辺の旅先でも、錦繍(きんしゅう)の情景にめぐり逢え、
私は何よりの贈り物だ、と天上の気候の神々に感謝を重ねたりしてきた。
私は過ぎし年に幾たびか旅路で実感させられたりしたので、やがて東京の郊外でも錦繍の季節だ、
と待ち焦がれてきた・・。
ここ一週間は秋麗(あきうらら)のさわやかな過ごしやすい日もあり、
11月は秋日和の多い恵まれた中、薔薇(バラ)の美麗が見られたり、菊も香り、
こうした中で、あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染めはじめ、
日ごとに色合いを濃くしていく・・。
我が家の小庭にある無花果(イチジク)、紫木蓮(シモクレン)の数多い葉が、
黄色く染めはじめの見つめたり、
一昨日に買物から帰宅した時、玄関庭にある紫式部(ムラサキシクブ)のたわわな実が、
紫色を深く染め、昼下がりの陽射しを受けていた。
このような情景を思い重ねたりしていると、
この11月は『霜月』とか『雪見月』と古来より称せられているが、
私としては、秘かに『錦繍月(きんしゅうづき)』と命名している。
私は毎年この時節の錦繍の情景の移ろいに、日々に心寄せられている。
私は、このような移ろう錦繍の情景に、ときめきを感じながら見惚(みと)れ、
日頃の運動不足を兼ねて、独りで付近の遊歩道、公園などに出掛けることが圧倒的に多くなり、
歩き廻っているのは、定年退職後の習性となっている。
そして私は早春の芽吹き、この時節の錦繍の情景、その後の落葉の情景に、
つたない私の無上の喜びとなり、
心の中は小躍(こおど)りするような時節となっている。
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過ぎし9月の下旬に古稀と称せられる70歳となり、少し不安を秘めたりしていた。
私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始めて、早や10年が過ぎている。
世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズ、
と知人、友人、知人からの便りを受けたりしてきた・・。
私も定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったが、
この10年過ごしてきた年金生活の中、私なりに心身溌剌と過ごし、ひたすら享受してきた・・。
☆掲載した今回の写真、過ぎ去り年の11月、我が家の周辺3キロ範囲を散策した時、時のかたみとして撮った☆
そして70代を迎えると、世の中の多くの人たちは70代となれば、体力の衰えを実感して、
75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、
と専門家の人から数多く発言されている。
特に男性の場合は、心身ともに自立し健康的に生活できる健康寿命は71歳ぐらいで、
平均寿命は80歳ぐらいが知られている。
このように学んできた私は、これからの70代の日々の年金生活は、どのように過ごせるか、
と思案したりしてきた。
そして何かと単細胞の私は、70代こそが人生の終末期の頂上決戦かしら、と思ったりしたが、
やはり小心物の私は不安を秘めたりした。
10月の日々は、年金生活を当初から自主的に平素の買物担当となった私は、
毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしてきた。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などの3キロ範囲を散策して、季節のうつろいを享受してきた。
この後は、相変わらず随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴いたりしてきた。
こうした中で、小庭の手入れをしたりを家内の支援を受けて、2回ばかり奮戦したりしてきた。
そして家内も今年の12月下旬の誕生日を迎えると65歳となり、
高齢者入門となり、私たち夫婦は共に介護保険の対象者となる。
こうしたこともあり、私たち夫婦の共通趣味のひとつは国内旅行であるが、
私は70歳、家内は65歳となるので、ささやかながら記念旅行をしょうと、
八幡平の周辺の『藤七温泉』、『蒸け湯の温泉』、そして『後生掛温泉』を宿泊して、
6泊7日で遊学したりしてきた。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしてきた。
そして70代を一か月ばかり歩き始めた私は、
この後の人生は、しなやかに過ごせれば晩年期は快適かしら、
と体力の衰えた私でも、残された人生に少しばかり自信を感じたりしてきた。
今朝、居間にあるカレンダーをぼんやりと見つめながら、
10月の『神無月(かんなづき)』に愛惜を深めながら別れを告げて、カレンダーを破いたりした。
そして、11月の『霜月(しもつき)』に、こんにち~は、と心の中で呟(つぶや)きながらも、
この11月は東京郊外に住む私にとっては、『錦繍月(きんしゅうづき)』だ、と心の中で深めたりした。
私の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む地域に於いては、
平年11月3日の『文化の日』の頃から、あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染め始め、
やがて11月23日の『勤労感謝の日』の頃になると、
周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍(きんしゅう)の情景となる。
やがて数多くの葉が舞い散る中で、公孫樹(イチョウ)の黄色い葉が彩(いろど)りを見せてくれる。
そして周囲に公孫樹(イチョウ)のあまたの葉が黄色い絨毯を重なるようになるのが、
12月の『師走(しわす)』の初旬となっている。
過ぎし日の9月下旬の頃から、北海道の山岳では紅葉・黄葉に染められた便り、
その後は東北の山里も紅色・朱紅色、そして黄色に染められた情景となっている。
たまたま私たちが記念旅行をした八幡平の周辺の旅先でも、錦繍(きんしゅう)の情景にめぐり逢え、
私は何よりの贈り物だ、と天上の気候の神々に感謝を重ねたりしてきた。
私は過ぎし年に幾たびか旅路で実感させられたりしたので、やがて東京の郊外でも錦繍の季節だ、
と待ち焦がれてきた・・。
ここ一週間は秋麗(あきうらら)のさわやかな過ごしやすい日もあり、
11月は秋日和の多い恵まれた中、薔薇(バラ)の美麗が見られたり、菊も香り、
こうした中で、あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染めはじめ、
日ごとに色合いを濃くしていく・・。
我が家の小庭にある無花果(イチジク)、紫木蓮(シモクレン)の数多い葉が、
黄色く染めはじめの見つめたり、
一昨日に買物から帰宅した時、玄関庭にある紫式部(ムラサキシクブ)のたわわな実が、
紫色を深く染め、昼下がりの陽射しを受けていた。
このような情景を思い重ねたりしていると、
この11月は『霜月』とか『雪見月』と古来より称せられているが、
私としては、秘かに『錦繍月(きんしゅうづき)』と命名している。
私は毎年この時節の錦繍の情景の移ろいに、日々に心寄せられている。
私は、このような移ろう錦繍の情景に、ときめきを感じながら見惚(みと)れ、
日頃の運動不足を兼ねて、独りで付近の遊歩道、公園などに出掛けることが圧倒的に多くなり、
歩き廻っているのは、定年退職後の習性となっている。
そして私は早春の芽吹き、この時節の錦繍の情景、その後の落葉の情景に、
つたない私の無上の喜びとなり、
心の中は小躍(こおど)りするような時節となっている。
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