夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

紅白歌合戦、齢ばかり重ねた私、ささやかな想いで・・。

2014-11-27 14:35:48 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
昨夜、NHKテレビのニュースを視聴していたら、本年度の『紅白歌合戦』の出場歌手が決まりました、
と報じていた。

そして齢ばかり重ねた私でも、どの歌い手が出場されるのかしら、と思ったりした。
この後、音楽ランギングとして名高い『オリコン』のサイトに出場歌手が記載されていた。

《・・出場歌手一覧(カッコ内は出場回数)

【紅組】絢香(7)、E-girls(2)、いきものがかり(7)、石川さゆり(37)、HKT48(初)、AKB48(7)、SKE48(3)、NMB48(2)、
神田沙也加(2)、きゃりーぱみゅぱみゅ(3)、香西かおり(18)、伍代夏子(21)、坂本冬美(26)、椎名林檎(2)、天童よしみ(19)、中島みゆき(2)、
西野カナ(5)、Perfume(7)、藤あや子(20)、松田聖子(18)、水樹奈々(6)、水森かおり(12)、miwa(2)、May J.(初)、
ももいろクローバーZ(3)、薬師丸ひろ子(初)、和田アキ子(38)

【白組】嵐(6)、五木ひろし(44)、EXILE(10)、関ジャニ∞(3)、クリス・ハート(2)、郷ひろみ(27)、ゴールデンボンバー(3)、
三代目 J Soul Brothers(3)、SMAP(22)、SEKAI NO OWARI(初)、Sexy Zone(2)、T.M.Revolution(5)、
TOKIO(21)、徳永英明(9)、AAA(5)、長渕剛(4)、氷川きよし(15)、V6(初)、福田こうへい(2)、福山雅治(7)、細川たかし(38)、
ポルノグラフィティ(13)、美輪明宏(3)、森進一(47)・・》

私は歌手かグループ名で、代表曲が瞬時に結びつくのは、無念ながら3割ぐらいで、
歌の世界も遥か遠くになってしまった、と微苦笑したりした。
                 

私は中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に、1970年(昭和45年)4月に中途入社し、
35年近く勤めた身である。
こうした中、最後の5年はリストラ烈風の中、音楽商品を扱う物流会社に出向となり、
2004年(平成16年)秋に定年退職をした。

こうした現役のサラリーマン時代は、音楽に直接に携わる制作畑でなく、裏方の商品、情報、経理、営業を配属されてきたが、
もとより音楽業界は、多少は知っていた。

そして週刊誌の音楽専門誌の『オリコン』、ビジネス全般として『日経ビジネス』、
月刊誌の『日経トレンディ』、そしてテレビ・CM・音楽・映画界などの『日経エンタテイメント』を購入し、精読していた。
或いは当然の責務として、音楽の業界紙も読んでいた・・。

こうした中、音楽専門誌の『オリコン』から公表される毎週のベストランキングの曲と歌い手ぐらいは知っていたし、
入社以来、給与を頂くたびに自社、そして他社のレコードLP、その後はCDアルバム、DVDを買い求めてきたりした・・。
       

私は恒例のように大晦日の夜に『NHK紅白歌合戦』をテレビで視聴してきたことは、
残念ながら少ない。

私は1976年(昭和51年)春に結婚して以来、『NHK紅白歌合戦』は殆ど視聴していない。
この日の大晦日の夜は、家内の宅では『お歳取り』を長らく行ってきた年越しの行事であった。

そして私は準拠してお節料理を頂きながら、ビール、日本酒を呑み、
お互いに談笑する酒宴となった。

当初の新婚時代の2年は、私たち夫婦が家内の実家に行き、家内の両親、義妹、義弟と、
私たちは酒宴をしながら、談笑したりしていた。

この後、私の生家の近くに私たちは一軒家を設けて、この日の大晦日には、家内の両親に来宅して頂き、
『お歳取り』の行事をして泊まって頂き、共に新年を祝った後、元旦の昼下がりに家内の両親は帰宅された。

こうした大晦日が20年ぐらい続いた時、私の母が病死し、
この後、家内の父が入退院を繰り返し、私たち夫婦は年末年始の休暇を利用して、
日本の各地を旅をしたりした。

このような大晦日であったので、『NHK紅白歌合戦』は視聴してこなかった・・。
       

今回の『オリコン』のサイトに出場歌手一覧の下段を見たりしていると、
《・・大みそか恒例の『第65回NHK紅白歌合戦』の出場歌手が26日、発表され、
中島みゆき(62)が2002年以来12年ぶり2回目の出場を果たすことが決まった。

12年前の出演時、富山・黒部ダムからの中継で「地上の星」を歌った中島は、
歌詞を間違えるハプニングで話題となった。

コメントを寄せた中島は自ら蒸し返し、
「黒部のときには一生の思い出だわ、と感激のあまり、歌詞を間違えました。
このたびはまさかの2度目出場。来世までの思い出だわ、
と感激のあまり、また何かしでかさないように、頑張って歌わせていただきます」
と柴崎哲也チーフプロデューサーが代読すると、会見場は笑いに包まれた。

中島は現在放送中の連続テレビ小説『マッサン』の主題歌「麦の唄」を担当している。・・》

こうした記事を読んだりした後、あの時の『紅白歌合戦』で、
私は中島みゆきさんが『地上の星』を唄われたを、偶然にテレビで視聴していたことが思い出された・・。
       

2002年(平成14年)の年末、
私たち夫婦は『ゆく年くる年 日本のてっぺんでお正月3日間』と称された団体観光周遊ツアーに参加した。

私の定年退職時は2004年(平成16年)秋であり、
この当時の私はリストラ烈風の中、あえなく出向となり3年が過ぎた頃で、
自分の敵は自分です、と自身を叱咤激励しながら奮戦していた時であった。

そして現役サラリーマンとして残すところ1年10が月前であった。

この当時も12月になると、家内と年末年始の旅行のことで話し合ったりした。
私は前年の能登の輪島温泉滞在で、程ほど高価な費用を払ったのに、と苦い思いでがあり、
ためらったりしていた。

こうした時、通販の旅行会社のクラブツーリズムから送付されてくる小冊誌に於いて、
『ゆく年くる年 日本のてっぺんでお正月3日間』と題した、団体観光ツアーがあった。

大晦日の31日の早朝、羽田空港に集合して、午前10時過ぎに釧路空港に着陸した後、
バスで釧路湿原を通り過ぎ、屈斜路湖、摩周湖の雪の情景を鑑賞した後、紋別に宿泊する。

翌日、2003年(平成15年)の元旦の朝、稚内を目指して、オーホック海沿いの道をバスは長らく北上し、
そして宗谷岬に午後の3時過ぎ到着した後、日本の最北端の駅である稚内駅を観たりし、
高台にある神社に初詣し、市内のホテルに宿泊。

そして翌日の2日、札幌を目指して、日本海を眺めながらバスは南下し、千歳空港から帰京するプランであった。

こうした風変わりな周遊観光コースであり、格安なプランであるので、
二度と企画されないかもしれない、と私は家内に云ったりし、参加したのであった。


大晦日の31日、羽田空港に早朝の集合時間であったので、
タクシーを予約して、暗い早朝の中、自宅から羽田空港までタクシーを利用した。

そして、厳冬の屈斜路湖、摩周湖の雪の情景を鑑賞したが、私たち夫婦は冬の北海道は幾たびか体験し、
それなりの防寒服を着たりしているので、マイナス10度ぐらいは心身順応出来たりしていた。

少し驚いたのは、紋別に宿泊する前、簡素な食事処で蟹(カニ)食べ放題の夕食となり、
私は地酒を呑みながら、それなりに懸命に頂いたが、
やはり蟹は毛蟹を一杯だけ頂き、ゆっくりと熱燗の地酒を呑むのが良い、と感じたりした。

そして、宿泊のホテルの部屋に戻り、
テレビを点(つ)けると、『紅白歌合戦』が映し出されて、
数分過ぎた頃に中島みゆきさんが『地上の星』を唄われた・・。

後年、伝説となった黒部の極寒の坑道の中で、唄いあげたシーンであった。
それぞれのアーティストの方たちが極寒の坑道の薄暗い中、それぞれの楽器を触り演奏され、
メロディーが流れ、やがて坑道から高価なドレスを召した中島みゆきさんが、
少しつづ歩みながら『地上の星』を唄われた・・。

もとより社会状況はリストラ烈風を体験している方たちが多い背景もあり、
私は中島みゆきさんが唄われる容姿が、人生の女神ように方と感じ受け止めたりした・・。
       

私は中島みゆきさんのファンのひとりであったので、この夜の夢は何故かしら、
中島みゆきさんが私の方を見ながら微笑んでいたような情景であった。


このような旅先で、偶然に『NHK紅白歌合戦』を視聴して、中島みゆきさんの『地上の星』の出演された情景、
私は今でも鮮烈に心の片隅に残っている。


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コメント (2)
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